月の女神の神隠し〜訳あり皇太子に溺愛されて皇室の謎に迫る〜

瀧本しるば

婚約者選抜舞踏会

第1話

 最初に言っておきたい。


 これは何も知らないまま貴族ながらも平凡に暮らしていた私が『歴代最高の皇后』と言われるまでの成長の物語だ。



 私は幼い頃、神隠しにあったと言われたことがある。

 当時まだ独身だった養父である現在のお父様に引き取られてすぐの事だった。


 最初は環境の変化に耐えられず、家出をしたのだと思われたが、あまりにも突然姿を消したのだそうだ。

 お父様は私が誰かの手によって意図的に誘拐されたのではと屋敷総出で懸命に探し回った。


 そして二日後、領地の端の森に住む猟師が私らしき幼女を保護していると町の警備隊を通して連絡が入った。


 二日前の晩、猟師の住む森小屋の近くで何かが落ちたような音がしたらしい。

 猟師は熊でも出たかと、異様に明るい月明りを頼りに、猟銃を携え見回りに行ったところ、五歳程の少女が座り込んでいたそうだ。


 猟師はその少女の身なりから貴族なのではないかと察し、近くの町の警備隊に連絡して私は事なきを得たそうだ。


 つまり、馬を使った連絡に二日程かかる道のりを私は瞬時に移動した事になる。

 そのような事象が起こるには、高位魔法使いによる魔法陣を使った痕跡が残るはずだが、そのような形跡も見られなかったそうだ。


 この事は当時を知る者たちの間で固く口留めされ、それ以来私は現在地を知らせる魔法石の腕輪を付けられている。


 ***


「お父様、いい加減にして下さい」


 私が帰宅すると、そわそわとした様子でお父様は玄関に立っていた。

 おそらく、また私の外出先が兵士達の訓練場だった事を確認済みなのだろう。


 少しバツの悪い顔をしたお父様は一瞬誤魔化そうとしたが、その手は通用しないと悟ったのか諦めたように口を開いた。


「セレーネ、腐っても侯爵家の娘が毎日兵士たちと一緒に鍛錬だなんて……もう十分強くなっただろう。結婚前の娘が怪我なんてしたら……」


 最後の方はごにょごにょと言葉を濁すようにお父様は遠慮げに言った。


 私に結婚や婚約の予定は今のところ無いが、結婚という話題が出てもおかしくない年齢になってきたし、そろそろ花嫁修業に励めということだろうか?


 この時の私はお父様の最後の言葉に対して特に違和感は持たなかった。


「お父様、私に剣の練習をやめて欲しいと思うのは理解できます。しかし、四六時中私を監視するのは違うのではないでしょうか」


 私はついつい強い口調で言い返す。過保護故に常に親に監視されているなんてたまったものではない。


 以前にも、思春期を迎えたばかりの私とこのようなやり取りをする中でお父様は観念し、神隠しの過去を教えてくれたのだ。


「セレーネ、すまなかった。しかし、心配する私の気持ちも分かってくれ。お前の実の父親である私の兄からセレーネを託された直後の事件で、もうトラウマもトラウマで……」


 そう言ってお父様は狼狽えながら長く伸びた顎髭を触った。

 本人は気が付いていないかもしれないが、髭を触るのは心配な時にするいつもの癖だ。



 今の父である、ジョセフ・フォン・メンシス侯爵は言わずと知れた極度の心配性だ。

 というのも、お父様が侯爵になったその過程が原因でもある。


 ここはドレスト帝国の北部を守るルナーラ領。

 侯爵の家系であるお父様は次男として生まれた。


 父には家を継ぐはずの私の実父である五歳年上の兄がいたが、私が五歳の時に戦争で亡くなってしまった。ちなみに私の母も私を産んですぐに亡くなっている。


 兄を慕っていたお父様は予期せずして家を継ぐこととなり、兄同様にこの北部の地を外国の侵略から守る任務と想像もしていなかった領主という重圧を引き継ぐことになってしまったのだ。


 そして、極度の心配性というのはその仕事ぶりにも顕著に表れていた。


 侯爵というからには地方に住みながらも貴族の中では高い地位となる。

 管轄する領土も大きく、外部からの侵略に備えるという働きを持つため、皇室からの軍事予算も貰えている。


 しかし……単刀直入に言うと、我がメンシス家にはお金がない。


 何故って?


 極度の心配性のお父様が予備予算も、家内の整備費も、必要な運営費以外全て軍事費に使ってしまったからだ!


 領地内にある三か所の町をそれぞれ覆うように高く反り立つ城壁。

 上部には大砲が等間隔に設置されており、もはや弓兵の出番は無い。

 町の中にはいくつもの避難所が地下に作られており、食料の備蓄も十分すぎる程ある。

 町に併設されている厩舎には自慢の軍馬が兵士と大差ない待遇で何不自由なく暮らしている。

 その馬に乗る我が領地の騎士が着ているものは帝国全土でも最高級のミスリルの武具だ。

 一般の兵士においても他国の騎士並みの武具が配給される。


 そう、お父様は戦争に勝つためならお金を惜しまない。

 しかし、それがあまりにも極端なのだ。


 もちろん、お母様も私も自分たちの事よりも軍備にお金をかけるお父様の考えには賛同している。


 現に、これだけのお金を軍備にかけている事が敵にも知られているが故に、無駄な戦いが減り、領民たちも戦争ではなく、農業や商業でお金を稼げる環境が出来上がってきているのは事実だ。


 とはいっても、新しいドレスを毎シーズン買うような生活は当分訪れることはないだろう。


 それは別に良いが、私には幼い頃から譲れない夢がある。

 メンシスの騎士という誉れの象徴である最高級のミスリルの武具を着て尊敬の眼差しを集めながら町を闊歩したいという夢だ。


 もちろん、女である私が騎士になることが出来ないのは承知済みだ。


 しかし、武具を着ることを諦めたくはない。


「着たいなら着ればいいではないか。一日騎士団長なんてイベントも面白そうだ」

 とお父様に言われたこともあるが、それは私が望む夢ではない。


「身を守る程度の剣すら扱えぬ未熟者が戦場を生きる英雄たちと同じ武具を身に着けるなど恥ずかしいではありませんか!」


 そう言って私がお父様の提案を頑なに拒否している横で、お父様は町の子供達に

「着けてみるか? 重いぞー」

 と言って兜を着せて遊んでいた。


 嬉しそうに兜を被っている子供達を見て少しも気持ちが揺れなかったと言えば嘘になるが、私は騎士に負けない実力を身に着け、正真正銘あのミスリルの似合う女になるのだ!


 そう強く決意したのは今から二年前の事である。




 そんなこんな考えつつ、あの日の決意を思い出し、目の前で私を本気で心配するお父様を見ながら、私は一度大きく息を吸い込んで言葉を選びながら紡いだ。


「お父様、お父様のお気持ちはもちろん分かっております。ただ、自分で言うのもなんですが、私も年頃の娘です。常に見張られていると思うと何というか……とても窮屈なのです。剣を学ぶ事に関しては邪推な気持ちが無いとは言えませんが、まだ戦争も終結していない今、何かあったときに少しでも皆が生き残れる確率が上がるように……私は後悔したくありません」


 私の言葉を聞いたお父様は髭を触る手を止めた。

 お父様はもしかしたら後悔しているのかもしれない。もう二度と後悔したくないという想いで今の領地の要塞が出来上がったのだろう。


 そういえば、昔は髭なんて生やしてなかったなぁ……


 僅かに残る幼い頃の記憶では、叔父様と呼んで遊んでもらっていた。

 その光景は年の離れた兄弟のようだったのに、気が付けばお父様はお父様になっていた。


 私もいつかは結婚してこの家から出ていくのだろう。


 その時はお父様のような人と結婚したい……とは思わないが、それなりに好きな人と幸せな結婚がしたい。


 貴族の長女の自覚はあるので決して口に出すつもりはないが、心の奥底でそう思うくらいの自由はあっても良いだろう。


 天然パーマのかかった髪と繋がるように伸びた茶色い髭をしたお父様の、クリクリとした丸い緑色の瞳が不安げに揺れたのを感じた。


「セレーネ……久しぶりに一緒に庭でお茶でも飲まないか? ネラがプレゼントしてくれた美味しい茶葉があるのだが」


「はい、是非」


 私の了承の返事を聞くとお父様はニッコリと優しく笑い、控えていた使用人に

「あのお茶を頼む」

 と告げると、そのまま庭に向けて歩き出した。


 私も黙ってその後を着いて歩いた。



 長い廊下は終わり、庭園への重たい扉が齢五十の執事のサイモンの手によって開けられた。

 今日もサイモンの白髪の交じった口ひげは、お父様を真似た八の字に綺麗に整えられている。



 扉が開くと同時に正面から風が廊下に向けて吹き込み、一つに束ねていた私の髪を揺らした。


 青葉が水を浴びたような、緑と土の入り混じった匂いが心地良い。


「さあ、こっちに座りなさい」


 お父様に促されて庭の中央にあるテーブルについた。


 お父様も向かいに座り、すぐにサイモンは予め準備してくれていたお茶をカップに入れてくれた。


 父はありがとうとサイモンに声をかけ、お茶を一口飲んだ。


 私も続いて一口飲む。


 訓練の後で喉が渇いていたのもあり、美味しそうに飲む私を見てお父様はにこりと目尻を下げた。


「気に入ったか? ネラはこういったセンスがあるからな。お前もこれから人との付き合いが増えていくだろうし、分からない事があれば聞くと言い」


 お父様は静かな口調で言った。


 確かにプレゼント選びはセンスが問われる。


 良い贈り物をくれる相手というのは取引の上でも信頼たり得るように感じるのは、やはり人心把握とかそういうのに長けているからだろうか。


 余計な事を考えながら素直にお茶の感想を答えた。


「香りも良くて爽やかで美味しいです。冷たいお茶にも合いそうですね。お母様は何でも出来る方で尊敬します」


「あぁ、私には勿体ない妻だよ。彼女のような人はこんな辺境ではなく、首都に居たほうが良かったのだろうが……私との縁談が運の尽きだったな」


 そう言ってお父様はにやりと笑みを浮かべた。


「ネラと結婚式を挙げて、いよいよ家業の引継ぎとなった時、“腐っても侯爵家だと思って嫁いで来たのにー!”と帳簿を見ながら叫んでいたよ」


 お父様が冗談っぽく言って笑うので私もつられて笑ったが、チラリと視界に入ったお父様の後ろに控えているサイモンが笑っていなかったので、私は慌てて口角を水平に戻した。


 お父様も笑ってはいるものの、ずっと申し訳ないと思って今に至るのだろうと私はフォローするように答えた。


「確かに、お母様は中央に居れば社交界でも中心となっていたでしょう。でも、理解あるお母様がお父様と結婚して下さったおかげで今のルナーラが一時の平和を手に入れられ、メンシス家が皇室からの信頼を得られているのも事実です。私も、お母様のようになれれば良いのですが……」


 嘘ではない。


 本心ではあるが、ある程度の定型文というかこう言われたらこう返すというお決まりの返事をしたつもりであって、特に深い意味は無かった。


 しかし、お父様は私の目を見つめて眉を下げた。


 何やら感傷的になったらしく、こみ上げてくるものを抑えているようだ。


 お父様は私と目を合わせ、教会で懺悔する人のように少し潤んだ目でゆっくりと言葉を紡いだ。


「セレーネにとっての家族は私しかいないのに、まだ幼いセレーネにあまりかまってやれず、寂しい思いをさせていたと思う。戦争が続く中でネラと結婚して、弟達が産まれて、領地の守備が完成し、冷戦状態となった今、ようやくこうして好きな時にお前とお茶を飲めるようになった」


 お父様はこの十年を思い返しているのか、少し切ない表情をした。


「自分が軍備に対して過剰な事も自覚はある。お前がドレスではなく武具を着たがるようになってしまったのも私のせいだと思う」


 お父様はそう言って少し冷めたお茶を一口飲んだ。


 私もお父様の話を聞きながらこの十年の事を思い出していた。


 貴族の長女として最低限の教育を受けつつも、私らしく居られるように好きな事をさせてもらい、愛情は領地に住む皆から貰って育ってきた。


 私は何も不足していないし、何も後悔していない。


 机の下で重ねていた右手で左手首につけられたブレスレットを撫でた。

 今の私は、この魔石入りのブレスレットがミスリルの武具よりも高価な物だという事も分かっている。


 ただ、何故突然このような話をするのだろうか。お父様の様子がいつもと違うように感じた。


 思い出話をしているだけかと思っていたが、まるで嫁入り前夜のような会話だ。


「何が言いたいかと言うと……その……」


 お父様は口ごもり、目を伏せたまま自慢の髭を触る。


 言葉は喉まで出てきているのに、つぐんだ口がそれを発するかどうか迷っているようだ。


 私が先に何か言ったほうが良いのだろうかと考えていた時だった。


「お話中失礼します」


 庭の入り口から透き通るような上品な声が聞こえた。


「ネラか、どうした」


「あなたの事ですから、セレーネに言えないまま今日を終えてしまうのではないかと思いまして」


 お母様はティーポットに手をかけたサイモンに

「お茶は結構よ」

 と断りを入れながら優雅な素振りでお父様の隣に立った。


 真っ直ぐに伸びた背筋、しなやかな所作、赤い髪をきっちりと結い上げ、後れ毛など見たことが無い。


 私のイメージする心身共に貴族の女性とは目の前にいるお母様のような人だ。


「もう時間が無いのです。あなたが言えないのなら私から言わせていただきますが、よろしいですか」


 そう言って、狼狽えるお父様を後目に、淡々と述べ始めた。


「先日、皇室より招待状が届きました。五日後、皇太子の妃を探す舞踏会が開かれるそうです。皇室からの直々の招待を断るわけにはいきません。先に言っておきますが病欠なんて古い手法は通じません。今すぐに準備を始めますよ」


 最後はお父様に視線をやりつつ、お母様が言い終わるか終わらないかのタイミングで両手を叩くと、どこに控えていたのか、二人の侍女達が現われ、私がリアクションをとる暇もなく

「失礼します」

 という言葉と共に両腕を抱えられた。


 たかが舞踏会へ行くだけなのに何故お父様はそんなに躊躇っていたのだろう。


 過保護にも程があるのではないか?


 理解が追い付かないまま、私は大人しく侍女と共に庭を出ようとした。


 すると、後ろで両親たちが騒ぎ始めた。


「やはり断るわけにはいかないだろうか?何故よりによって皇太子なのだ」


「まだ選ばれてもないのに心配しすぎです!行かずに顰蹙ひんしゅくを買って目を付けられるくらいなら、大人しく行って目立たないようにしておくほうが賢明です!」


 嘆くようなお父様と、いつも冷静なお母様が頭を抱えたところで庭園の扉がゆっくりと音をたてて閉まっていく。


 その様子を見て忘れかけていた防衛本能が警告を鳴らし始めるが、頭での理解がなかなか追いつかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る