第14話
濡れた服を木の枝に干し、網にかかった魚を焚火で焼き、食べ終わる頃にはもう夕方だった。
「早く帰らないと真っ暗になっちゃうね」
ある程度渇いた服を着て帰り支度を始めながら言うと、リヒトは
「あぁ、そうか、そうだよな」
とまるで今まで気づきもしなかったかのように答えた。
小屋に着くころにはすっかり日が沈んでいたが、リヒトは道に迷う事なくまっすぐ小屋まで先頭をきって歩いてくれた。
この一週間で小屋周辺の地理に詳しくなったのだろうか。
日が沈んでしまうと方角がわからなくなるため、リヒトがいなければ私はきっと一人では小屋まで帰って来られなかっただろう。
リヒトは小屋のかまどに火をつけ、まだ乾ききっていない靴を前に置いた。
私も少しだけ湿ったブーツを脱いで座ると、汚れた床のおかげで足の裏は真っ黒だ。
「明日は狩りに行った後、この部屋の掃除もしたいわね」
「それよりも、薪を持って帰るの忘れてたから、そっちの方が緊急かもな」
「じゃあもう今日は火を消して早めに寝る?薪がもったいないし。靴は明日には乾いてるわよ」
私が提案して再び壁にもたれかかると、リヒトは
「おい」
と言ってベッドを指差した。
「今日はお前がベッドで寝ていいぞ」
「えー、いいよ、私座って寝れるから」
「女を床に寝かせて俺が一人でベッドに寝るのは気が引けるからお前が寝ろ」
「リヒト、昨日しっかり眠れてないでしょ? お姉さんの言う事は聞いとくものよ~」
そう言って私は目を閉じたが、リヒトは私の横までやってきて、抱き上げようと背中と膝の裏に手を当てた。
そんな細腕に抱き上げられるわけがないと高を括って、鼻で笑ってやろうと片目を開けると、リヒトは軽々と私を持ち上げ得意げな顔を見せた。
驚いて体を固くした私を見下ろし
「できないと思っただろ」
と口角を上げながらベッドまで運んでくれる。
私はこの運ばれる感覚が最近あったような気がして、ふとカイン様の事を思い出した。
「リヒト、もしかして魔法使ってない?」
私が疑いの眼差しを向けるとリヒトは図星だったのか
「だったら何」
と開き直った。
「それはズルよズル!降ろしなさーい!」
「魔法込みで俺の力だからいいんだよ」
そう勝ち誇ったように言って、リヒトは私が座っていた壁に座り、腕を組んで目を瞑った。
今まで私は、こんなに誰かと張り合うような事が無かったため知らなかったが、私は相当な負けず嫌いらしい。
対抗心がメラメラと燃え上がってきた私は、運んでもらったベッドから飛び降りて、リヒトを同じように運ぼうと手をかけたが、リヒトの体は一ミリも浮き上がる気配はない。
今更諦めてすごすごとベッドへ戻ることもできず、どうしてやろうかとリヒトの顔を覗き込むと、リヒトは舌を出して白目を向き、明らかに私を挑発してきた。
その顔を見て、絶対にリヒトを困らせてやりたくなった私は、無防備なリヒトの体に思い切り抱き着いた。
当然リヒトは慌てふためき
「ななななんだよ!何がしたいんだよ!」
と私の腕を振りほどこうとしたが、私は絶対に離すもんかと、より強く抱きしめ、笑顔を向けた。
「これで、リヒトは私と一緒にベッドで寝るか、ここで二人で寝るかの究極の二択になったわね」
「お、お、俺は男だぞ! そんなことできるわけないだろ!」
「私、昼にも言ったわよね。サバイバルでは一番に恥じを捨てなさいと。それに君は男以前にこ・ど・も!」
「もう十一だ!」
「へぇー。リヒトって十一歳だったんだ? じゃあまだ子供じゃない」
「そういうお前は何歳なんだよ」
「女性に年齢を聞くなんて、失礼ではなくて?」
「二十歳過ぎたババアってことでいいんだな」
「失礼ね! 二十歳過ぎてないし、二十歳もババアじゃないわよ!」
「へぇー、じゃあお前も別に大人ってわけでもないじゃん」
「そうねー、だから一緒に寝ても問題ないんじゃない?」
私が勝利を確信した時、リヒトもまた敗北を確信していた。
悔しそうに言い返す言葉を探しているが、何も思いつかなかったのか、唇をキュッと固く結び、観念したようにくっついて離れない私を浮かせてベッドに寝転がった。
私が腕の力を緩めると、リヒトは右手の人差し指をクルンと一回しして、かまどの火を消し、私に背中を向けた。
どうやら大人しく寝るつもりらしい。
私も十一歳相手に大人げないなという自覚はある。
六つ下の十歳の弟のエリックにはもう少し子ども扱いできるのだが、リヒトは口達者だし、妙に大人びているし、ついつい子供だという事を忘れてしまう。
こうやって言い負かすたびに、怒ってないかとか、嫌われてしまっただろうかとか気にしてしまうが、どうにも楽しいのでやめられない。
「ねぇ、リヒト。怒った?」
「別に、お前はそういう奴って諦めた」
「そっか。そういうところはリヒトの方が大人だね」
「お前はもう少し女らしくしろとか、振る舞いに気を付けろとか言われた事ないか?」
「あー……あるわね……」
「世の中、お前の周りみたいにいい奴ばっかりじゃねぇんだから、気を付けたほうがいいぞ。襲われてからじゃ遅ぇんだから」
「私の周りは良い人しか居ないってなんでわかるの?でも、心配してくれてありがとう。リヒトは優しいなぁ」
「だから、そういうところだって」
「どういうところ?」
「だから、なんつーか……今後は無警戒で意図も無く相手を褒めたりとかすんなって事。勘違いするバカも出てくるから」
「でも、本当に優しいなって思ったからそれは勘違いではないわよ?」
「はぁー……お前の面倒見てる奴は苦労してるな……お前、どっかの貴族の娘だろ?そうならもっと自覚を持てってことだよ」
リヒトはため息交じりで、幼い子供に言って聞かせるように真剣だった。
時折ふと、十一歳とは思えない大人びた瞬間がある。
声変わり前ではあるが、お父様のように人知れず苦労を重ねてきた人が醸し出す声色と同じなのだ。
こういうふとした瞬間に家族の事を思い出して涙が出そうになってしまう。
隣にリヒトがいなければ、私はどうなっていたかをもはや考えたくもない。
「リヒトさ、もしよかったら私の家に来なよ。リヒト賢いし、魔法も使えるし、絶対に皆から歓迎されるわよ。言ってなかったけど、十歳と九歳の弟もいるんだ。私と違ってしっかりしたお兄ちゃんができたら喜ぶと思う。私も……弟が増えたみたいで嬉しいし……」
少し気恥ずかしくなって、私もリヒトに背中を向けた。
返事が返ってくるまでの沈黙がいつになく長く感じる。
リヒトは少し体を動かしたのか、古びたベッドから鈍く軋んだ音がした。
「俺さ……お前に言ってないことたくさんあるんだ。言えないこともあれば、言いたくないこともある。だから……ごめん」
最後は消えそうな声を絞り出したような、小さく弱い声だった。
「……そっか、いろいろ事情があるのね……せめて私に、何か手伝える事はないかしら?」
「今はお前が……セレーネが居てくれるだけで良い……家族ができたみたいで救われる……」
その言葉を聞いた私は、この子のためなら命を投げうっても構わないと思うくらい、今まで感じたことの無い庇護欲が湧いてきた。
この感情を人は母性と呼ぶのだろうか。
「もしもこの先、リヒトが本当に助けてってなった時、私は全力であなたを助けるわ。暗い森の中の心細さは分かってるつもりよ。あの時……リヒトが私の前に現れた時ね、急に辺りが明るくなったように感じたの。私にとってリヒトは本当に光みたいな存在だから……だから約束ね、ブラザー!」
私はリヒトの方に寝返り、背中を向けているリヒトの目の前に左手の小指を差し出した。
リヒトはそれに気が付き
「でも俺、弟になるのは嫌だなぁ」
と小さな声で呟きながら、私の小指に自分の小指を絡ませた。
私よりすこし小さなこの手は、助けを求めて縋り付いてくるような事はしないかもしれない。
それでも、もし手を伸ばしてくるようなことがあれば、私は両手の荷物を手放してでも掴みに行ってあげたい。
絡み合った小指を見て、心がぽかぽかするこの気持ちの名前は分からないけれど、生涯の宝物になる気がして、私はリヒトの寝息が聞こえるまで静かに目に焼き付けた。
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