第10話

 私は少しだけ寝ようとベッドに入ると、部屋のドアがコンコンコンとなり

「セレーネ!いるか?」

 とお父様の声がした。


「どうしました?」

 ドア越しに聞くと、声を聴くや否やドアが開き、お父様は寝起きなのか、髪の毛が天を向いた状態のまま部屋に入ってきた。


 ベッドに入っている私を見て、ほっとしたような顔をし、いつものお父様の雰囲気に戻った。


「いや、すまない。さっき物音で目が覚めて魔法版をみたらお前の反応が無くなっていたから慌てて確認にきたんだ」


 そう言ってお父様はもう一度魔法版を手に持つと、通常通り赤い光がピコピコと光っていたため

「おかしいなぁ」

 と首を傾けた。


 私も一体何故と不思議に思ったが、高い魔力のものを近づけると狂うという事を思い出し、カイン様自身がそういう存在なのでは?と考えが行き着いた所で一気に冷や汗が噴出した。


「お父様、寝ぼけていたのでは?」


「うーん、そうかなぁ」


「今日はもう領地に帰る日ですし、もう少しお休みになってはいかがですか?」


「うーん、でも、壊れていたら困るし、出発の時間まで一度点検してみるよ」


 お父様はそう言い、私の頭をひと撫でして部屋から出て行った。


 私は布団を被り、危なかったー!と心の中で絶叫し、親に言えない悪い事をしてしまった罪悪感でいっぱいになったが、後悔しているわけではない。


「そうよ、これは逢引とは違うわ……純粋なる駆け引きよ……勝利を得るには情報が必要……」


 眠気を振り落として、今日得られた情報を思い返してみた。


 皇太子が実は古代レベルの力を持つ魔法使いという事と、何故か私へ嘘か真か好意を向けてくる事、そしてこれらの真意を知るには紺色の髪の少年に会う事が必要となる事、くらいだろうか。


 終始、彼のペースに乗せられていた事実を踏まえると、一番確実な情報は、彼は駆け引きと人をたぶらかす才能を持ち合わせているという事だろう。


 大した情報が無いような、重大な情報のような、考えるのが億劫なのはやはり眠気のせいだろうか。


 帰りの馬車で考えればいいやと、私はとりあえず布団を被り、誰かに起こされるまで寝ることに決めた。


 ***


 首都を出てから二日目の夕刻となった。


 もう馬車はルナーラの領地に入っており、一晩泊まって明日中には家に着くだろうとほぼ帰ってきたつもりでいる。


 山賊などの危険もあるが、奴らもリスクに対するリターンの計算くらいはする。


 メンシス家の帝国一の騎士達が護衛する馬車というリスクに対して、乗っている領主は金目の物を持っていないというローリターン。


 山賊からすれば最も避けたい通行人だろう。


 一番気を付ける相手は敵国の暗殺者だが、暗殺者の集団が首都北部のルナーラを超えて中央である首都へ行くことは困難を極める。


 それをさせないためにお父様達が莫大なお金を注ぎ城壁を築いたのだから。


 稀に数人が包囲網を潜り抜けることもあるが、数人でできることは少ない。


 こちらの騎士に対抗するには数の勝負でしか勝ち目は無いし、相手もその事を良くわかっている。


 つまり、私たちの帰路は帝国で最も安全な道と言えるだろう。


 お父様は今や敵国よりも危険に感じていた皇宮から距離が遠くなるにつれて朗らかになり、家族旅行のような気分で今に至っている。


「二人とも、そろそろ疲れてきただろうし、一度休憩しようか。近くに綺麗な湖があるんだよ」


 そう言ってお父様は馬車の窓を開け、護衛と御者に止まるように伝えた。


 馬車から降りると、そこは見通しの良い原っぱだった。


 少し行った先に森があり、お父様曰く、そこに綺麗な湖があるらしい。


「んー!」


 私は大きく背伸びをして息を吸い込んだ。


 暖かい空気が肺に入り込み、新緑の匂いが私の中を満たしてくれるようで心地良い。


「湖はあそこにあるのですか?」


「あぁ、あの森はほぼ湖だから、入ったらすぐにわかるよ」


 私はリフレッシュのため散歩がしたくて仕方がないが、お母様は馬車から降りるとそのまま地面にへたり込んだ。


「あー……私は少し酔ったみたいだわ。ここで待ってるから、セレーネ達は行ってきていいわよ」


「ネラ、しんどそうだな。気が付かなくて悪かった。私もここで一緒に待つよ。ラホール、悪いがセレーネに付いて行ってやってくれ」


 ラホール卿は

「分かりました」

 と頷き、乗っていた馬から降りた。


「リリーも一緒に行こう!」

 と、リリーの方を見ると、リリーもお母様同様に座り込み

 「申し訳ありません……」

 と今にも吐きそうな様子で答えた。


「あー、ごめんなさい。リリーもお母様達と一緒に休んでて。冷やしたら良くなるかもしれないし、湖でお水を汲んでくるわ!」


 私は空になった皮革の水筒を持ってラホール卿と共に歩いて森に向かった。


 森の中は木漏れ日が美しく差し込み、湖の水面はキラキラと輝いている。


 精霊が住むとしたらこういうところにいるのだろうと、足を踏み入れるのを躊躇うくらい綺麗な場所だった。


「すごい……こんな場所があったのね……」


 感嘆の声を漏らしながら湖に近づき、底が見えるくらい透き通った水の中に手を入れてみると、皮膚が引き締まるように冷たく、そのまま水を手で掬い一口飲んでみる。


「冷たくて美味しい!」


 この感動を誰かに伝えたくて、ラホール卿の方へ振り返ると、ラホール卿も私の隣へ腰を下ろし、ガントレットを付けたまま、上手に水を掬って口に入れた。


 私はその様子を見て、そういえば! と扇子をラホール卿から貰ったものだとお母様が誤解したままだったことを思い出した。


 言うべきか言わざるべきか……


 とりあえず相手の様子を伺う会話のジャブから入ろうと目についた適当な話題を投げかけることにした。


「ガントレットを付けたまま水を掬えるのね!やっぱり鉄と違ってミスリルは錆びにくいの?」


「ええ、これには速乾の作用と軽量の作用がある魔石をはめ込んでいるんです」


「へぇ!そんな事ができるのね!」


「どうせなら、盗難防止になる魔石にしておけばよかったですけどね」


 会話のジャブを打ったつもりがノーガードの私にボディーブローを打ち返された。


 ラホール卿は水筒に水を入れながら、急に言葉が返って来なくなった私を見て心なしか笑っているような気がする。


「そういえばお嬢様、ガントレットを持って行った理由をまだ聞いていませんでしたね」


 表情に出さないので分かり難いが、いつもの死んだ魚みたいな目ではなく、人をからかうことを楽しむような生き生きとした目の色をしている。


 私は覚悟を決めて

「ラホール卿、あのね」

 と罪悪感の根源を全て吐き出すことにした。


「私、扇子が無くて困ってたじゃない?そしたら、街で会った魔法使いの人……覚えてる? あの人から突然扇子が届いたのよ。一応怪しいし、実はテロリストで爆発なんかしたら困るから頑丈な物で保護しなきゃと思って、それでラホール卿のガントレットを拝借致しました」


「なるほど、そういう経緯ですか」


「それで、まだ続きがあるのだけど……扇子は翌日お父様に危険は無いって調べてもらえたから、ありがたく使わせていただこうと思ったのだけれど、その……お母様はあの扇子はラホール卿からのプレゼントだと思っているのよ。私もさすがに怪しい魔法使いから貰ったと訂正できず……巻き込んでごめんなさい」


「あー……そういうことですか。最近侯爵夫人が私に意味深な笑顔を向けてくる理由が分かりました」


 ラホール卿は皮革の水筒に水を入れている手を止め、納得したように返事をした。


「私にできる範囲でなら何か謝罪をさせていただきます……」


 私は気がついたら両ひざをついて膝の上で拳を握りしめていた。


 地面はふかふかの草が生えていて、思ったよりも膝は痛くない。


 ラホール卿が私の方へ向き直り、正座をする私の前に手を差し出すのを、私は顔を伏せたまま気配で感じ取った。


「お嬢様、冗談です。私はもう怒っていません。ただ、少し悔しかっただけです。だからそのように目下の者に謝るのはやめて下さい。誰かに見られでもしたらどうするんですか」


 ラホール卿はそう言って、私を立ち上がらせた。


 そして、胸元から少しつぶれた箱を取り出して私に渡し、今度はラホール卿が片膝をついて目を伏せた。


 何が入っているのかは何となく予想がついた。


 というのも、数日前に同じような箱を見たからだ。


 箱を開けると、薄いピンク色をしたレースの可愛らしい扇子が入っていた。


「え、これ……どうしたの?」


「もう遅いかと思いますが、私が持っていても仕方がないので受け取って頂けると幸いです」


 ラホール卿は顔を下げたまま、耳を赤くして答えた。


「い、いつこれを用意してくれたの?」


「扇子を忘れたと言われた日の夜に、閉店していた店を開けてもらいました」


「なんで、そこまでしてくれたのに渡してくれなかったの?」


「それは……私がいない間にガントレットが無くなっていたり、お嬢様は高級そうな扇子を既に持っていたり、いろいろあって渡せませんでした。なので、まぁ、侯爵夫人の解釈は間違ってないです」


「そんなこと、私知らなくて……ありがとう……嬉しい」


 私は気がついたら視界が滲んで揺れていた。


 こんなに心のこもったプレゼント、嬉しくないわけがない。


 ラホール卿は泣く私を想定していなかったのか、柄にもなく狼狽えながら立ち上がり、慣れない手つきでハンカチを渡してくれた。


 私はそれがまた嬉しくて、言葉にならない感謝の言葉を嗚咽と共に吐きながらハンカチで必死に目元を抑えた。

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