第30話

 私は猫の言葉を一瞬聞き間違えたかと思ったが、何度も聞いたその響きを今更聞き間違えるはずもない。


 ヒントを探しに来たはずなのに、核心に触れる事になるとは予想だにしていなかった。


 驚き口を開けたままの私を尻目に、猫はもう一度欠伸をして言葉を続けた。


「あれは、何百年前だったかにゃ。ドゥンケルハイトがこの国を出て行ってから一向に戻る気配がにゃいし、風の噂で人間の国で帝王気取りで居座っていると聞いて、あいつらしくもにゃいから、にゃにがあったのかと、あいつが住んでたこの家を訪れたのが……三百年くらい前?

 それから時々此処に来ては、あいつの帰りを待ってるってわけ」


 健気だろ? と猫は片目を開けて、やや控えめに口角を上げた。


「あの、ここに来る前に日記の切れ端のようなものを見つけたんです。〝ドゥンケルハイトは友だった〟といった記載がありました、もしかして――――」

「あぁ、それは多分俺が書いたものだにゃ」


 間髪入れずに猫は答えた。


「強い思いが込められたものは偶に人間の国とこの国を行き来することが出来るらしい。多分それで俺の日記がそっちに行ったんだろ。お前らの国からも時々落ちてくるし……お前の腕に付いているものにゃんて中々の逸品じゃにゃいか」


 そう言って猫は私のブレスレットを丸みを帯びた手で指した。


 言われてみれば、私とカイン様がこの国に落ちてくる途中で見た物たちはどれも大切に扱われていた形跡があった。

 心地良さのある光と温もりはそういうことだったのだろう。


「あなたの日記から察するに、魔国は愛が無いと暮らせないから、ドゥンケルハイトはここに戻れなくなって、人間の国に居座っているという事でしょうか?」


 無意識にブレスレットに触れながら猫に問うと、猫は尻尾をゆっくりと左右に動かしながら、床に伏せた。


 しばらくの無言の後、尻尾の動きが止まると共に、猫は気怠げに起き上がって両手を床に付けたまま、猫らしく背筋を伸ばす仕草をしたかと思えば、やはり二本足で立ち上がった。


「ついておいで」


 足音を立てる事なく歩き出したため、私は近くにあったランプを手に持って猫の後ろを付いて歩いた。


 白い埃を被ったままの床についた可愛らしい足跡を踏むのは忍びなくて、避けるようにしてついていくと、猫は階段に足をかけていた。


 四足歩行をすればもう少し早く歩けるだろうに、猫は小さな子供のように階段を一段一段登っていく。


 懸命に登るその体を抱えて登ってあげたい衝動に駆られたが、大人しく猫のペースに合わせてついて上がると、二階には暗い小さな部屋が一つあった。


 一つだけある窓際には机と、椅子と、ボロボロになったペン――――もしかしたらペンの反対側には羽がついていたのかもしれない。

 側にあったインクの瓶はとっくに乾き切っている。


 ランプを掲げながら部屋を見渡すと、暗い部屋の隅に不意に人影が見えた。


「ひゃあ!!!」


 驚いて叫んだ拍子に手に持っていたランプを落としそうになったが、そんな私の事は気にもかけず、猫は真っ直ぐ机に向かい、机の上に腰掛けるようにして座った。


 私は内臓を掴まれたような不安感を落ち着かせようと胸に手を当て、震える右手でランプをもう一度人影に向けた。


 ランプに照らされた人は床に両足を伸ばしてテディベアのように座り込み、力無く手と首をだらんと垂らしている。


「もしかして、死体……!?」


 やっとの思いで声を絞り出して猫に目を向ければ、猫は面白そうに笑っていた。


「クククク!!そいつぁアンドロイドだ」


「アンド・ロイド?」


 人の名前かと思い、私が聞き返すと、猫は更に口を大きく開けて笑った。


「にゃはは!違う違う。。人造人間さ」


 私はもう一度、死体だと思ったを凝視した。


 は側に落ちている本同様に埃を被っており、長い時間そこに座っていたのだろうが腐敗の形跡は見られない。


 確かに、生きた人間であるとは言い難いが、俯いた顔の肌の質感はどこから見ても人間の皮膚のようだ。


 シルバーのサラサラとした髪の毛の隙間から見える輪郭は、女の子のようにも見える。


 両手脚にはシルバーの武具をつけているのかと思ったが、それにしては身体のしなやかなラインが出ており、義手と義足と言われた方が納得するだろう。


 瞬きを忘れた私は食い入るようにアンドロイドと言われるそれを見つめ続けた。


「人造人間って人が造った人間って事ですよね? どう見ても人間にしか見えないわ。こんな並外れた技術が魔国にはあるのですか?」


「いいねぇ、反応が新鮮で。もちろん魔国にはにゃいさ。魔国にはそもそもこいつを動かせるエネルギー源がにゃいからにゃ。こいつも人間界から落ちてきたのさ」


 そう言って、猫は机の上にあった本を一冊手に取り、パラパラとページを捲った。


「この日だ。それが魔国に落ちてきた日だ」


 猫が読んでみろと言わんばかりに開いた本を肉球で叩き、私へと視線を向けた。


 私は横目でアンドロイドを見遣り、起き上がってこないのを確認した後に猫が座っている机へと向かう。


 外の池から発せられる月明かりを受け入れるように窓ガラスは白く光り、猫の手元の本に書かれた文字を照らした。


 茶色く色褪せた本はどうやら日記のようだ。


 ――――――――――――――――――

 天気 曇り 256日目


 ここにはいろいろな物が落ちてくるが、今日は珍しく人間そっくりの人形が落ちてきた。話を聞く限り迷い込んだのではなく、〝物〟として落ちてきたのだろう。

 月の国というところに住んでいたそうだ。

 彼? 彼女? のエネルギー源は〝電気〟というものらしい。〝電気〟を摂取しないと動けなくなるとのこと。



 天気 曇り 257日目


 彼女というのが正解なのか分からないが、彼女はアンドロイドと呼ばれる存在で彼女の主人が作ったそうだ。名はルナというらしい。

 口を開けば主人の自慢をするこいつはさぞ大切にされてきたのだろう。

 彼女の国は太陽の国との戦争中で劣勢も劣勢。

 早く帰りたいと溢す声は人間と大差ない。



 天気 曇り 269日目


 彼女のエネルギーを探すためにしばらく家を空けた。

 船頭に乗せてもらえたらもう少し早く帰れていたかもしれないが……不甲斐ない。



 天気 曇り 270日目


 ルナは節電モードと呼ばれる状態に入り、呼びかけなければ眠っているようだ。


 今まで知らなかったが、誰かと話をするのは楽しいものだったのだな。



 天気 雨 278日目


 月の国から落ちてきた物はないかとを探しに出たが、やはり何も見つからない。

 ルナ曰く、人はそういったものにあまり愛着を持たないらしい。


 久しぶりの雨を見せてやりたかったが、ルナはもう動く事はできない。

 もうすぐ〝電気〟が無くなると言った。



 天気 曇り 286日目


 ルナは何日も前から話しかけても言葉を返さなくなった。

 寂しいという気持ちを初めて知った。


 無一文の私の手には赤いハートが握られていた。

 二度と手に入る事は無いと思っていたが、いい加減ここから出ろという事なのだろう。


 ルナから貰った赤いハートで月の国まで行ってみようと思う。

 ルナが讃える月の女神とやらに一度会ってみたい。


 ――――――――――――――――――


 きっちりとした文字で書かれた日記はここで終わっている。


 読めば読むほど分からない事だらけで眉間には自然とシワがよっていた。


 月の国と太陽の国の戦争なんて過去の歴史でも聞いたことが無い。一体何百年、何千年前の話をしているの?


 何千年も前の話と仮定しても、アンドロイドなんていう技術は何? 電気? 魔力を介さないエネルギー源って事?


 そもそも月の国なんてのは何処にあるの? 月の国へ行ったドゥンケルハイトは何故今のドレスト帝国にいるの?


 ルナという名前が領地であるルナーラと似ている事はただの偶然?


 皇帝の書斎で読んだ物語には月の女神とドゥンケルハイトが戦って、負けた月の女神が太陽の元へ隠れたとあったけれど、月の国が月の女神の事ならば、戦争をしている太陽の国へ隠れるなんてありえない。


 物語は真実では無い? 何かの暗喩? 何を信じればいいの?


 本当にこれを書いたのがドゥンケルハイト? 文字から感じられる繊細さは私のイメージする人物像とは大きくかけ離れている。


 最後のページを見つめたまま言葉を発しない私を見て、猫は私の考えはお見通しだと言うように

「これは間違いにゃくドゥンケルハイトの手記だ」

 と付け加えた。


 ゆっくりとしたダミ声はどこか得意げで、視線をやると目を細めて、他に何か聞きたい事はないかと言わんばかりにニンマリと笑った。

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