第5話
窓から突然聞こえた物音にびっくりして咄嗟に警戒態勢をとった。
ここは三階だし、窓辺に登ってこれそうな木なども無い事は宿泊前に確認済みだ。
風も吹いていない穏やかな夜に完全に油断していた。
バクバクと早く脈打つ鼓動を感じながら窓を凝視すると、カラスらしき黒い鳥の目が光って見えた。
近くにあった燭台を手に取り、窓辺に近づくと、カラスは足元に何かを持っていた。
ゆっくりと、警戒しながら窓を少しだけ開けると、カラスは突然翼をばたつかせ、足に持っていた細長い白い物を開けた窓の隙間からグイグイとこちらへ押し込んでくる。
「わぁ!ちょっと!」
私は慌てて窓を閉めたが、謎の箱を部屋に入れた事に満足したカラスは
「カァー!」
とひと鳴きして暗い街へ飛んで帰っていった。
一連の出来事にあっけにとられた私は、しばらく窓辺から動けず、足元の白い物を見つめた。
短刀ほどの長さの白い包みには赤いリボンが付けられ、リボンの下にはカードのようなものが挟まれていた。
どこからどう見てもプレゼントの箱である。
「さっき、窓から落とされた時何も無かったし、爆弾ではなさそうね……」
おそるおそるカードを抜き取ると、ほのかなラベンダーの香りと共に万年筆で書かれたメッセージが浮かび上がってきた。
『レディーのお話を盗み聞きしたお詫びです。少年の情報も待っています』
端正な文字から、あのマントの男の横顔が連想される。
カラスにしろ、メッセージにしろ、彼が魔法使いであるという根拠が集まっていくが今はそんな事はどうでもいい。
「開けて大丈夫かしら……」
爆発するかもしれないという不安が拭えず、なるべく振動を与えないようにゆっくりと包装を解き、仕掛けがないのを確認して箱を開けた。
燭台の明かりに照らされ見えたものは、私が今一番欲している扇子だった。
嬉しさと怪しさが入り混じる気持ちの中、手に取り最後の安全確認をした後、ゆっくりと扇を開いてみる。
燭台の明かりの下では色は分かり難いが、おそらく白だ。
レースと金刺繍で上品なだけではなく、一部に大きなパールも施されている。
手元の中骨部分の木は花をモチーフに飾り切りされており、壁にゆらゆらと写る影すら美しい。
「可愛い……」
意識せずして口からこぼれ出た。
身元の知れない怪しい男からの贈り物程怖いものは無い。
相手が魔法使いという確信に近いものもあり、疑おうと思えばいくらでも最悪の状況は思い浮かぶ。
例えば明日の会場で皇族を巻き込んで爆発するとか……
そう、冷静に考えたら受け取らない一択だ。
しかし、今の私に扇子が必要なのもまた事実である。
「あ、そういえば……」
今着けている位置情報を知らせるブレスレットは強い魔力が近くにあると磁石に近づけた方位磁石と同じように狂ってしまう、と制作した魔法使いの職人が言っていたのを思い出した。
例えば、この扇子のパールが実は魔石で、何らかの術式が埋め込まれていると仮定すれば私のブレスレットは機能を無くし、魔法版で正しく確認出来なくなるはずだ。
今すぐに確かめたいが、もう夜も遅く、お父様達は寝ているかもしれない。
悩みに悩んだ末、とりあえず扇子を箱の中にしまい、上から布で包み、ラホール卿の部屋からこっそり拝借したミスリルのガントレットの中に入れ、最後にそれを貴重品用の頑丈な鉄製の金庫にしまった。
ここまですれば多少の爆発程度なら死にはしないだろう。あのパールサイズの魔石でできる範囲は想定済みだ。
私の眠気も限界に近く、よたよたとベッドに入ると一瞬で意識が遠退いた。
翌朝、何事も無かったかのように金庫は鎮座していた。
実際何事も無かったのだから当たり前といえば当たり前だ。
そもそもこちらに危害を加えるつもりなら、最初の窓から入れられた時点で爆発していただろうと顔を洗ってしゃっきりとした今なら分かる。
舞踏会に行く準備を始める前に本当に魔力を帯びているかどうかの確認だけしたいけれど、お父様達はもう起きたかしら?
のんびりと考えていると部屋の外が何やら騒がしかった。
「一体どうしたの?」
私が部屋から顔を出すと、お母様の侍女の一人が耳打ちするように
「ラホール卿のガントレットが一つなくなったらしいのです」
と教えてくれた。
私は慌てて部屋に引っ込み、昨夜あれだけ警戒していた扇子をガントレットの中から乱雑に取り出した。
部屋着のままでガントレットを抱え、ラホール卿のいる部屋の前まで急いで行くと、ドアは開けっ放しになっており、室内にいたラホール卿は一瞬驚いたように目を見開いて、すぐに目を反らした。
「ラ、ラホール卿!本当にごめん、これ私が勝手に持って行っちゃったの!ちょっと昨夜いろいろあって……」
本当にごめんなさいと深々と頭を下げた
頭を下げたまま、しばらくしてもラホール卿の反応は無く、物凄く怒らせてしまったかと恐る恐る顔を上げた。
すると、ラホール卿は手で眉間を抑え、ゆっくりと私に近づいてガントレットを受け取り、すぐさま私の肩に自分が羽織っていたガウンをかけた。
「お嬢様、お嬢様にいくつか諫言を述べたいのですがよろしいでしょうか」
ラホール卿は一歩下がり、改まった様子で目を伏せた。
物理的にも心理的にも距離を取られたような振る舞いに、私は怖気づき黙ったままその場に立ち尽くした。
「まず、ガントレットを持って行ったことですが、騎士の一部と言える物を無断で持って行くという事の重大性をお嬢様はご存じのはずです。何かわけがあったとは思いますが、無くしてしまった私の面目は丸つぶれとなってしまった事もご理解下さい」
私はシュンと肩をすくめ、ラホール卿が言葉を続けるのを待った。
「そして、ガントレットを持って行ったということは、夜間に私の部屋に侵入したということです。未婚の女性が、未婚の男性の部屋に入るという事は……つまり、何というかあるまじき行為です。侵入されて朝まで気付けなかった私はもっと騎士としてあるまじきことですが」
この辺りからラホール卿の声のハリは弱くなり、気まずさを誤魔化すように右手で顔を覆った。
「今も同じです。早朝とはいえ、部屋着のまま突然訪れるなど、お嬢様はもう少しご自分の事を自覚して下さい」
最後は抽象的だったが、言わんとしている事は何となく分かった。
そろそろ淑女としての恥じらいと自覚を覚えろということだろう。
ラホール卿の言う事は正論である。
気が付かないうちに自分は大人と子供の曖昧な境界線を越えており、女の子ではなく女性とみられるような年齢になったのだ。
その境界線はいつしか自分とラホール卿の間にも引かれており、世間から見れば私たちは仲の良い剣の先輩後輩ではなく、騎士と令嬢なのだ。
「そうよね……言い難い事を言ってくれてありがとう。これからは気を付けるわ……ガントレットの件は謝っても許されない事だけれど本当にごめんなさい」
私はかけてもらったガウンを前で締めるように持ち、気まずさから逃げるように自室へと戻った。
幸い戻る途中の廊下で人には会わなかった。
部屋に戻ると、無造作に投げられた扇子がベッドに転がっており、私はその存在を思い出した。
「そうだ、早くお父様に確認しにいかなくちゃ……」
鏡の前に立ち、元気のない顔と、サイズの合わないガウンを着たままの自分を見てこのままではさすがに行けないと、とりあえずいつもの動きやすい服に着替えた。
扇子を持って、お父様の部屋をノックするとお父様の返事が聞こえたためドアを開けた。
「失礼します。お父様今少しよろしいですか?」
「あぁ、セレーネおはよう。いよいよ今日だな。そろそろ準備を始めるのか?」
まだ寝間着のままのお父様は新聞を読みながらお茶を飲んでいた。
「はい、もうそろそろ始めようと思うのですが、その前にちょっと私の現在地がわかる魔法版を見せていただきたくて」
私がそう言うとお父様は
「えっ?」
と一瞬躊躇い、私の目を見たままこちらの心理を探るような表情をした。
「……後でちゃんと返してくれるのか?」
「大丈夫です。壊したりもしません。多分……」
ボソッと呟いた最後の言葉も聞き逃さなかったお父様は少し抵抗したが、目の前で見るだけという約束で私に渡してくれた。
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