第40話 終章

 扉の中は光に満たされた世界だった。

 真っ白な闇。

 そうとしか表現ができない。

 私は手を繋いでいて、前に進むアンジェラに声を掛けた。


「これが、「空の先の世界」なのか。アンジェラ。」

「いいえ、違うわ。ここはさっきの仮想空間と「空の先の世界」を結ぶ通路のようなもの。私とタケルは、こうやって手を繋いでいるけれど、あなたの現実世界から見れば、データーがプログラムに従って動いてるようなもの。この空間を「歩く」ことによって、私の住む「空の先の世界」の身体に書き換えらえて、その身体が構築されていくための場所。」


 私はその白い闇の中を一緒に進みながら、言いようのない不安に包まれた。


「それは、私も君たちの場所、「空の先の世界」に行くことが出来るという事なのか?」


 この問いに、彼女の顔が曇った。

 沈痛というべき表情だった。


「それが出来れば、どんなに素敵な事なんでしょう。でも……。」


 そこで彼女が、一旦言葉を切り、進んでいた歩みを止めた。


「同じ場所に進んでいるように見えても、行きつく場所は違うわ。この通路の扉を開けるときの、あなたの想いを考えてみて。」


 ああ、そういう事か。私は現実世界での、彼女によく似た女性のことを考えていた。


「あなたが行くべき場所は、私の戻る場所とは違う。そうね?」

「ああ、そうだった。」


 自然と繋いでいた手が離れていく。


「さようなら、タケル。愛していたわ。」

「さようなら。」


 彼女は私から離れ、前へと歩み出した。

 おそらく彼女が進むこの先に「空の先の世界」という奴があるのだろう。

 だが、このデーターで出来た私の身体は、その世界に耐えられるようには出来ていないらしい。

 現実世界にある私の身体は、「鏡の世界」に入るための導入口である感覚器官交換装置、通称「カプセル」の中にいるはずだ。

 私はアンジェラ・インフォムというAIに乗り移っていた彼女に聞いた。


「最後に聞きたい。君の本当の名は?」


 彼女の唇が笑うように開いた。

 名前が告げられた。







 低いモーター音がした。

 自分を覆っていた天井部が移動して、自分が寝ているベッドの部分も逆に移動した。

 見慣れた装置群が私の眼前に広がっている。

 体を起こした。

 そこには白衣を着た部下たちが心配そうに私を見ている。


「班長!大丈夫ですか?「月読つくよみ」がこちらからのコマンドをすべて拒否してしまって、モニタリングできません。一体何が起こっていたんですか?」


 私の代行である不満症候群対策研究班副班長、大峰進が私にガウンを着せながら説明を求めてきた。

 やはり、この一時期、「月読」は天使に乗っ取られていたわけだ。

 人間の制御から切り離された「鏡の世界」で彼女を私と引き合わせ、審判を行った。

 いいように操られた気がしていた。


 私は別室で普段着に着替え、白衣に腕を通して、再びカプセルの置かれているモニタリングルームに戻る。


「現状を報告してください。」


 私の声に、10人程度の部下たちが次々と現在の「月読」及び「鏡の世界」、超電導安定電源、自己診断プログラムの稼働状況を報告してきた。

 すべて問題なし。

 「月読」に関するコマンド入力も通常通りに復元されていることが確認された。


「班長がカプセルに入り、「鏡の世界」に問題なく同調を確認しました。そこから各種モニターが切れ、こちらからの制御を完全に拒否。唯一、班長の体調モニターだけが班長の無事を確認できるものとなりました。時間にして7時間35分。こちらから何もできない状態でしたが、急に各種モニターが復元され、カプセルが強制的に開き、班長が起き上がってきたんです。班長、「鏡の世界」の中で何が起こっていたんですか?」

「説明のしようがないが、とりあえず私には暴力衝動はなかったようだ。」


 私は自分の席に着き、ディスプレイにこの7時間余りの自分の体調の記録を確認した。

 その経過には私の発情を示す各種データーと、2度の射精も記録されている。

 自分でそのようにデザインしたのだが、いざ、自分の知られたくない事実を突きつけられるのは、あまりいい気分ではない。


「ほぼ、私の設計通りではあったが、トラブルもあったことは事実だ。途中で私の記憶の封印が解けたが、その時点での強制救助はなかった。もともと疑似的に書き加えてあった「天使の羽」が消えたタイミングで、カプセルから強制覚醒が行われたものと思われる。」

「そうですか。では、もう一度この7時間半の記録を解析して、修正をかけるということになりますね。」

「そうなるな。とりあえずは、私にマーキングした「天使の羽」が消失した時点での体験終了は予定通りという事だ。」


 私の前頭葉に不満症候群の印である「天使の羽」を疑似的に組み込んだ。

 私の中の不満が一つでも消えるとこの印は消えるようにプログラムがされている。

 どうやらアンジェラとの行為では不満は解消されなかったようだ。

 というよりも、さらなる謎が出たため、不満が増大したのかもしれない。

 私は自分の席から立ち上がった。


「班長、このまま解析シークエンスに入ります。予定終了時刻は15:00です。」

「分かった。ちょっと出てくる。」


 大峰が頷いた。

 時間が出来ると私が彼女を見に行くことは、この班員全ての知るところだった。


 私は自分のIDカードを何か所かのセンサーにタッチし、目的の地下に向かった。

 そこで彼女、石井真子は寝ている。

 3年間もの間。


 基本的には彼女の身体は健康だ。

 点滴と胃からのチューブで栄養を補給し、排便も行われている。

 不定期の電気治療で筋肉量も維持されている。

 前頭葉に「天使の羽」をつけた脳も、基本的には異常は見当たらない。だが、この3年間目を覚ますことはなかった。


 私が不満症候群対策要綱をまとめた際に、民間の病院で眠っていた彼女をこの研究の被験体として強引にこの治療室に転院させた。

 それだけの権限を私は持っている。

 この事実一つとっても、我が国の私に対する期待が大きいことを示していた。


「班長!実験は終了したのですか?「鏡の世界」担当でないと詳細は報告会議の時にしか入ってこないので、我々「観察グループ」では何が起こっているのかわからないので…。」


 石井真子を見てもらっている「観察グループ」長の我孫子美乃莉わびこみのりが心配そうに私を見てきた。

 情報の漏洩を極力抑えるための措置で、他の部署が詳しいことを知るのはかなり後になってからだ。


「ああ、とりあえず私は無事だ。こちらは変わりないか?昨日、雷が近くであったようだが…。」

「ええ、確かに電圧に若干の変動はあったようですが、実害はありませんでした。」


 いや、あったのだがな。

 私はそう心の中で呟いた。


 後日、報告会議の席上でそのことが「鏡の世界」担当から告げられるだろう。

 もっとも、既に機能は復帰している。

 そして、我々より上位の存在、「天使」達が痕跡を残すことはないだろう。


「被験者2号の状態を見せてもらえるか?」


 石井真子はここでは名前は呼ばれない。

 あくまでも「鏡の世界」の実験対象の被験者の2番目というだけだ。


「はい、ではいつも通りに。」


 私は透明なカプセルに入れられて、生かされている被験者2号、石井真子の近くまで行き、天井から降りてきたモニターを見る。

 そして、寝ている真子を見た。

 アンジェラより少しまあるい鼻で、頬が痩せている。


 私はその顔を見ながら、モニターにタッチした。

 モニターに様々なコマンドが現れる。

 その中のコマンド、「前頭葉」と書かれた部分に指を触れた。

 そこに人体画像解析のイメージが浮き上がり、真子の前頭葉が映し出された。

 思った通りだった。


「は、班長!た、大変です!被験者の、前頭葉から、羽、「天使の羽」が‼」

「ああ、間違いないね、「天使の羽」が消えているね。」


 私の後についてきた我孫子女史が悲鳴にも近い声を上げた。

 それに対して冷静に答えたが、周りのスタッフが慌てて近寄ってくる。

 その時だった。

 今まで開かれることがなかった瞼がゆっくりと開いた。

 が、すぐに閉ざされる。

 その特徴的な空色の瞳を見た一瞬、アンジェラの面影が、私の胸を通り過ぎた。


「あっ、目が、痛い!」


 3年の間、開かれることのなかったことで、瞼の筋肉が衰えているようだ。

 そして眼球を動かしピントを合わせる筋肉も多少衰えているおことから、この部屋の明かりは、暴力的であったことだろう。


 だが、その悲鳴に近い声も、久しぶりに聞いた真子の声だった。

 私の中で胸の奥から溢れる優しい感情が、真子に対するものか、アンジェラに対するものか分からなかった。

 それでもいい。

 そう私は自分の気持ちに素直に肯定した。

 もう一度、ゆっくりと瞼を開き、その細い視界が、どうやら私を捉えたようだ。


「眩しい、わ。ここはどこ、なの?タケル。」


 その呼びかけが、カプセル内で聞いていた彼女の声と重なり、私の心を温かな想いが包んでいった。






 瀬能和孝はミュンヘン空港から、すぐに病院に向かった。

 彼女は、あの銃撃事件から20年もの間、消息が分からなかった。

 メリアラインとい名前も、当然というべきか、別名だった。


 本当の名前は世界的な歌姫、レイチェル・ミッドガルドだった。

 あの時には私より6歳も年上だった。


 私も自分で会社を経営し、それをかなりの高額でアメリカの大企業に売ることが出来たため、やっとあの「出雲事件」の被害者でもあるメリアラインの捜索に時間と資金を費やすことが出来た。

 ただ、この20年間、全く人前から姿を消し、メタバースのみで活動していた「影」と呼ばれるシンガーであることが分かった。

 そこから私の技術も導入し、レイチェルに辿り着いた。


 そう、やっと彼女に、本当の私の彼女に会える。

 私の胸はときめいていた。








 大きな純白の翼を広げ、私は世界樹の高みを目指していた。

 ほぼその天頂近くに、目指す相手が立っていた。

 織天使ガブリエル。

 それが目指す人物の名だ。

 一瞬、私に視線を向けたガブリエルが眉をひそめた。


「本当にお目は懲りずに何度も…。まあ、いい。戻ってこれたならな。その姿のまま戻ってきたという事は、かなり気に入ったか、その人間の姿を。」

「そうね。気に入ってるわ。本当にあのままあの世界で暮らしてもいいと思うぐらいに。」


 私はアンジェラ・インフォムの身体のまま戻ってきた。

 見た目はアンジェラ・インフォムの姿をしている。

 ただし、天使には男女の性別はない。

 豊かな胸はそのままだが、股間には栗毛もなく、性器は存在しない。

 タケルの温かな体液を受け止めた器官も存在しない。綺麗な肌のみである。

 

「そのまま、あの世界に留まれてはこちらが困るんだよ。やるべき仕事は山のようにある。我々が悠久に近い命を与えられてるとはいえ、それ以上にやることは多い。解っているだろう?今回、お前がやらかしたことも、その範囲内なら咎められる話ではなかった。お前は、こと人間に関するこの手の仕事に個人的な美醜を判断基準にするからな。そんなにも人間は醜いか?」

「別に人間そのものが醜いという訳ではないわ。でなければこの肉体では帰ってこないもの。醜いのは、その行動。自分たちの嗜好で、おなじ種族に対する不当な振る舞い。反吐が出るほど。今回だって、人は放っておけば際限なく増長して、他の者を蔑ろにする。自分の中で正しいと思う事をしているけど…。」

「だが今回の対応は早かったな。すでに不満症候群という病は駆逐されたんだろう?」

「そうね、かなり早く手を付けたわ。タケルは、本当に優しい心の持ち主だったもの。彼の愛する、この身体のモデル、石井真子を助けなければならなかったし。」


 私はにやりと笑うひげ面のガブリエルに眉をしかめた。

 私が人間を排除しようとすると、必ずこの天使が邪魔をしてくる。

 私はこのガブリエルを苦手としていた。

 だが、今回の件は礼を伝えねばならなかった。


「私をここに引き戻してくれてありがとう、ガブリエル。」

「おお、お前にしてはやけに素直だな。気持ちが悪い。」

「あの人間の男に合わせてくれたことは、私にとって幸運だった。愛するという想いを味わうことが出来たわ。」

「ならば、あのままあそこにいた方がよかったのではないか。こちらは困るがな。」

「それは違うわ。ここに戻ったからこそ愛した人間の想いを叶えることが出来たのだから。」

「あの男の愛した女の事か。それでいいのだな。」


 私の中にも嫉妬という醜い感情を初めて知った。


「ええ、それが一番よ。タケルと私は、住む世界が違いすぎる。寿命も極端に違うわ。彼が死んだときに、この世界樹に上がってくる、彼の魂を、大きな実に育てるのも、私の仕事。」


 私はガブリエルの言葉に答えた。

 本心ではあるが、全てを伝える必要はない。


「だが、人間の醜さはお前がよく知っている。今回のことはよく覚えておけ。」

「ええ、そうね。結果的には、今回の間引きはかなりうまくいった。人間たちが当分はこの星を喰らいつくすことはないでしょう。」


 ガブリエルがさげすんだ目で私を見た。

「やりすぎて、また俺を怒らせるなよ。その時はまた堕とすからな。」

「それでなくとも変な呼び名で部下に呼ばれることがあるんだ。」


 本心では、違う事を考えながら、表面的な言葉をつくろう。

 本心は言わない。


「ふっ、堕天使という奴か。」

「私は好きで堕ちてるわけではない。」


 堕天使ルシフェル。

 そんな呼び方をされている自分だが、今はその言葉が愛おしい。

 彼の実を大きくし、地上に放った頃合いに、また地に堕ちよう。

 彼に逢い、今度こそお互い、愛し愛される関係になれるように。


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空の先の世界 新竹芳 @lightblue

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