第27話

「何故ここに居る」


 アベル殿下は私を押し倒したまま詰問きつもんした。


「……突然暗殺者が現れて……無我夢中で逃げていたらここに辿り着きました」


「鍵がかかっていたはずだが」


「わっ……分かりません。夢中で逃げ込んだものですから」


「夢中で逃げ込んだ先で読書にふけるとはな。随分と肝の座ったご令嬢だな」


 そう言ってアベル殿下は一瞬だけ本棚へと視線を動かし、すぐに私の目へと視線を戻した。


 想像よりも低い声が、第一印象の幼さを完全に否定する。


 服で覆われていない肩に直接触れる大きな手が、成人した男性である事を嫌でも認識させてくる。


「ここは皇帝しか入る事が許されない場所だ。極刑は免れんぞ」


「……では、アベル殿下も私と共に死刑台に上がるということでしょうか?」


 私がアベル殿下の胸を押し返しながら言い返せば、丸い瞳を更に丸めて驚いたような顔をし、私を押さえつけていた腕の力を弱めた。


「お前、いい度胸してるな。本当にただの貴族令嬢か? それとも、カインがどこかから雇った傭兵か? 確かにどこかで見覚えがあるような……」


 そう言うと、アベル殿下は完全に私から手を離し、私に馬乗りになったまま顎に手を添え、まじまじと私の顔を見つめた。


 私は少し着崩れたドレスの胸元を押さえながら、見上げるように睨みつけ言及する。


「入ってはいけない部屋だったとはいえ、仮にも皇太子殿下の婚約者を押さえつけるなんて、少し失礼がすぎるのではないでしょうか」


「知らない方がいい事を知っちまう前に助けに来てやったんだから、寧ろ感謝してほしいくらいだが?」


 そう言ってアベル殿下は憎まれ口を叩きつつも大人しく私の上から退き、立ち上がって私に手を差し伸べたので、私も疑いつつその手を取り、起き上がった。


「今日の事は忘れろ。俺も、お前も、書斎には入っていないし、会話もした事がない。分かったな?」


 会食で一言も喋らなかった人とは思えないくらい饒舌じょうぜつで、本当に同一人物かと疑いたくなる。


 私は無意識に怪しむようなジトっとした視線を送っていた。


「なんだよ」


「本当にアベル殿下ですか?」


「お前もなかなか失礼な奴だな。皇族侮辱罪で死刑にしてやろうか」


「想像していた方とあまりにも違いましたので」


「大人しい、ただの傀儡かいらいだとでもカインから聞いてたか?」


 吐き捨てるようにアベル殿下は言い放った。


 言い方から察するに、アベル殿下はカイン様に対してあまり友好的ではないのかもしれない。


「カイン様はそのような事仰りませんよ」


「あぁ、そう」


「何故、そう思われたのですか?」


 そう問えば、アベル殿下は少しの間動きを止めた。


「……アイツは俺の事が嫌いだろうからな」


 消えそうなくらい小さな声で溢れるように出た言葉は、静かな部屋の中で反響し、私の耳に届いた。


「何故――そう思われたのですか?」


「……まぁ、普通に考えたら俺のせいでもあるしな」


「何故、そう思われ」

「うるせぇな!お前それしか喋れねぇのか!!」


 アベル殿下は小さな声だが、怒鳴るように食い気味に声を被せて苛立ちを露わにした。


 確かにほぼ初対面の私が何でもズカズカと聞いたのが悪いのかもしれない。


 言い訳をするならば、ちょっと聞いて欲しそうな雰囲気を醸し出していたアベル殿下も悪いと思う。とは口が裂けても言えない。


「……カイン殿下は、アベル殿下が自分のことをどう思っているかを気にされておりました」


「……あぁ、そう」


 アベル殿下は私に背中を向け、入口の方へ向かい、静かに扉を開けて外の様子を確認した。


 アベル殿下が部屋から出た後、手招きをしてくれたので私も急いで扉の外に出る。


「おい、ちゃんと鍵も閉めとけよ」


 そう言われたので、私は来たとき同様に預かった鍵を使って扉の鍵をかけた。


 すると、アベル殿下は私の手元の鍵を見ながら呆れたように私を見下ろす。


「お前、あんまり俺の事信用するなよ」


 そう言うと、私が手に持っていた鍵を奪い取り、自らのポケットに閉まった。


「カインの事も、あんまり信用するなよ」


 付け加えるように言い足して歩き始めた背中に、私はついて行った方がいいのか、行かない方がいいのか迷っていると

「セレーネ!!」

 と、後ろからカイン様の声が聞こえたため、振り返った。


「セレーネ! 怪我はないか!?」


「はい、私は大丈夫です! カイン様もご無事そうで何よりです」


 私がもう一度振り返ると、アベル殿下の姿はもう無く、今度は皇帝陛下がカイン様が来た方角から現れた。


「襲撃があったそうだな」


 まるでいつものことかのように、護衛を後ろに数人付けて歩いてくる姿に焦りは感じられない。


「はい、どうやらセレーネを狙っていたようです。一体どこから入り込んだのか。一度、内部を洗ってみるのも良いかもしれませんね」


「ここにメンシス嬢が来る事が外部に漏れていた可能性は無い、と考えているのだな」


「内部との断定はしておりませんが、そういう可能性もあると考えております。前回の最終選別に残った令嬢方が襲われた件もありますし、内部調査の許可を頂けませんか?」


 カイン様がそう述べると、皇帝陛下はわざとらしく考える素振りをし

「いいだろう」

 と言葉を返した。


「必ず、犯人を捕まえてくれ」


 そう言って皇帝陛下はそこはかとなく笑みを浮かべ、カイン様の肩にポンッと手を置いた。


「はい、必ずや……」


 カイン様が胸に握り拳を添え、浅く頭を下げると、皇帝陛下は来た道を同じように戻って行った。


 護衛の騎士が持つ灯りが見えなくなった頃にカイン様は頭を上げ、細めた目で睨むように皇帝陛下が消えた曲がり角をじっと見つめている。


 その一瞬だけ見えた怨みの眼差しは私へ視線が移るとすぐに消えた。


「セレーネ、危ない目に合わせてごめんね。部屋まで送るよ」


 いつも通りの柔らかい笑みを浮かべて、申し訳なさそうにカイン様は私の手を取った。


「ありがとうございます」



 私達が部屋へ戻ると、部屋の前にはラホール卿が待っていた。


 私達と目が合うとホッとしたように肩の力を抜き、軽く会釈をした。


「ラホール卿、ありがとう。無事で何よりだ」


「いえ……仕事ですので」


 ラホール卿は私へ視線を向け、さりげなく上から下まで見た後、私が靴を履いていない事に気が付いたらしい。


 無言で‘靴は?’と聞くような視線を送ってきたので、私は視線を逸らして気が付かないフリをした。


「中にまだ暗殺者がいるかもしれないから、一度確認しよう」


 カイン様がそう言って私とラホール卿に眼を合わせた。


 言葉の意味としてはそのままの意味と、一度情報共有をしようという意味が含まれているのだろう。


 カイン様が扉を開けて中に入り、私達もそれに続く。


 カイン様が人差し指をふわりと回すと、部屋の灯りが付けられた。


 扉を閉めた後はラホール卿とカイン様がそれぞれ部屋の中を一周し、家具の裏や窓の外を調べ、怪しいものが無い事を調べた。


「……大丈夫そうだね」


 カイン様がそう言うと、ラホール卿も無言で頷いた。


 皆が部屋の中にある机の周りに集まると、二人の視線は私に注がれた。


「……カイン様が仰っていたような本の内容の確認は致しました。しかし、核心的な事は見つけられず。あと、気になる物としてこちらを見つけました」


 私はスカートの下にこっそり隠してあった千切れた二枚のページを机の上に置いた。


「日記のような内容なのですが……」


 カイン様は二枚の紙を覗き込んだ。


「ふむ。魔国という表記は初めて見たな」


「そうなのですね。ドゥンケルハイトの友とありますが……」


 そこまで言って、そういえばラホール卿に見られても良いのだろうかと気になった。


 これを知ったことによってアベル殿下も言っていたが死刑に片足を突っ込むことにならないだろうか?


 私がラホール卿の顔を見ると、ラホール卿は眉間にしわを寄せ

「あの」

 と珍しく発言の許可を得ようと手を上げた。


「どうしたんだ?」


 カイン様が問えば、ラホール卿は私達二人の顔を交互に見た。


「これ、帝国語ではないですよね。一体何と書いてあるのですか?」


 私とカイン様は「?」と頭にクエスチョンマークを浮かべた。


「え、普通に読めるけど、帝国語ではないってどういう事?」


「そのままの意味です。私にはぐにゃぐにゃの虫が這ったような跡にしか見えません」


 私とカイン様は顔を見合わせた。


 どういう事? と私とカイン様が同時に紙に触れた時だった。


 私とカイン様の手がまるで底なし沼に捕まったかのように、紙の中に吸い込まれた。


 瞬時にラホール卿が私達の反対側の手を取ったが、あまりにも強い引力に二人の身体は一瞬にしてほぼ全身吸い込まれてしまった。 ギリギリまで抵抗したラホール卿だが、ラホール卿の手だけは紙に吸い込まれなかったのか、掴んだ手を机に打ち付ける音が聞こえた。


 そして、手が離れたと同時に私とカイン様は、紙の中の暗闇へと落ちて行った。

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