第16話

 リヒトの口から出てきた言葉は予想を遥かに超えていて、私はリヒトの手を握る力が強くなっていた。


「公には事故死ってことになってるんだけど、俺は犯人がその人だって知ってるんだ。多分、俺の父親もそうだと分かってるけど、死んだ方が負けだと言わんばかりの態度で、俺もいない者としてただ生かされてるだけだった。使用人たちもその頃から急に態度が変わるんだ。だんだんと周りから人が離れていって……もしかしたら俺が居なくなった事に気づいてすらないかもな」


 視線を地面に向けたまま、リヒトは感情を抑え込む様に淡々と言葉を紡ぎ続けた。

 

「何で俺の母親が殺されたんだろうって考えてると、それまで何も聞こえなかったのに、急に周りの声が聞こえるようになるんだよ。皆、側室である母上の存在は悪で、正妻である義母は被害者のように話してた」


 リヒトは握っていた私の手を自分の頭に触れさせた。


 伸びた前髪がすだれの様に視界を塞いでおり、太陽の下で見る髪の毛は深い水の底のように蒼く、とても綺麗だ。


「髪の色、おかしいだろ?母親は銀髪で父親は青色なんだ。俺も最初はシルバーと青が混ざったような薄い青色だった。でも、母親が亡くなってから少しずつ色が変わり始めて、去年くらいから全体がこの色になった。もし、俺が父親の子ではないと噂が広がったら家から追い出されるかもしれないと思って、出歩くときはマントを被ったり、こっそり髪を染めて隠してた。幸い、人に会う事はほぼ無いから誰にも気づかれなかったけどね」


 そう言って苦しそうな笑顔を見せた。


 まだ十一歳なのに、父親が違うかもしれないと糾弾される事を恐れなければならないなんて、どんな環境でどんな大人の話を聞いて育ってきたのだろうか。


 深い悲しみを背負ったリヒトの心の内は私には決して全てを理解することはできないのだろう。


 それがとても歯がゆく、何故だか私の方が泣きそうになってきた。


「その頃から自分に魔法が使えることに気付いた。魔導書は父親の書斎にあるかもしれないと思って毎晩皆が寝静まった時間にこっそりと部屋へ忍び込んでは魔導書を読み漁った。そうしているうちにまた一つ気付いたことがある。俺、暗闇でも本が読めたんだ」


 私はどういう事? という顔でリヒトを見つめた。


「ばれないように光を付けずに書斎に忍びこんで、本を読んでいたんだけど、カーテンの閉まった暗闇の中で文字が読めるなんておかしいだろ? 俺、思ったんだ。人を憎みすぎて自分が闇に飲まれていってるんじゃないかって……恐ろしかった……自分が自分では無くなっていくような気がして……」


 リヒトは後半にかけて表情を強張らせていたが、少し間を空けた後大きく息を吸い込み、言葉を続けた。


「それで本を読んでいくうちに知ったらいけないことを知ってしまって、俺は今ここにいるって感じかな」


 最後のここに居る理由の部分がやけにあっさりと省略されたが、リヒトがここまで自分の事を話してくれた事が、私を信用してくれているみたいで嬉しくて、それ以上聞くことは望まなかった。


「そうだったんだね……話してくれてありがとう」


 私は何を言ったらいいのか分からず、ゆっくりとリヒトの頭を撫でた。


 今まで辛かったね、よく頑張ったね。


 どれも私が言葉に出すと陳腐ちんぷに感じて、本当にかけるべき言葉が見つからないまま頭を撫で続けた。


 頭を撫でるなんて、いつものリヒトなら恥ずかしがって子供扱いするなと振り払っていただろう。


 しかし、今のリヒトは俯き気味に前髪で顔を隠し、私の手が上下するのを受け入れていた。


「まぁ別に……もう一人で生きていけるって思ってたところだったから。自分で転移魔法陣書く手間が省けて丁度良かった」


 フンと鼻を鳴らし、いつものように強気な声色で呟いた。


「そっかぁ~」


「でもまぁ、ちょっとだけ……」


「ん?」


「ちょっとだけ、お前が大切な人からだって躊躇なく言ったのを聞いて、羨ましくなった」


 大切だと思える人がいるという事だろうか?


 私にとって、何よりの心のよりどころである家族という存在は、リヒトにとって本当に苦しい場所だったのだろう。


「リヒト、前にも言ったけど、私の家に一緒に帰ろうよ。私にとって、リヒトももう大切な人だよ」


 さっきまで平気そうに話していたのに、私の言葉を聞いたリヒトは急に小さく唇を震わせ

「……だよ」

 と何を言っているか聞こえないくらい小さな声で呟いた。


「何って?」


「無理だよ」


「何で無理なの?」


「今はまだ、無理だ。俺をかくまってることがバレたら何をされるかわからない……」


「何だ、そんなこと? うちの家、結構強いわよ? 大体の事は力でねじ伏せられるから心配しないで」


「そんなレベルの話じゃないんだ。……ごめん、これ以上は言えない。俺にとっても、セレーネは大切な人なんだ……」


 さっきまで開いていたリヒトの心が再び閉じて行ってしまうような気がして、私は静かに口を閉じた。


 リヒトはそんな私の様子を見て無理に笑顔を作る。


「今はって言っただろ? 俺がもっと魔法も剣も強くなって、あいつらが簡単に手出しできない状況になったらまた会いに行くよ。うん。このままここでひっそり生きるのもいいかと思ってたけど……またセレーネに会いたいって目標が出来た」


 そう言って、今度は作り笑いではなく、全てを振り切ったような清々しい笑みが向けられた。


 そよそよと流れる風がリヒトの前髪をかき分けた。


 青い瞳の奥に木漏れ日が移りこんでキラキラと光って見える。


 揺れる木々の隙間から紺色の髪に光が散り散りに差し込み、その光景はまるで星が降る夜のようだった。


「綺麗……」


 無意識だった。


 私から零れ出た言葉を聞いたリヒトは、一瞬驚いたようにクリリと目を見開いて、どう受け止めたか分からないが、顔を真っ赤にして腕で口元を隠すように素早く動作した。


「お前な……そういうとこだぞ……」


 顔は赤いまま、睨みつけるように言うが何も怖くない。


「だって……思ったら口から出てたんだもの」


 リヒトのリアクションがあまりにも初々しく、可愛らしく見え、こっちもつられて両手で口元を覆い隠しながら赤面した。


 こちらの表情を伺うようにリヒトは横目で見た後、意を決したように言葉を紡いだ。


「……この際だから言うけど、セレーネと会ったあの夜、暗いはずの森の中でセレーネが光って見えたんだ」


「ふふ、何それ仕返しのつもり?」


「違うって。本当に、そのままの意味」


 リヒトは自分の口を覆っていた右手で横向きに切る様に私の方へ振り切り、強い否定を示した。


「俺、暗闇でも周りがはっきり見えるけど、明るい場所と暗い場所の違いはちゃんとわかるんだ。あの時のセレーネはぼんやりと光を纏ってて、眩しいわけでもなく、蝋燭が灯る程度の灯りだけど、暗闇の中で思わず安心するような灯りをしてた」


 リヒトがずっと疑問に思っていた現象だったのだろう。


 お互いが自分の必要最低限以外の事を黙秘していたため、不可思議な事が自分の能力に起因した現象なのか、相手の能力の一部なのか分からず、このような聞き方になったのだろう。


 私としては自分が光りながら彷徨っていた実感は無く、リヒトが納得するような答えは持ち合わせていなかった。


「うーん。転移された時の名残かしら?私は自分がそんな風になってるなんて分からなかったけど」


「転移のせいじゃないと思うけどなぁ……そもそも転移魔法は光を触媒としないし……心理状態からの見間違いと言われたらそうかもしれないし……」


 ぶつぶつと一人で考え込むリヒトの肩をぽんと叩き、私は立ち上がった。


「気づいたらもうお昼ね!そろそろご飯の準備しない?」


 屋敷と違ってここでは食べたいときに料理が出てくるわけではない。


 その日に新鮮な物を狩って調理する必要があるため、お腹が空いてから準備を始めると遅いのだ。


 最近はリヒトが大人しくベッドで一緒に寝るようになって二人共疲れが残り難くなったが、精神の安定のためにも睡眠と食事は毎日きちんと取らねばならない。


 体力とメンタル、二つ揃えることで今日を生き抜く力となるのだ。


 剣術と共に学んできた‘戦場での生き方・指導者学’はお母様から『いつ使うの?』と呆れられていた趣味だが、今とても役に立っている。


 リヒトもまだ考え事の途中の様だが、私に続いて立ち上がり、難しい顔で考え事を続けながらついて歩いて来た。



 明日もきっと、今日のような一日が続くのだろう。


 いつまで今日のような日は続くのだろう?


 何かきっかけがあれば明日という日は百八十度変わるかもしれないが、今はまだ今日という日が明日も続いて欲しい。


 その日は久しぶりに月の女神様にお祈りをして眠りについた。

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