番外編③ ラホールの憂鬱  35話裏話

「おかしいんだ。兄上が言っていた元皇后の事も、皇妃である母上のことも全然思い出せない。母上が皇后の手によって殺されたってことだけはこんなにもはっきり覚えているのに……」




 魔国から戻ってきた二人にはさすがに疲労の色が見えた。


 ラホールは、何も出来ない歯痒さから強張ろうとする顔の筋肉を緩めようと必死に抵抗する。


 平常心、無我、冷静。

 主人を護るという大義を忘れないように――――剣筋が乱れないように――――ラホールは精神面においても研鑽けんさんを積んできた。それでも、全てにおいて自分よりも上だと思っている相手の見慣れない弱さを前に、戸惑いを感じずにはいられなかった。


「……殿下もお嬢様も今日は少しお休みになっては如何ですか?」


 ラホールは張り詰めた空気に耐えきれなくなり、さり気無く提案したが、カインの口から気遣いの様なネガティブな言葉が発せられるたびに、セレーネの表情の温度が下がっていく様子を、ラホールはヒヤヒヤしながら見ていた。


(お嬢様、頼むから怒らないでくれ。優しい言葉をかけてあげてくれ。本当に頼むから。マジで頼むから)


 ラホールの懸命な願いが届いたのかはわからないが、セレーネは一度大きく深呼吸をして二人に背中を向けた。


「では、私が先にお風呂借りますので」


 そう言うと、フンッフンッと鼻息が聞こえてきそうな勢いで、セレーネは早足で浴室の方へと消えていった。


(よかった……でも、確かに殿下のネガティブが続くとめんどくさくもなるか)


 今まで無条件に領地の人々から好意的に接してこられていたセレーネが、役立たずと自責してしまうカインの今の気持ちを、心から理解してあげることなどできないだろう。


(こういう時は適当に、ただ寄り添う言葉をかけるだけで男は単純に励まされるものだが、お嬢様がそんな男の扱い方なんて知るわけないし……知っててもそれはそれでなんか嫌だし……)


 ラホールが涼しい顔をして考えている横で、カインは、やってしまったと後悔するように大きなため息を吐いた。


「あー……ダメだ。こんなんじゃダメだ」


 カインはソファーに背中を預け、腕で目を覆うように天井を見上げる。


「……すごいネガティブな気持ちになって……切り替えようとしてるのに、モヤモヤが晴れない……」


「……少し、席を外しましょうか?」


 ラホールはカインが独り言を言っているのか、自分に話しかけているのか分からなかったので、気遣いに聞こえるような言葉を投げて様子を伺った。


「いや……今は一人になりたくない……」


「……なら、お茶でも入れましょうか?」


 ラホールが思考を巡らせて言葉を返すと、カインはプッと吹き出して笑った。


「ラホール卿が入れてくれるの?」


「……メイドを呼びましょうか?」


「いや、違う。そう言う意味じゃない。君が気遣ってくれるのが嬉しくてね」


 カインは少しだけ口角を緩ませ、困ったように笑った。


「ラホール卿は、俺のこと嫌いだと思ってたから」


「? どうしてそう思われたのですか?」


「逆の立場だったらそう思うから」


 カインが反応を伺うようにラホールの目を見つめると、ラホールは、あぁと全てを理解したように青い瞳から視線を逸らした。


「カイン殿下とお嬢様のことは祝福しております」


「……からの?」


「かっ、からの……とは……?」


「それでも諦めません的な」


 ラホールは何が正解かわからずカインに視線を戻した。青い目は探るようにラホールを射抜くものの、どこかいたずらっぽく反応を楽しんでいる。


「何をおっしゃっているのかよくわかりませんが……私は本当に心から祝福しております」


「そういう言葉を言わせたいわけじゃない」


「じゃあなんて言ってほしいのですか?」


 ラホールも段々と面倒臭くなり、初めて思考を介さずに言葉を返した。


「……君に、俺が闇魔法を使うところを見られたから、警戒してるんじゃないかと思って……。何でもいいんだ。建前なく話せるならそれがいい。もちろん、セレーネを渡すつもりはないけど、君と俺は少し似てる気がしたから……」


 支離滅裂で、話が繋がらなくて結局何が言いたいのか分からない。大丈夫か? と心配半分に顔を見れば、今まで見たことのない表情で本人も困惑していた。


(あぁ……分かった。この人、実はすっげぇ不器用なんだ……)


「つまり……私とも仲良くなりたいと受け取ってもよろしいですか?」


「うん……まぁ……そうだね……」


「そのためにお互いの共通点であるお嬢様の話題を……?」


「そう……だね……」


 カインは恥ずかしそうに顔を背けるが、黒い髪の間からは紅潮した耳がのぞいている。


 お互いが好きなものを語り合うことが目的だったのか? 恋愛話で距離を詰めたかったのか?

 

 真意まで聞くのはさすがにはばかられるが、どう考えてもこの話題は目的に相応しくはないだろう。


「てっきり私は脅されているのかと……」


「ははっ! 三割くらいはそうかもね」


「…………」


「嘘だよ、冗談だ! ただ……」


 カインは突然真剣な顔でラホールを見つめた。


「ただ……もし……俺が俺じゃなくなった時、迷わず俺のことを殺してほしい」


 唐突な発言に、さすがのラホールも一瞬目を見開いて驚きを露わにした。


「……約束してくれ」


 ラホールはすぐに表情をいつものポーカーフェイスに戻すが、言葉はすぐに出てこなかった。


 お互い見つめ合ったまま沈黙が続いた。


 返事をしなければ、カインがまた冗談だと言葉を続けるかと思ったが、カインはラホールから目を逸らさず、ラホールの口が動くのを待っている。


 ラホールは本気かよ、と思うと同時に思わず笑ってしまった。


「……無茶を言いますね」


「だからお願いしてるんだ」


「気持ちの問題じゃなくて、物理的に無理です」


「君にできなかったら誰に頼めばいいんだ?」


「ご自分でどうにかしてください」


「出来ないから頼んでるんじゃないか」


 言葉を返せばまたすぐに言い返してくる押し問答にラホールは思わず顔をしかめた。


「ラホール卿。君って意外と分かりやすいね」


「どうもありがとうごさいます。初めて言われました」


 やりとりの途中で浴室からシャワーの音が止んだことに気づき、

「お嬢様の着替えを持ってきますので」と言ってラホールは逃げるようにその場から去ろうとしたが、ドアに手をかけた背中に


「約束したからね」


と、ダメ押しの一言を投げられた。


 ラホールはため息をグッと飲み込んで

「かしこまりました」とおざなりに返事をして部屋から出た。



 着替えを持って脱衣所に入ると、カインの手によってすでに薬湯が用意されており、浴室から聞こえるシャワーの音を聞きつつも、そちらを見ないようにラホールはいそいそと脱衣所を後にした。


 本来ならリリーも世話係として連れてくるべきだったが、お嬢様が「ラホール卿がリリーの代わりをしてくれたらいいじゃない!」と何も考えずに言ったからこんなことになっている。


「はぁ……」


(実質、俺は三人の世話係になってないか?)



 

 そして、この後、セレーネが浴室から戻ってくることはなかった。


 〝皇太子の婚約者が誘拐された〟


 内密に処理されてはいたが、カインの焦りと怒りは凄まじく、皇帝の元へと乗り込んで行ったほどだった。


 この行動が、後のルナーラの戦況に関係してくるとは誰も想像しなかった。

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