第20話

「魔法使いというと、お父様は皇太子殿下が魔法使いという事はご存じでしたか?」


「いや、初耳だが……急にどうして奴の話が?」


 皇太子の事を‘奴’呼ばわりするなんて、不敬罪にならないかと内心ハラハラしたが、そんなお父様に対してお母様が隣で呆れたように溜息を吐いた。


「セレーネが居なくなっていた間、何回か皇太子殿下から連絡が来ていたのよ。ジョセフは皇太子殿下が原因であんなことが起こったと思ってる節があるから……ちょっと今はその名前に敏感みたい」


 こっそりと小さな声で教えてくれるが、真夜中の静かな食卓でその声が周りに聞こえないわけがなかった。


 お父様は右拳を口の前に置き、わざとらしく

「おっほん!」

 と大きな咳払いをした。


「確かに何度か連絡が来た。うちの事は良いので今回の事件の原因の究明に力を入れて頂きたいと返していたのだが、お前が戻り次第連絡して欲しいなどと抜かしてきやがって。まるでセレーネがちょっと出かけているだけのような言い草……あいつが意味の分からん選抜でセレーネを選んだせいで行方不明になっているというのに! いいや、もとはと言えば何かしら恨みを買うような事をしているから……」


「まぁまぁまぁお父様、一度落ち着いて下さい」


 お父様がどんどんヒートアップして話題がずれていくため、私は本筋に戻そうと制止した。


「お父様、少なくとも皇太子殿下は今回の事件の実行犯ではないでしょう。しかし、最終の四人が襲われた事から無関係では無いとも思っています……皇室と距離を置くのではなく、危険と思うのであればこそ、こちらが被害者として強気になれるこの機会に乗じて自ら近づいて知らねばならないのではないでしょうか」


 私はカイン様が悪だとは思わない。


 しかし、私の勘だけでカイン様という人物を判断するのは危険であることも事実。


 彼の狙いが何なのか、彼は誰を敵と見なしているのかを聞き出せる機会があるとすれば今回しかないだろう。


 何より、彼ほど魔法に精通している者は聞いたことが無い。


 これらの理由を元にあくまで合理的に考えた上での発言だが……一番の理由は上手く言葉で言い表せないけれど、彼と会って話をしなければならないような気がして仕方がないのだ。


「しかし、今までこの距離感でうまくやってきたではないか。今更無理に関わらずとも問題は無い。婚約含めてだ!」


 強い口調で言い切ったお父様に何と返そうか悩んだ。


 交渉において、こうした方が上手くいくと伝えるよりも、こうしなければ問題が起こるとリスクを伝える方が相手の心に響くものと聞いたことがある。


 私は女優になったつもりで今までとは真逆のしおらしい表情を作ってみせた。


「お父様、私は怖いのです。今回の襲撃のように、予想も出来ない事とそれに抗えないことが。今まで私たちは外国とばかり戦ってきましたが、本当に危険なのは外だけなのでしょうか? 前侯爵様の遺言である『皇室に気を付けろ』とは何なのかを知らねば、気が付いたときにはもう遅かったでは済まないのではないでしょうか」


 お父様は髭を触る手を止め、真剣に考える表情をした。


 皆、考え込んでいるのか、一分程の沈黙が続いた。



 その沈黙を破ったのはラホール卿のティーカップの音と

「そういえば」

 と発した声だった。


「余談ですが、一緒に監禁されていた令嬢達が、第一皇子殿下の復帰を願う勢力の仕業ではないかと話しているのを聞きました」


「何ぃ!? なんでそれを早く言わなかったァ!」


 沈黙に耐えかねたマスポーネ卿がここぞとばかりに机を叩きながら大声をあげた。


「いや、事実かどうか疑わしいですし、ご令嬢達の噂程度の事を真に受けるのもどうかと思いまして。公式の場での報告は控えておりました」


 ラホール卿は大声にひるむ様子も無く、正論で返す。


「噂話程度とはいえ、中央に君臨する貴族のご令嬢達だぞ! 火のない所に煙は立たぬと言うだろう!」


 椅子から立ち上がったマスポーネ卿に声が大きいといさめつつお母様が口を開いた。


「マスポーネ卿の言うことも一理あるわね。現皇太子の結婚を通して即位が決定する流れになることを恐れた第一皇子の派閥が動き出したとしてもおかしくないわ。第一皇子の母である元皇后によって今の皇太子殿下は暗殺されかけ、その後その元皇后は行方不明。まだこの事件が終わったわけではないのかもしれないわね」


「まぁ、待ちなさい。その辺りの事に関しては情報も確信も無い憶測である。しかし、今回の婚約者候補誘拐事件の件は確かに第一皇子に敵対する派閥の仕業ではあるかもしれん。つまり……」


 お父様は口を尖らせ、私達から視線をそらした。


「……つまり、最も確信の持てる情報源であり、今回の事件の敵側ではない皇太子殿下と一度話し合う必要があるという事ですよね」


 不躾ながら、続きを言いたく無さそうだったお父様に代わって私が言葉を続けた。


「敵の敵は味方とも言いますものね」


 お母様もお茶を一口飲みながら私に同意の意を述べた。


「しかし、ただ内輪揉めに利用されるだけかもしれんぞ? それにあのサイコパス野郎の事だ、もしかしたら自作自演のショーに付き合わされているだけやもしれん!」


 ‘奴’の次は‘サイコパス野郎’だなんて、皇室関係者に聞かれていたら確実に粛清対象である。


 私たちも巻き込み事故を食らうと考えると、今この場において最も危険な人物はお父様である事は間違いないだろう。


「あら、侯爵様はそんな事に振り回されるような方ではないと思っておりますよ? それに、案外あの皇太子殿下は本気のような気がするのよねぇ~」


 そう言ってお母様は私を見つめた。


 サイコパス野郎に気を取られて、話の流れをよく理解できなかった私は、どういう意味? と聞こうと思ったが、それよりも先にお父様が

「どういう事だ!?」

 と素早く反応した。


「そうねぇ~……うまく言えないけれど勘よ、勘。恋する人の仕草って案外分かるものなのよ」


 もったいぶったように言ってお母様はラホール卿に

「そう思わない?」

 と少しからかうように問いかけた。


 ラホール卿は表情を崩さないまま

「どうでしょうね」

 と濁すように答え、お茶をまた一口飲んだ。


 お母様の話を聞いたお父様は

「け、けしからん!」

 と更に憤慨ふんがいする様子で机の上に置いた拳をプルプルと震わせた。


 話が本筋から反れてきたが、お母様が話のまとめに入ろうと、両手を一度叩き皆の注目を集めた。


「とにかく、セレーネの事を抜きで、領主としてあなたはどう思われますか?」


 広い部屋でお母様の声だけが静かに響いた。


 お母様は真剣な表情で、お父様を見つめている。


 お父様は大きく息を吐くと、降参したようにお母様に対してゆっくりと仕方なしの様子で頷いた。


 頷いたという事はお父様の答えは決まったのだろう。


「……サイモン、皇太子殿下に手紙を書くから紙とペンを頼む」


「ははっ、かしこまりました。僭越せんえつながら、すでにこちらにご用意しております」


 サイモンは深く礼をした後、お父様の前に紙とペンを差し出した。


 知ってはいたが、仕事の早い執事である。


「手紙の返事が届き次第、皆には連絡をいれる。今日は解散にしよう」


 お父様が立ち上がると、皆立ち上がり、一礼をしてお父様の退出を見送った。



 それから二日後の事だった。


 あまりにも突然皇太子殿下が我が家の門を叩いたのは。

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