第35話
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翌日の朝食後、カイン様がアベル殿下に兄上、少しよろしいですか? と話しかけたが、昨夜の事は嘘だったかのように目が合っても声を発さず、昨日の事だがと話しかけても無視してどこかへ行ってしまった。
私も遠巻きにその様子を見ていたが、単純に拗ねていただけではなく、どうにもそもそもの雰囲気が違うような気がするのは気のせいではないと思う。
「絶対おかしいわよね」
昨夜同様、カイン様の部屋で私がラホール卿に問いかけると、ラホール卿も珍しくウンウンと頷き、激しく同意の旨を示した。
「中身別人なの? ってくらい違うわよね?」
何処がと言われたら難しいが、会話をした時の野蛮さやアホっぽさが全く無く、当初の印象通りの腹に
「だって、朝食の時のアベル殿下なんて一言も話さないし、食事のマナーは完璧だし、おかわりもしなかったわよ!?」
「セレーネお嬢様、逆にアベル殿下のことをただのわんぱく小僧だと思っていませんか?」
「そ、そこまでは言ってないけど、それに近しいものだとは……思っていたわ」
私がどもりながら後半を最小ボリュームで答えると、カイン様はうーんと唸りながら言葉を紡いだ。
「私からしたら今朝の兄上の方が兄上らしいというか、昨日の兄上の方が知らない人のようだったけど……」
カイン様は腕を組んで私たちの意見を聞いていたが、どうにも私たちの知るアベル殿下のイメージに納得が出来ないらしい。
「私が子供の頃は第一皇子が皇位を継ぐって常識があったから、兄上の方が帝王学を初めとした教養を身に付けるために朝から晩まで勉強させられていたし、身を守るための剣術も学んでいたし、何においても私より兄上の方が優れていたしね」
その言葉を聞いて私とラホール卿は信じられないと目を合わせた。ラホール卿も大概に失礼だなと思うがお互い様であるので敢えて追求はしない。
「周りの皆が第一皇子が皇位を継ぐって思っているのに、第二皇子であるカイン様が元皇后に暗殺されかけたのはどうしてですか?」
そう、一番の謎はそこにある。
何を脅威に思ってカイン様は殺されかけたのか。
「うーん……何で……」
カイン様は思い出したいのに思い出せないのか頭を抱えたまま顔をしかめた。
「おかしいんだ。兄上が言っていた元皇后の事も、皇妃である母上のことも全然思い出せない。母上が皇后の手によって殺されたってことだけはこんなにもはっきり覚えているのに……」
カイン様はそう言ってあからさまに顔色が悪くなった。
「……殿下もお嬢様も少しお休みになっては如何ですか?」
ラホール卿は空気が読める男だ。憔悴したカイン様の様子を見て提案したのだろう。
「そうですね。カイン様、少し休みましょう」
「いや、ラホール卿も寝てないだろう。この中で昨夜一番何もしてないのは私だ。二人が先に休んでおいで」
カイン様は気分が落ちる時は底まで落ちるタイプなのだろう。私が経験した魔国での出来事はアベル殿下が去った後二人には報告済みだが、カイン様はあの何も無い沼地で一人待っていただけの自分を相当恥じているらしい。
何かにつけてこのようにいじけてくるのでそろそろ面倒くさくもなってくる。
私はフンと鼻を鳴らし、二人に背中を向けた。
「では、私が先にお風呂借りますので」
面倒臭いと感じるということは私も相当疲れているのだろう。
今は靴を履いているが、裸足で歩き回ったおかげで足の裏も傷だらけで痛いし、何より色々な事がありすぎて頭がパンクしそうだ。
このままだと誰かに八つ当たりをしそうなので大人しくレディファーストを享受させてもらおうと足早に浴室へと向かった。
身体を洗い終えてお風呂から出ると、タオルと着替えのドレス、風の魔石が置いてあった。更に足元には薬湯が入った足湯も用意されており、何も考えずにお風呂に入った自分が恥ずかしくなる。
カイン様が用意してくれたのだろう足湯に浸かりながら風の魔石で髪の毛を乾かしていると、背後から誰かが近づいてくる音が聞こえたので、カイン様だろうと思いお礼と共に振り返った。
「カイン様、着替えと薬湯ありがとうございまし……」
しかし、そこには黒いマントに身を包み布で口元を覆い隠した長身の男が立っていた。
瞬時に危機を察知し叫ぼうとしたが、私の口を男は素早く手で塞いだため、フガフガと声はその場で聞こえる程度だ。
さらには風の魔石を発動したまま落としてしまったため、私が助けてとどんなに声を出そうとしても風の音にかき消されてしまう。
ならばと、男の手に噛みつき、男が怯んだところで腕を振り解き逃げようと足を前に踏み込んだ。が、それと同時に視界がぐらりと歪み、平衡感覚が瞬く間に消失し声を出そうにも唇が痺れて、舌も上手く動かせない。
思考だけ明確なままふらふらとその場に倒れ込むと、男は無駄のない動きで魔法陣を発動させ私と共に見慣れぬ部屋に転移した―――
***
「上手く行ったか」
「あぁ、念の為手袋にしびれ薬を塗っていてよかった」
瞼を上手く開ける事が出来ないが、ぼんやりとした視界の中で、耳だけははっきりと聞こえる。ここへ連れて来た男ともう一人――――低音の特徴的な声が部屋に響いている。
「それよりも本当にこいつで合ってるんだろうな?」
「間違いない。ルナーラの高貴な家柄といえばこいつだ」
「弟もいなかったか?」
「女神といったら女だろ」
男達は何やら会話をしているが、女神という言葉を聞き逃さなかった。
「とりあえず連れて行けば分かるだろ」
私を攫った男に
建物は石でできているのか、ひんやりとした空気と砂っぽい匂いが鼻腔を掠める。
一番下についたのか、声が低い男が重たそうな鉄の扉を開けると、一気に空気が変わった。
暗闇と蝋燭が燃える臭い。壇上には誰かが座っており、私は床に投げ出されるように置かれた。
「「太陽神に栄光あれ」」
二人はすぐさま
響く足音がすぐ近くまで来た時、私は目を疑った。
私を見下ろすその男は、第一皇子アベル・ドゥンケルハイトだった。
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