第26話
カイン様に皇宮内を案内してもらうという名目で、何処が何の部屋か、どういうルートで皇帝の書斎に忍び込み、ドゥンケルハイトと月の女神について詳細を調べるかを整理していたら気がつけば夜を迎えていた。
夜は皇帝陛下とカイン様、そして第一皇子であるアベル殿下と共に食事をする事になっており、私とカイン様が先にテーブルについて待っていると、時間に少し遅れて皇帝陛下とアベル殿下が入ってきた。私は慌てて立ち上がり二人を出迎える。
「皇帝陛下、アベル殿下にご挨拶申し上げます」
アベル殿下は皇務でも人前に出てくることは無かったため、もちろん顔なんて見た事が無かった。
しかし、入ってきた皇帝陛下のすぐ後ろに陛下そっくりな顔の男性が付き添っていたため、すぐに彼が第一皇子のアベル殿下だと察した。
「待たせてしまったね。遅くなって申し訳ない、どうぞ座ってくれ」
皇帝陛下はにこやかにそう言って席に着いた。
続いて席に着いたアベル殿下は表情を変えず目を伏せたままで口を開く気配は見られない。
––––アベル殿下はカイン様よりも年が一つ上らしいが、童顔なのか少し幼く見える。元皇后陛下と同じ真っ赤な髪色をしており、伏せ目がちでも分かる大きく綺麗な二重とスッと伸びた鼻筋。
イケメンであることは間違いない。
全員揃ったところでメイド達は皆のグラスにワインを注いだ。
「では、カインの婚約を祝して、乾杯」
皇帝陛下はそう言ってグラスに口をつけた。それに倣って皆が口をつける中、私は口をつけ、飲むふりをした。お酒に弱い事もあるが、敵陣で銀の食器を介さず物を飲み込むのはダメな事と学んだからだ。
「ところで……」
そう言って皇帝陛下はカイン様へ顔を向けた。
「国民への正式な発表はいつにするんだ?」
「ひと月後の建国祭での発表を考えております」
「確かに、それが良いだろうな」
カイン様と皇帝陛下が婚約式に向けて話をしている間、アベル殿下の様子が気になり、視線を向けた。
アベル殿下は表情のないまま、無言で食事を進めている。
よくよく考えれば、アベル殿下も親に振り回された被害者の一人なのだ。
一般的な情報では、アベル殿下を皇帝にするためにアベル殿下の母である元皇后がカイン様のお母様を殺害し、カイン様をも殺害しようとしたが失敗に終わる。数年後、逃れていたカイン様が皇宮に戻ってきた事によって、元皇后は罪に問われ、アベル殿下も立場を追われ現在に至る。
今まで聞いた事が無かったが、二人はやはり仲が悪いのだろうか。
どちらかが日の目を見ればどちらかが影を見る。
政治上そうならざるを得ないのだろうが、少しだけ、アベル殿下に同情する。
会食の間、結局アベル殿下は一言も喋らなかった。
会食の後、カイン様に誘われて中庭を二人で歩くことになった。
アベル殿下との関係を聞いて良いのか悪いのか分からないが、聞かない方が逆に不自然ではないだろうか? と、隣を歩くカイン様に問いかけた。
「……カイン様は、アベル殿下の事をどのように思っているのですか?」
カイン様はいつもの仮面をつけているため表情が分かりにくいが、少し悩んだように、言葉を返した。
「私も、兄が私の事をどのように思っているのか気になっているよ。話した事はほぼ無いからね」
皇太子カイン殿下としては今はこのように返すしか無いのだろう。
本音を話せないここで何を聞いても意味が無い事は分かっている。
表面上かもしれないが、皇帝は私たちの事を祝福してくれ、カイン様との関係は良好そうでアベル殿下の方が謀反を起こしてもおかしくない立ち位置にいるのを目の当たりにして、私たちは今何と戦っているのか分からなくなりそうだった。
ドゥンケルハイトは戦争を永遠に続けるのが目的だというが、ルナーラの戦場から離れたここにいると、何も問題は無いような錯覚を覚えてしまう。
このまま、何事もない日が続くなら……それではダメなのかしら––––
その時だった。
どこからか飛んできた矢が足元に刺さった。
反射的に飛び退いたから無事だったが、気が付かなかったら頭を貫いていただろう。
「ッ!?」
「セレーネ! 屋根があるところまで走って!」
それを聞いた私は動きにくいドレスのスカートを持ち上げ一生懸命に走った。
本当に突然夢から覚めたようだった。
首都からルナーラへの帰り道で襲撃にあった時、網膜に映り込んだ映像が脳裏を過ぎる。
「――お嬢様!」
庭園の出口で待機していたラホール卿が現れ、出口付近に潜んでいた暗殺者らしき二人へと切り掛かるのが見えた。
私はその横を真っ直ぐに通り抜け、皇宮の中へ駆け入る。走りながら自分の甘さを実感し、呆れるように上がった息と共に乾いた笑みが漏れた。
***
五時間前。
カイン様に皇宮内を案内してもらう前に、泊まる予定の部屋へ連れて行ってもらった時のこと。
カイン様が机に両手を当てると机の上に皇宮の地図が浮かび上がった。
魔力で水色に光るラインが間取りを表しており、私たちが今いるだろう場所は赤く点滅している。
「すごいわ……」
思わず口から感嘆の声が漏れた。
これ程正確な縮尺で立体的な地図と私が付けているブレスレットの技術が合わされば世の中は大きく変わる事だろう。
「皇宮は中央、北棟、東棟、西棟に別れていて、私たちが今いるのが西棟の別宮と呼ばれている場所だ。北棟にある皇帝の書斎まで行くには中央を経由しないといけない。子供の頃は私も北棟に部屋があったから書斎までは忍び込みやすかったが、北棟に入れるか入らないかで今回の
カイン様は真剣な眼差しで私とラホール卿を交互に見た。
「魔法を使うと痕跡でバレる可能性があるから正攻法で入り込むしか無い。十中八九、セレーネが皇太子妃の可能性がある以上、皇宮にいる間にまた命を狙われると思う。私とラホール卿で襲撃犯への対応をするから、どさくさに紛れて北棟の皇帝の書斎へ向かって欲しいんだ……」
***
私は走りにくいヒールの高い靴を脱ぎ捨てた。暗殺者から逃れる名目なら許されるだろう。
頭に叩き込んだ地図を辿り、北棟の三階まで駆け上がる。
警備兵は暗殺者が現れた中庭へ向かっており、びっくりするほど簡単にここまで来る事ができた。
私は静かに且つ急いで書斎へと向かう。
書斎は鍵がかかっていたが、カイン様から預かった鍵を使えばすんなりと開ける事ができた。
静かにドアを開け素早く中に侵入すると、窓のカーテンは開けられたままで、月明かりで部屋の輪郭が何となく分かる。
正面には仕事用の机があり、左側には本棚、通路、本棚と本を読むための部屋になっているかのようだ。
私はカイン様が昔見たと言っていた一番奥の本棚へと向かった。
下から二段目、確かに子供の目線では見つけやすいだろう位置にその本はあった。
〈月の女神の神隠し〉
私は静かにその本を開いた。
〈闇の帝王ドゥンケルハイトに敗れた月の女神は太陽の裏へと隠れた。
闇の帝王は太陽に嫉妬した。
時の止まった国は同じ時を繰り返した。
戦いが始まり、終わると忘れたようにまた始まる。
それに嘆いた月の女神は使者を遣わせた。
神の子として月の女神を信仰する民の元へと預けた。
しかし、闇の帝王はそれを見つけるとすぐに殺した。
月の女神は見つからぬよう何度も隠した。
この戦いに終わりがくるのはいつになるのだろう〉
本はここで終わっている。何も知らず読んだらただのお伽話にしか思えない内容だ。
読んだ事がバレないように本棚に戻そうとしたら、本の後ろに二枚ほど千切れた本のページを見つけた。
〈ドゥンケルハイトは暗い魔国に住んでいた。
一人静かに本を書くのが好きだった。
ドゥンケルハイトは友だった。
ルナをおいて出ていった。
魔国は愛が無いと暮らせない。
彼は帰れなくなったのか〉
このページが付いていた本を探したが、どこにもそれらしき物は見当たらない。
タイトルも誰が書いたのかも分からないが、やけに記憶に残る文章だ。他にも何かそれらしい本のタイトルを探していた時だった。
本を探すのに夢中になりすぎていたらしい。誰かの気配を感じ振り返ると同時に大きな手が私の肩を掴んだ。勢いよく私を床に押し倒し、背中に痛く冷たい衝撃が走る。
「痛ッ……!」
思わず小さく声が漏れた。
「誰だ」
真上から低く籠るような、知らない男性の声が浴びせられた。その揺れる赤い髪には見覚えがある。
アベル殿下は眉間に皺を寄せ、怪訝な表情で私を見下ろしていた。
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