第24話
一体何が起きたのか。
私の視界にカイン様の胸元が近づいてきたと思ったら一瞬の出来事だった。
カイン様が私の頭にキスをすると、強い光を放ち、突風が吹いたかの様にカイン様の髪や服がなびき、先ほどの結界の様に私の周りには水色のオーラが現れた。
その水色のオーラはどんどん収縮し、最後は私の胸に吸い込まれる様にして消えていってしまった。
「はい、お終い」
カイン様はまるで髪に付いたゴミを取ったくらいの普通の出来事のようにそう言って、庭園から廊下へ繋がる扉を開けた。
「い、今のは何ですか?」
次から次へと思考が追い付かない私は、唇が触れた部分を押さえながら質問した。
「守護魔法をかけただけだよ。ブレスレットの邪魔をしない程度にしておいたから心配しないで」
カイン様はそう言って、再度エスコートするために右手を差し出した。
何の真意も含まれていなさそうなその言葉は、本当にそのままの意味なのだろう。
これはただの魔法をかけるための儀式の一環であって、世の恋人達が行う愛を表現する行為とは違うから、意識することでは無い。
生きるか死ぬかで最も邪魔になるのは羞恥心だなんて、よく偉そうに言えたもんだと、彼の唇の感覚を思い出しながら反省する。
モヤモヤとした気持ちのままカイン様の腕に手を添えると、カイン様の形の良い唇が何か言いたそうに開いたが、結局何の音も発しないまま閉じられた。
何か私に言いたい事があったのだろうか。
左側を歩く彼の顔をチラリと横目で確認するとカイン様はすぐに私の視線に気がつき、何事も無かったかのようににっこりと微笑む。
その表情に嬉しくなる反面、急激に不安が押し寄せた。
大事だなんだと言われて勝手に一人で盛り上がっていたが、恋愛経験の乏しい私が目の前の彼の言葉をそのままの意味で受け取る事はリスクが大きいのではないだろうか。
先程までの高揚する気持ちは、この短時間の間に不安な気持ちへと移り変わっており、恋とはそういうものだと昔リリーから聞いたことがあるが、ここまで心を乱されるとは想像もできなかった。
彼が皇太子でなかったならばここまでの不安はなかったのかしら……。
いつの間にか私達は応接間の前まで戻ってきていた。
ラホール卿は私の顔を見た後、応接間の扉をノックし、お父様へ合図した後に扉を開けてくれるので、私が
「ありがとう」
とお礼を言うとラホール卿は、私に何かを伝えようと、自分の眉間を指差し、小難しい表情をした。
どうやら私は無意識的に眉間に皺を寄せていたらしい。
意識して皺を伸ばせばラホール卿はいつもの気怠げな表情に戻り、一度だけ頷いた。
「お父様、只今戻りました」
私とカイン様が部屋に入ると同時に、お父様は椅子から立ち上がり、迷いなくカイン様の前までやってきた。
悩んで触り過ぎたのだろう髭は、いつもよりも真っ直ぐと伸びている気がする。
「皇太子殿下、今回の話ですが……お受けしたく思います」
はっきりとした口調でお父様は言葉を述べた。
「……ありがとうございます!」
カイン様にとってこの返答は予想外だったのか、一呼吸遅れて答えた。
私もここまで早い展開で話が進むとは思っていなかった。
お父様の頭の中でチェスの駒が何百通りと動いた後、この一手が最適手と判断したのだろう。
迷いのないお父様の視線がカイン様と私に向けられた。
「殿下、早速ですが、今後の話をさせて下さい。セレーネもありがとう。疲れただろうからもう部屋で休んでいなさい」
どうやら私の役目はここで終わりらしい。
どういった話をするのか気にはなるが、一介の貴族令嬢がこれ以上政治に関わるのもおこがましいだろう。
カイン様へ向き直って一歩下がり、お母様を真似る様な所作で一礼をして部屋から退出した。
扉が閉まるまでカイン様からの視線を感じたが、その表情までを詳しく窺うことはできなかった。
***
あれからお父様達は長い間話し合いをしていたようだ。
昼食もあのまま応接室で二人で簡単に済ませただけらしい。
気がつけば夕方で、昼食をしっかり食べた私も空腹を感じ始めた頃だった。
部屋をノックする音が聞こえて、私が返事をすると
「皇太子殿下が帰られるそうです」
とリリーが呼びに来た。
ドレスを脱ぐのを我慢して待っていた私は、ようやく解放される! と、足早にロビーへと向かう。
ロビーの中央には魔法陣が既に書かれており、帰る準備は整っているようだ。
魔法陣の前にはお父様とお母様と来たとき同様に仮面を付けたカイン様が立っており、私が階段を降りて行けば三人の視線がこちらへ向けられた。
私がお母様の横に到着したところでカイン様は
「では、本日はありがとうございました」
と思いの外明るい口調で述べた。
「殿下、もう遅いですし食事まで召し上がっていかれては如何でしょう?」
そう言ったお母様に対してカイン様は
「いえ、実は今日黙って出てきているので、騒ぎになる前に帰ろうかと」
と、少し悪びれた様子で答えた。
お母様は残念そうに眉を下げ、言うべきか言わざるべきか考えつつ申し訳なさ気に言葉を紡いだ。
「皇太子殿下……正直なところ、本日お会いするまで私は殿下を噂通りの方と誤解しておりました。本当に申し訳御座いません」
あれだけ警戒していたお母様が唐突に謝罪をするので驚いたが、二人の雰囲気を見るに、私がここに来る前にお母様もカイン様とある程度会話をしたのだろう。
「いえ、多少脚色はあるかもしれませんが、噂は決して嘘というわけではありませんので」
そう言って怒る様子もないカイン様を見ながら、噂はどんなのだったかしらと記憶を掘り起こした。
暴力的で金遣いが荒く、よく皇宮を抜け出し、それを咎める者には無慈悲な最後が待っているだったかしら?
今日持って来られたプレゼントの山を見た限り、確かに金遣いが荒いと言われても仕方ないだろうし、実際に皇宮を抜け出してここに来ている。
暴力的と無慈悲な最後に関しては全くイメージがつかない。
私が見たことのある皇太子殿下という存在は、威厳はあるが、物腰は柔らかく、一言で言うとただの好青年だ。
じっと見つめていたせいか、カイン様とバッチリと目が合い、逸らすのもおかしいと思い見つめたままでいると、カイン様は急に真剣な表情になった。
二、三歩歩いて私の前までやってくると重く噤んだ口を開けた。
「セレーネ……本当は私事に巻き込みたく無かったけれど、巻き込まざるを得なくなってしまった。本当にすまない。……嫌かもしれないが、一週間後、私と一緒に皇宮へ来て欲しい。危ない目にはあわないように私に出来ることなら何でもする。だから、一緒に来てくれませんか?」
下から私に手を伸ばすカイン様の表情は、どこか切羽詰まった様子だった。
皇宮へ行くなんて聞いたら何かと口に出してきそうなお父様とお母様だが、不安を隠す様に静かに私達を見守っている。カイン様がこう言うことを最初から知っていたのだろう。
言いたいこと、聞きたいことはたくさんあったが、幼きリヒトに対して私が静かに誓った事がある。
助けを求めてきたらその時はその手を取ると。
それに、私は腐っても侯爵家の長女。父と母がそうしろと言うなら黙って従う覚悟はとうに出来ている。
それでも、私の意見を尊重してくれる皆には感謝しかない。
「帝国の未来のため、ルナーラの民のため、謹んでお受け致します」
この気持ちに嘘は無い。
手が触れるだけでドキドキとする気持ちは、しばらくは気が付かないフリをしよう。
この時の彼の言葉がプロポーズだと知ることになったのは、今から一週間後のことだった。
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