第39話 審判

「それが、今の状況を作ったわけか。」


 あまりの予想外の話に、私はただそう言うしかなかった。


「私という情報が人間界で再生されず、仮想現実のここに用意されていたアンジェラ・インフォムというAIにそのまま上書きをしてしまった、と思ってくれればいいわ。でも、私も記憶を持つことを許されていなかったから、あの時にカズに言っていたことは、すべてここで起こった事実なんだけど。」

「この状況は望まれたものではなかった、という事か」

「そう、ガブリエルにとっては、流石にこのままにすることは出来なかった。ただ、この男性と二人きりという状況は、必ずしも悪い条件ではなかった。そのまま人間界に記憶喪失で彷徨さまようよりはいいと判断したようなの。だからこの扉の鍵をあなたのズボンのポケットに入れて、この場所を作り出した。私に対する最後の審判を、タケル、あなたに任せるために。」


 すべてが理解できたわけではない。

 わかったことも多いが、これが事実かどうかは現実世界に戻らねば判断はできない。

 だが、「不満症候群フラストレーションシンドローム」の元凶であることは間違いないのだろう。


「本当にごめんなさい。愛すべき人を失う事の罪の重さに全く気付かなかったことを、ここに謝ります。」


 アンジェラはそう言って、深々と頭を下げ、最大限の謝罪をした。

 神や天使から見れば、人の命なんて塵ほどの重みもないのだろう。

 それは解る。

 だが、それが罪として、自分のいた世界から追放されている。

 どういった判断基準があるのかは、私のような卑小な人間にとってわかる筈もなかった。

 だが、疑問はまだ残っている。


「この扉の島は今までなかったはずだ。でなければAI遠野祈里が、答えまでにあんなに時間がかかる筈がない。時間的に考えて、君がこのキャリーバッグを、あの場所に持ってきたときに出現したんじゃないか、この扉は。」

「本当に頭がいいのね、タケルは。全くその通りよ。」

「何がきっかけで、君たちの住む「空の先の世界」への扉が現れたんだ。条件があるんだろう?」

「ええ、その通りよ。その条件を満たしたからこの扉、「空の先の世界」への入り口が出現したの。」

「その条件とは?教えてもらう事は出来るのか?」


 私の視線から彼女が目を逸らした。

 少し頬が赤い気がする。


「私の行動はガブリエルに監視されていることは、タケルなら理解できるでしょう。彼はここでの私の行動や心情を細かく監視して、最後のあなたの審判に託すための条件が揃ったと判断しました。だから私の記憶を返してきて、扉を用意したのよ。」


 私から目を逸らしたまま、アンジェラはそう淡々と言った。

 決して私に目を合わせようとしない。

 先程までとは態度が違う。

 そしていまだに条件のことを語ろうとしない。


「もう一度聞くぞ、アンジェラ。この島に辿り着くための条件とは?」


 やっと、その顔を私に向けた。

 少し潤んだような瞳を私に向け、縋るような雰囲気をまとった天使、アンジェラ。


「それは、私が…。」


 そう言いながら、また顔を伏せ、もう一度私に顔を向けた。


「私が人間であるあなた、タケルを愛すること。そして私が愛されること。人間というものが醜いだけでなく、美しい面も持っていることを認識すること。そして、そんな人間に私が行ったことが如何いかに罪深いかを、この身をもって感じること。」


 それだけ言うとまた顔を伏せた。


 愛する人に地獄を見せたその元凶が目の前にいる。

 しかも、その元凶を知らずに愛してしまった。

 そのガブリエルとやらは、私にも罰を与えようとしているようだ。

 自分の中に真子の笑顔と、今も地下に横たわる姿がフラッシュバックしている。

 優秀な石井先輩の神技としか思えない手術、その方法を再現できる手術ロボットの開発までも行ったのだ。

 そんな人を殺した元凶が今、目の前で首を垂れている。


 それでも、憎むことが出来ない。


 私はこの目の前の存在を消すことはできないだろう。

 ここまで精密に構築し、完璧だと思っていた防御を持つ「月読つくよみ」に簡単に干渉できる者たち、神を名乗る存在に人間である自分が勝てるはずはなかった。


 そして、鍵は私に託されている。

 この「月読」によって作られている「鏡の世界」に幽閉することは可能なのだ。


「許してほしいとは思っていません。」


 顔を伏せたままアンジェラが口を開いた。


「私はそれでも、この数日のタケルとの生活はかけがいのないものでした。自分が行った非道を悔やんでも悔やみきれないほどに。このままこの世界に一人で残されても、私はあなたとのこの数日の愛の日々だけで永遠に生きていくことが出来ます。」


 そう言ってから、アンジェラが顔を上げた。

 その空色の瞳に困惑している男の顔が写っていた。

 こんな形で自分の顔を見せられるとは思わなかった。


「考える時間は、貰えないのか?」


 俺は混乱している自分の思考を、改めて自覚していた。

 冷静に考えることが出来ない。


「それは無理みたい。もうすぐこの扉は消えそう。この海水も上がってきてる。」


 ガブリエルは私に対しては全く慈悲を持たないという事か。

 ふと二人で、ここで暮らす想像が頭をよぎった。慌てて頭を振る。

 視界に扉の鍵が入った。

 そしてその鍵の質量をしっかりとこの手が感じている。

 扉に視線を戻した。

 扉はしっかりとそこに重量感をもって存在した。

 そして、アンジェラを見た。


「アンジェラ、君はどうしたいんだ?帰りたいのか、ここに残りたいのか?」


 そう、彼女の本意が解らない。

 いや、気付いていた。


「私は、出来れば…。」


 だがその後の言葉が続かない。

 間違いない。


 私はガブリエルという天使が何を考えているかなど、解ろうはずもなかったが、アンジェラの言葉から、今回の事態に至る思考をトレースしてみた。

 ここにアンジェラを墜としたのは、明らかに彼女の犯した行動に対する罰であろう。

 だが、永遠にこの世界にとどめるほどの権限がそのガブリエルという天使にあるのだろうか?

 その背後に「神」がいるかどうかは不明だが、条件さえ満たせば「空の先の世界」への帰還を行うはずだ。

 その最終審判に、偶然とはいえ、人類の代表として私を選んだとすれば、人類に対して考える時間を与えないとは考えづらい。


 そう、アンジェラは嘘をついている。

 この扉は、そう簡単になくならない。

 では、なぜ彼女は嘘をついたのか?

 アンジェラは私を愛したといった。

 この世界での私との日々を大切にしたいと言った。

 きっと、それは嘘ではないのであろう。

 そして、そのことから導かれる答え。


 アンジェラは「空の先の世界」への帰還を躊躇している。

 この世界での私との生活を望む気持ちが強い。


「私は、アンジェラ、君のことを愛している。だが、同時に憎んでもいる。それは解っているだろう。」

「ええ。」

「だが、君はこの罰に対してまだ何の償いもしていない。」


 私の言葉にアンジェラが伏せていた顔を私に向けた。

 意外な言葉だったらしい。


「わ、私に、どうしろと…。」


 震えていた。

 そんなアンジェラを私は優しく抱きしめた。


「君ならできるはずだ、不満症候群を起こした君なら、それを直すことも。」


 耳元で囁いた。

 アンジェラの身体が緊張したのが分かった。

 ゆっくりと離れる。

 そして彼女の顔を見つめた。

 コクンと、彼女の頭が下がる。


「頼む、人類を助けて欲しい……、いや、違う。真子を、彼女の病いを、命を…。」


 その後の言葉が、うまく出てこない。

 私の目からは大粒の涙が零れた。

 彼女はもう一度頷いた。


 私は持っていた鍵を握りしめて、扉の前に立つ。

 その横に彼女が立ち、鍵を持った私の右手に手を添えてきた。

 アンジェラを見ると、彼女も俺を見て微笑んだ。

 彼女の微笑みを久しぶりに見た気がする。

 私もそんな彼女に頷く。

 鍵を鍵穴に刺し、回転させた。


 カチャン。


 鍵が外れる音が二人の耳に届く。

 鍵から手を離し、扉のノブに一緒に手をかける。

 回す。

 恐ろしいほどの圧が扉を押し開けてきた。

 その瞬間、あたりを光が包み、消えた。


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