第22話

 ノクタスの森で出会った彼は確かに、子供らしくない、可愛げがない生意気な奴だと最初の頃は思っていた。


 そして何より、太陽の下で紺色に鈍く光る髪色をしていた。


 私は目覚めたら忘れてしまった夢の内容を思い出すかのように、リヒトの最後の言葉を今になってやっと思い出した。


 〝俺の本当の名前は–––––––––––––カイン。カイン・ドゥンケルハイト––––––––!!〟


 私は突然視界が開け、悟りの境地に至ったような、真理にたどり着いた心地になった。


 私は身を乗りだし、目の前に座る彼の顔を物怖じせず覗き込んだ。


 丸みのあった輪郭は成人男性のごつごつとした骨張りを感じ、鬱蒼としていた紺色の髪の毛は、生糸のように揺れる黒い髪、弱弱しかった目の奥は生を求める強い眼差しに変わっているが、どこかにまだ十一歳のリヒトの面影が残っていた。


「……殿下は一体何者なのですか?殿下は……リヒトなのですか?」


 リヒトは自らを最後にカインと名乗った。


 しかし、数日前まで十一歳だった彼が目の前で成人しているはずがないのだ。


 魔法使いの分身? 成長の促進?


 世の中には自分の知らない事が多いと実感していたところだったので余計に想像が広がりすぎて何でも受け入れられてしまう。


「セレーネ、今から話す事をよく聞いて欲しい。……おそらく君にとっては数日前の出来事なのかもしれないが、あの日々は私にとっては十一年も昔の事なんだ」


「じゅ、十一年前!?」


 私がカイン様をリヒトだと確信したからか、私のことを『セレーネ』と呼ぶ声にも、まさかの真実にも驚き、私の声はうわずった。


「十一歳だった私はとっくに成人して二十二歳になるからね」


「どういう事ですか……時の流れがこことノクタスとで違うのでしょうか」


 私は仮定を整理しようと頭を抱え、俯き気味に質問を繰り返した。


 私の言葉を聞いてカイン様は

「そういう考え方もあるんだね」

 と感心したように笑っていたが、隣に座っている父はまるで意味がわかっていない顔をしている。


「一体何の話でしょうか?二人は昔出会っていたのですか?」


 お父様が食い気味に間に入ってくると、カイン様はお父様から少し距離をとる様に椅子に深く腰掛けた。


「フォン・メンシス侯爵、あなたは行方不明だったセレーネ嬢がノクタスの森で子供と二人で生活していたとお聞きになりましたか?」


「え、ええ」


「その少年とは子供の頃の私の事です。私がとある理由で暗殺されそうになり、転移魔法陣で逃げた場所がノクタスの森でした」


「しかし、時系列がまったく合わないのですが」


「セレーネ嬢はただノクタスの森へ行ったのではありません。‘十一年前の’ノクタスの森へ行っていたのです」


 それを聞いた私達は開いた口が塞がらなかった。


 信じられない話だが、そう言われたら確かにすべての辻褄が合う。


 最後にリヒトが叫んだ本当の名前。

 壊れていないのに現在地を示さなくなったブレスレット。

 十一年前ならまさに戦争の真っ只中で火薬が入った樽が流れてきてもおかしくはない。


「それも含めて、最初からお話しましょう。まず、セレーネは昔、神隠しにあったことがあると本人から伺いましたが」


 ついにお父様に対しても私の事を名前で呼ぶ様になり、僅かだが、お父様の眉間に皺が寄る。


 しかし、今はそこに焦点を当てている場合ではないため、さすがのお父様も、大人しく会話を続けた。


「えぇ、五歳の頃です。突然消えたように別の場所に現れました」


 カイン様は私の方へ視線を向け、一度だけ頷く素振りを見せた。


「十一年前、セレーネに話せなかった事を今から全てお話させて頂きます」


 そこからカイン様は淡々と語り始めた。


「私がまだ子供の頃、父の……皇帝の書斎に忍び込んだことがあるのですが、暗闇の中で白く一冊の本が光っていたのです。そこに書かれていたのは闇を総べるドゥンケルハイトと月の女神の聖戦の物語でした」


 カイン様が語った物語をまとめるとこうだ。


 ドゥンケルハイトに敗れた月の女神は太陽の下へと隠れ逃れた。そのせいで時の流れが止まってしまったがドゥンケルハイトはそれを良しとして時が止まった世界を牛耳り、自らの楽園を築いた。


 「ただのおとぎ話だと思いましたが、そうでもないようなのです」


 カイン様はお父様の方へ向き直った。


「長きに渡るこの戦争、どうやら皇帝が裏で手引きをしているようなのです」


 この発言を聞いたお父様はピクリと眉毛を動かし、無言の反応をした。


「皇帝になったものに引き継がれる知識と力があるみたいです。今の戦争が続く限り、人々の敵は外へ向けられ、中央は反逆も皇位返還といった危機にもさらされませんから。国民から搾取し過ぎず、贅沢させず、程よく飼い慣らす。これが今のドレスト帝国です」


「では……帝国のために今まで戦ってきた先代達……私の兄であり、この子の実父が亡くなったのは、帝国の物語を紡ぐための駒に過ぎなかったということですか」


 お父様はカイン様から目を反らすことなく両こぶしを握り締め、わずかに震えていた。


 カイン様は少しの間沈黙し、静かな目を向ける。


 私たちはこの沈黙で全てを察するしか、今はできることが見つからない。


 ただ、淡々と述べられる情報を咀嚼し、飲み込むかどうかの選別をすることが今できる私達の勤めだ。


「……この戦争は勝っても負けても皇帝にとっては不都合なのです。前侯爵が亡くなったのは皇帝の手によるものだと思います。私が暗殺されそうになったのはそういった事実を知ってしまったため、元皇后を使って消そうとしたのでしょう。実際、私も死んだ者として生きて行こうと思いました。しかし、そこでセレーネ嬢に出会ったのです」


 カイン様はそこまで話し、ここへきて初めて視線を揺るがせた。


「最初は私も何も確信はありませんでした。しかし、十一年前のあの日、月の光に照らされて消えゆく彼女を見て確信したのです。彼女こそがこの帝国の呪いを解いてくれる月の女神の落とし子だと……」


 まるで現実味の無い話。


 しかし、彼の顔を見ていると全てを冗談として片付けるわけにはいかないのだろう。


 隣でお父様は髭を触りながら、考え込んでいる。


「あの……その月の女神の落とし子とは何なのでしょうか」


 私は最も理解ができなかった言葉について質問した。


「本に書いてあったのは、月の女神は時を総べる能力を持ち、ドゥンケルハイトによってずれた世界線を元に戻すために神の子としてその世界に忍ばせるそうです。月の光で発動する時を超える力。そして、その力はドゥンケルハイトの名の下代々続く皇室にとって大変脅威なのです」


 私とお父様に瞬時に緊張感が走った。


 カイン様もそれを感じ取ったのか、手のひらをこちらに向け、話を最後まで聞くようにとジェスチャーをした。


「私は皇室の人間ではありますが、皇帝の味方ではありません。私は首都で生きるために、時期皇帝という皇太子の立場になるしかなかったのです。私が皇帝の地位を継ぐ事によって、皇帝しか知らない秘密を知った罪を帳消しにするしかなかった……と今の皇帝は考えているでしょうが、私は全てを––––今の皇室の悪政を終わらせたいと思っています。その計画がばれないように今まで皇帝好みの権威を好む者を演じて参りました」


そう言ってカイン様は座ったまま私たちに勢いよく頭を下げた。


「今の私に足りないものは信頼出来る仲間だけです。侯爵家の皆さまにはその力添えをお願いしたいのです」


 しばらく沈黙が続いた。

 私もお父様も情報を飲み込む前に次々と口の中に物を入れられているような状態で咀嚼が追いつかない。


 水を求める様に、お父様は声を絞り出した。


「……殿下、頭を上げてください。まず一つ聞かせてください。私は私の家族、領民が一番大切なのです。そこに危険が無いと言えるのでしょうか」


 カイン様は顔を上げ、強い眼差しを向ける。


「フォン・メンシス侯爵……腹を割るとお約束致しましたので私の本音を言わせて頂くと、私にとっては国民のためというよりも、セレーネに皇室からの手が伸びることが何よりも恐ろしいのです。今回の襲撃事件の件もそうでしたが、私の手の届かない所で危険に晒されることだけは何よりも避けたいのです」


「そう言って、セレーネの力を手元に置きたいだけではないのですか?」


 更にお父様は食ってかかるので、さすがにそれ以上はと、たしなめようと思った時にカイン様の言葉が耳に届いた。


「そうだったら楽だったのですが、残念ながら、初恋を拗らせていまして、今ではセレーネにそんな力が無ければ今の帝国のまやかしの中ででも幸せに生きていけたのにと思ってしまいます」


 いつの間にか、カイン様は真剣な面持ちで姿勢を正し、私たちに改めて向き直った。


「セレーネ嬢が月の女神の落とし子である以上、今回の様なことがまたいつ起こるか分かりません。私も月の女神とドゥンケルハイトの逸話を過去に書物で知っただけで、詳しい事まではまだ分かっておりませんが……月の女神がドゥンケルハイトの血統である私の元へセレーネを導いたのは、偶然では無いと確信しております。何より……私は、セレーネと、セレーネが大切に思う人達を護りたい」


 カイン様はそう言った後、指をくるりと回し、結界を解いたのか、私達を覆っていた水のオーラは消え、見慣れた部屋の風景に戻った。


「フォン・メンシス侯爵、セレーネ、私を利用してもらって構いません。どうか、私に力添えをお願いします」


 カイン様は再び頭を下げ、結界が解けた今も部屋は静寂で満ちていた。

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