第33話 欲望

 そのクローゼットは、完全に衣裳部屋と言っていいほどの広さに、ドレスやスーツ、カジュアルな服装まで様々だ。

 服にそれほど詳しくない俺にとっても、それは多種多様なものであることがわかった。

 さらに男性用、つまり俺用の服も数多く用意されていた。

 スーツやジーンズなどの見慣れたものから、タキシード、燕尾服などまであった。


「凄いなここ。アンジェラ、気に入った服あったか?」

「ダメだよ、カズ。多すぎて選べない!」


 その気持ちはよくわかった。

 俺も、決められない。

 自分自身で言えば、着て楽なものがいいのだが、これだけ綺麗なアンジェラには、より美しく見せるような衣装を着てもらいたいと、単純に思ってしまった。


「カズは私に、どれを着てほしい?私じゃ選べないから、選んでほしい。」


 そう言いながらアンジェラが俺の胸にしなだれてきた。

 そんなアンジェラと一緒に、女性用のカクテルドレスに目が行く。

 アンジェラの見ているモノも同じだ。

 紫や、薄桃色、バラの刺繍をあしらった黒いドレスもあれば、真っ赤なドレスも吊るされていた、見るからに胸に余裕がある割には腰の部分が閉まったようなデザイン。

 俺にはアンジェラ専用に設計されたのではないかと、勘ぐるほどだ。


「私、この薄い青っていうのかな、この色、気に入ったよ、カズ、着て見ていい?」


 そのアンジェラの気に入った空色からグラデーションのかかったもので、胸元の空色が足元に行くほど濃い青に変わっている。

 胸元から細かいガラスが埋め込まれているようで、光の加減で綺麗な輝きを周りに放っていた。

 今のアンジェラは、キャミワンピを着て肩を出した服装のため、ピンクのブラはストラップを外している。

 だが、ここのドレスを着ようとすると、ブラが下品に露出してしまう。

 通常ならブラは付けないタイプなのだろう。


「アンジェラ、ちょっと着て見るか?」

「うん、着たいんだけど…。私がこれ着て食事するんなら、カズもドレスアップしてほしいな。」


 少し上気した顔を俺に向ける。

 そんなかわいい彼女の頼みを断れるわけがない。

 それにアンジェラがそんな綺麗になるのに、俺がそのまま、というわけにはいかないという事は、充分理解していた。


「お召し物が決まりましたら軽くシャワーで汗や汚れを洗い流して、男性用、女性用のメイクアップルームにお召し物と新しい下着をお持ちになり、お入りください。専門の人間はいませんが、我々ができうる限りのサポートをさせていただきます。」


 遠野祈里の声が響いた。

 その内容はアンジェラにとって、かなり興味をそそられたようだ。

 そそくさと選んだドレスを持って、バスルームに駆け込む。

 そこには女性用の下着が置いてあるクローゼットがある、と先程この部屋の説明時に祈里が言っていた。

 俺はアンジェラを見送り、適当に目についたタキシードを手に取った。

 男であるから、そんなに自分のことをいじる気はなかった。

 自分の決めたタキシードを見ていても、全く着ているイメージが湧かない。

 シャワー室からは、聞いたことのない言葉、異国情緒たっぷりのアンジェラの歌声が聞こえてきた。

 漏れてくる声だが、今まで普通に聞いていた声と違い、天使の旋律を聞いているような心地良さがあった。


 暫くすると歌声も、シャワーの音も消え、ドライヤーの大きな音が響いてきた。

 アンジェラの栗毛はそれなりの長さを持っているから、少し時間がかかっている。やがてシャワールームのドアが開き顔だけのぞかせたアンジェラが俺に向かって「終わったよ」と言った。


「私はこのままメイクアップルームに行くから、カズもシャワー浴びてね。」


 アンジェラの綺麗な声が俺を促した。

 俺はそのシャワールームに入るともうアンジェラの姿はなかった。

 ただ洗濯用のバスケットの中に、今日来ていたチェックのキャミワンピとジーンズ、それにピンクの下着が無造作に放り投げてあった。

 この下着を彼女に着せた時は何とも思わなかったのに、今そこに彼女の着ていた下着がある、という事が、俺の中の欲情を刺激してきた。

 2泊3日で一緒に行動してきた美貌の女性に、俺はさらなる魅力を感じているようだった。

 今日一日、汗もかなり書いて汚れた服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。

 汚れとともに、アンジェラに感じている欲望も洗い流そうとしたが、あまりうまくいかなかった。


 新しい下着を身に着け、慣れないタキシードを纏う。

 鏡を見る限りいつもの俺だが、多少は馬子にも衣裳程度の効果はありそうだ。

 そういえば男性用のメイクアップルームもあるという事だったな。

 俺は興味本位でその部屋に入ってみた。


 そこには3面鏡と共にモニターが設えてあり、遠野祈里とは違う、かなりあか抜けた女性の映像が映し出されていた。


「ハーイ!私はメイク担当のイオ・アマガサキ、よろしくね。今日はお兄さんをよりカッコよくできるアドバイスをするために、ここにいるんだよ。ここはセルフメイクの部屋ではあるけど、かなりのものが揃っているから、私の言う通りにやってみてね。」


 陽気な女の子のテンションにいまいち乗れなかったが、言う通りにはやってみた。

 それがアンジェラによく思われればいいんだが…。


 この部屋を出るとそこのアンジェラの姿はなかった。

 ホッとする気持ちと、がっかりした感情。

 自分でもうまく説明できな自分の心。


「奥様はすでに夕食をご用意した部屋に移動されております。石井様もどうぞお移りくださいませ。」


 AI遠野祈里がそう案内した。

 俺は自分の身体に違和感を覚えるこのタキシードを馴染ませるためにゆっくり歩く。

 足元もすでに革靴が用意されており、信じられないことに俺の足にものの見事にフィットしていた。

 新しい靴というものは慣れるまでにそれなりの痛みを生じるのだが、この靴はそういうことが全くなかった。


 指定された部屋の前に立つと、鍵の外れる音がした。

 その部屋の扉が自動で空き、「いらっしゃいませ」と祈里の声が俺を誘う。

 俺は少しの緊張と、大きな期待でその部屋に入った。

 この部屋は靴のままでいいらしい。

 靴を脱ぐべき小上がりがなかった。


「アンジェラ、いるのか?」


 部屋の出入り口から奥の部屋までは、少しばかり廊下を歩く構造になっていた。

 奥がここからは見えない。


「うん、いるよ。でも、ちょっと、恥ずかしい…。」


 あの裸で歩くようなアンジェラが恥ずかしいとは……。

 今朝あたりから明らかにアンジェラの俺に対する行動が変わってきている。

 今までは良くも悪くも子供っぽかったのが、今朝あたりから、その年にふさわしい態度になってる気がする。

 違う、もっといろっぽい感じに…。

 俺は廊下を少し歩き奥の開けた部屋に入る。


 そこにドレスアップしたアンジェラがいた。

 いや、本当にあのアンジェラか?

 空色から濃い青に変わるグラデーションに彩られたマーメイドタイプのドレスを着た、栗色の髪の毛を編み込んでサイドに束ねた美しい女性が立っていた。

 両手を体の前で合わせて恥ずかしそうにしたその表情は少女のように可愛らしい。

 ただ、その顔は自分が知っているアンジェラのものではなかった。

 元々美しい女性だった。

 だが、そこにいる女性は、そんな言葉で語られるものではない。

 「美」そのもの。

 女神?天使?

 いや、この美しく艶っぽい人の心を鷲掴みにする衝撃は…「堕天使」と呼ぶにふさわしい。


 そこから俺の記憶はあやふやになった。

 一緒にディナーと呼ぶようなフルコースが出て食べた……らしい。

 どこから給仕されているかもわからない料理が、次々と出てきて口に運んではいた。

 だが俺の視線はアンジェラに釘付けだった。

 夢の中にいるような、味のよく解らない食事がすみ、一緒に部屋に戻った…ようだ。

 気付いたときにはベッドにその美貌の完璧な女性を押し倒していた。

 アンジェラも熱い口づけで迎えてくれた。

 そして、俺の精を、アンジェラの中に放ち、そのまま気を失った。

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