第34話

「あ、悪い。邪魔したか?」


 ドアが開き、入ってきたのは赤い髪の男―――アベルと、その後ろにはラホールの姿もあった。


 セレーネを庇うように身を乗り出していたカインは、なぜ二人が一緒にいるのか、また、子供の時以来会話もなかったアベルが急に訪れた事に懐疑的かいぎてきに構えた。


 状況を把握しようと警戒するカインに対して、アベルは飄々ひょうひょうとした声で続ける。


「お前と話がしたくて待ってたんだ。とりあえず、中に入っていいか?」


 そう言ってアベルが部屋に入り込むのをカインは止めようとしたが、アベルは返事など聞く気は無いとズカズカと足を踏み入れた。


(どういうことだ?十年以上会話もしなかったやつが何で今更……皇帝の差金か? いや、兄上にそんな重役を任せるはずもない。じゃあ、一体何の理由で……)


 アベルは部屋の電気を付け、室内をきょろきょろと見渡す。そして、何かを見つけたのか、本棚の端に置かれた三十センチ程度の木箱を手に取り、撫でるようにして埃を払った。


「おまえ、まだこんなの持ってたんだな」


 目を細め、懐かしむようなアベルに対し、カインはアベルが持つ箱の正体が分からなかった。


(あんな箱、あそこにあったか? いや––––そういえば確かにあった。何で大切に持っているのかわからなかったが、捨てられなくて……それでそこに––––––)


 カインにはお構いなしでアベルは箱を開けようと鍵に手をかけたため、慌ててカインは言葉を放った。


「急に来てなんなんだ。何が目的だ」


 アベルはカインの言葉を無視してガチャガチャと箱の鍵を開けようと試みるが、壊れているのかなかなか鍵が開けられない。


「言っておくけど、その箱は開かない。鍵が錆びているからな」


 カインは自分で言っておいて、自分の口から出た言葉に違和感を覚えた。


(あれ、なんで鍵が錆びているなんて知っているんだ?)


 アベルは相変わらずガチャガチャと弄りながら

「知ってるよ」

 と言葉を吐いた。


「十五年前から錆びてただろ」


 アベルは少し切なげに溢して知恵の輪のように入り組んだ最後のパーツを取った。


「あの頃から、これを開けるのはいつも俺だっただろ」


 そう言ってアベルが箱を開けると、中からは綺麗な石や朽ちた葉、金属の部品など、ガラクタなのか何なのか分からないものがたくさん入っていた。


 それを見たカインは何故そのような物が自分の部屋に大事に置かれていたのかが分からず、無意識に眉間にしわがよる。


「うわー懐かしいなー」

 と声をこぼすアベルに対してカインは

「おい」

 と肩を掴む。


「さっきから何がしたいんだ。何でここに来たんだ? 何でラホール卿がお前と一緒にいる? 私たちがいない間に何をした?」


 その言葉を受けたアベルは振り返り、青い瞳をカインに向け言葉を返す。


「本当に何も覚えてないんだな」


 どこか泣き出しそうな声に動揺したカインが掴んだ手を離すと、アベルは箱を机に置いて話を続けた。


「心配するな、お前らが消えてからまだ数時間しか経ってない。もともとお前に用があって来たが、部屋にはコイツしかいなかったから一緒に待たせてもらっただけさ」


 そう言って親指でラホールを指すアベルの後ろで、ラホールは僅かに眉をひくつかせた。


 カインとアベルが会話を振らない以上、ラホールもセレーネも立場上口を挟む事はしない。

 話す事が許されるなら二人のことは放っておいて、ラホールは素足を晒したままのセレーネに何があったのか聞きながら毛布をかけにいっただろう。


 アベルの来訪により、それどころではなかったカインは当たり前だが忘れかけていた関係性を思い出し、はぁー、とため息混じりに

「どういうことなんだ、ラホール卿」

 と問いかけた。


 ラホールは一瞬だけセレーネに視線を向け、すぐにカインに戻し言葉を発した。


「申し訳ございません。おおよそはアベル殿下の仰る通りです。二人がいつ戻られるかわからなかったため、ルナーラに戻り侯爵様の力を借りようと思った矢先、カイン殿下に用があるとアベル殿下がいらっしゃり、お二人が消えた事なども勘づかれ、とりあえず私も様子を見ていたところ、アベル殿下が二人が戻ったようだとおっしゃったため不躾ながら私も同行させていただきました」


 一応申し訳ないと思っているのかラホールは深々と頭を下げた。


「そうか……わかった、心配をかけたね――――それで、兄上は私の質問に答えてくれませんか? 何の目的でここへ? 私達の見張りでも誰かに任せられましたか?」


 険しい表情で問うカインに対し、アベルも眉を吊り上げた。


「とりあえず俺はお前の中では敵なわけね。まぁ、別に仕方ないけど。お前は昔の記憶が全然無いんだもんな」


「昔の記憶?」


「俺と、お前と、母上と、皇妃様のことだよ」


 アベルの口から出た言葉に、カインは一瞬、時が止まったように固まった。


(急に何を言っているんだ? こいつは今何の話をしようとしているんだ?)


「お互いいい大人になったし、俺たちもそろそろ本気で話し合わないといけないと思ってわざわざ来たけど、やっぱりまだ話せるような段階でも無いのかもな」


 アベルは吐き捨てるように言って三人に背中を向けると、消えそうな声で

「婚約おめでとう」

 と呟き部屋から出ていった。



 セレーネは二人の様子を始終狼狽えながら見ていたが、ここにきてようやく声を絞り出した。


「カイン様……」


 セレーネの声になんと答えればいいのかわからず、カインは口を固く締め俯くだけだ。


「……ラホール卿、ラホール卿から見てアベル殿下はどのような方だった?」


セレーネの問いかけにラホールは少し考える仕草を見せ、言葉を紡ぐ。


「私もまだよく分かりませんが、少なくともアベル殿下は小賢しいことを考えるような方では無いかと思います」


「どうしてそう考えるの?」


「……まぁ、不器用な方なんだという印象です」


 バカっぽいと、喉元まで出かかったが、セレーネの横で険しい表情をするカインが目に入り、言葉を選んだ。


 セレーネは少し考えるとラホールの目を見て一度頷きカインに向き直る。


「カイン様、私も皇帝陛下の書斎で会いましたが、少なくとも悪意があるような方ではないように思いました。それに、昔の事を何も覚えていないと言われた言葉も気になります。皇帝陛下の書斎をこっそりと出入りされているようですし、アベル殿下は皇室の秘密を私達以上に知っているのでは無いでしょうか?」


 時間が経って少し落ち着いてきたのか、カインはセレーネの言葉に反応するように小さく頷いた。


「ですので……その……一度ご兄弟で話し合う時間をとった方が良いのでは無いでしょうか」


 セレーネは口を出して申し訳ないと添えてカインの返事を待った。


 カインは静かにソファーに座り、おもむろに目の前に置かれた箱を手に取る。


 ガラクタしか入っていない古びた箱。

 しかし、カインにとってそれは確かに思い出せない昔の記憶の一部だった。



「……そうだね。自分でも何故あんなに喧嘩腰で言ってしまったのか分からないが……確かに冷静じゃなかった。……明日、兄上の所に行ってみようと思う」


 そう言うと、カインは覚悟したように不安気な微笑みを皆に向けた。セレーネはどこか顔色の悪いその様子に僅かな違和感を感じたが疲れているだけだろうと、カインの言葉に寄り添うように静かに頷いた。

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