第31話 アンジェラの心配
「カズ、ねえ、カズ!大丈夫、ねえ、大丈夫って言って。」
アンジェラの声が響いた。
ゆっくりと目を開ける。
心配そうに俺を見ていたアンジェラの綺麗な顔が見えた。
その頭から垂れた栗毛から水がしたたり落ちた。
俺のほほに落ちる水滴は、しかしその髪の毛からではなく、アンジェラの瞳から落ちていた。
「泣かないで、アンジェラ。ちょっと疲れてよろけただけだから。」
違う。
何かが俺の中のスイッチを入れたような感じだった。
夢を見た。
いや、あれは夢なのか?
あれこそ失われている俺の記憶なのではないか。
気を失う前に何があった?
考えろ、考えろ、考えろ。
目の前の泣いているアンジェラのほほの涙を、そっとぬぐった。
アンジェラはピンクの下着姿だった。
あんなに恥ずかしそうにしていたのに…。
恥ずかしそうにしていた?
あのアンジェラが……?
そう、思い出した。
「覗いちゃだめよ」という少し恥ずかしさと期待を乗せた表情。
俺の記憶の封印が外れ始めてる。
そう、これは封印だ。
事故の障害じゃない。
でなければ、俺の名前が石井和久であるわけがない。
「だって、私がシャワー浴びて出てきたら、すごく静かで…、静かすぎて。慌てて出てきたら、カズが床に倒れてるんだもん!死んだんじゃないかと思ったんだから!」
そう言ってそのまま俺に抱き着いてきた。
「大丈夫だよ。ちょっと頭打っちゃてるかも、だけど。」
そう言ってアンジェラを起こしながら俺も上半身を起こした。
そっとアンジェラにキスをする。
「さっき覗くなとか言っといて、今はそんな恰好かい?」
言われた泣き顔のアンジェラが自分の姿を見た。ピンクのブラパン姿。
「うわっ!」
そう言って飛び起きて、そのままシャワールームに引っ込んだ。
「カズのエッチ!意地悪!」
その言葉に声を出して笑う。
石井和久の名前。
この状態でもここのAIが何も作動しない不自然さ。
自分に欠けた大きな記憶。
さて、何が起きてるのか。
考える時間がいる。
それ以上にアンジェラの存在。
あんなに羞恥心がなかった娘が、ここにきて急に恥ずかしさを知ったような動き。
そこには一つの言葉があった。
俺の妻。
その言葉を聞いてからだった。アンジェラに変化が見えてきたのは。
俺はいったんベッドまで移動し、そのまま倒れこんだ。
また寝れば、あの夢を見ることが出来るのだろうか、それとも…。
私はドライヤーで髪の毛を乾かしながら、先ほどの光景を思い出いし、胸が締め付けられる切なさを感じていた。
最初に彼を見つけた時、それが人間だとは思わなかった。
人間はみな自分と同じで裸だと思ったから。
でもそれが人間なのは、言葉で話しかけたら動き出して、私が話した一つの言語を使ったから。
ここに言語を使えるのは人間だけって知ってるから。
でもその体つきは私とはかなり違う気がした。
布を
この人間が草の影でその布を脱ぎ始めたので、私はどういう風に私の身体と違うのか見ようとしたら、非常に嫌がっていた。
今ならわかる。
あれは恥ずかしさというやつだ。
だが、私の身体と違うところはしっかりと観察できた。
股間に私とは違うものをぶら下げていたのだ。
今思うとその時の私が恥ずかしい。
でも、それでこの人間が「男」で私が「女」ということの違いを知った。
それから、彼、カズは私のことを非常に丁寧に扱ってくれた。
電気というものを作り、あんなにおいしいものを作ってくれた。
それまで、食べねば死んでしまうこの体に不便を感じながら、とりあえず口にしてきた。
カズが来てくれて食事というものが本当に幸せなものだということを教えてくれた。
変な、自分を拘束するようなものを着させられたときは怒りを感じたけど、今ならそれは紳士としては非常に当たり前のことだった。
そして、私のわがままでお風呂にまで入れてくれた。
本当にカズは紳士で、優しい人だ。
普通、男ならあんな姿の私を見たらすぐにでも襲ってきただろう。
そんなカズの奥さんだったと言われたとき。
私の中の何かが変わった。
カズに嫌われたくないと思った。
カズと一緒にいたいと思った。
ここまでくる間の歩きも、全然つらくなかった。
ここでの食事はもちろんおいしかったけど、最初のカズのおにぎりには勝てないとも思った。
そういえば、あの家でカズから合わせたい人がいると言われたときの感情。
今でもまだよくわからない。
なんか、いやだった。
カズが他の人のことを言うのも、私以外の人を見るのも…。
でも、ここには私とカズしかいないことを再確認出来て、すごくほっと安心した。
カズがもっといい場所があるというからついてきたけど、それがどこでもよかった。
ただあなたと二人で居られれば。
そう思ったとたんだった。
自分でもちょっとお気に入りのピンクの下着をつけたところで、ちょっとカズを脅かそうと思ってシャワールームから外を伺ったら、カズが倒れていた。
びっくりした。
もしかしたら自分がこのままで居たいなんて思ったから……。
カズは疲れて寝ていただけだった。
それでも私は自分の目的を強制的に思い出させられた。
鏡の中の自分の表情が元気がない。
そう自分のやるべきことが、たぶん、カズとの別れになるから。
それでも今は、この幸せを楽しもう。
できうる限り。
私はジーンズを履き、キャミワンピを纏った。
シャワールームから出る。
「お待たせ、カズ。カズも汗流すといいよ。」
返事がない。
もうさっきの場所には倒れていないんだけど。
そっとベッドを見ると、気持ちよさそうにカズが寝ていた。
寝息も聞こえるからあの後に急に様態が変わったってことでもなさそう。
少し安心。
私も疲れたのか眠くなってきた。
いつもならカズの安心できる匂いを嗅ぎながら寝るんだけど……。
私はベッドに向かった。
「石井様、そろそろ夕食の準備を始めたいと思うのですが、いかがいたしましょうか?」
急に女性の声が聞こえ、俺は目を覚ました。
どうやら期待した夢は見ることが出来なかったようだ。
しかも自分の身体が非常に軽い感じがする。
どこにもコリを感じないのだ。
俺は起き上がり伸びをする。
どのくらい寝ていたのか?
そういえばシャワーを浴びていないな…ん。
そこではじめて自分の身体の調子がいい理由が分かった。
隣のベッドで服を着たままアンジェラが寝ていた。
そう、あのアンジェラが俺の横で寝ていないのだ。
この島に着いてからは、寝るときは必ず俺に抱き着くように寝ていたアンジェラが違うベッドで寝ている!
よく考えれば、今日の彼女は変だ。
いや、元々が異常すぎたので、ある意味、この状態が常識的に考えて当たり前なのはわかっているのだが。
ずっと一緒に寝ていたはずの女性が急に別のベッドに行ってしまうというのは、その、なんというか…。
はあ、わかっているんだ、自分でも。
もう彼女に、アンジェラに心惹かれてしまっていることに。
体の調子がよく、寝覚めがいいのはいい事なんだが、好意を抱き始めた途端、離れられると、寂しさがより大きくなる。
だが、この島の環境や、自分の置かれている状態を考えると、素直に恋愛にふける場合でないことは重々承知している。
この島のシステムも、自分の顔がプリントされている社員証と自分の名前の不一致も、そしてこのアンジェラという女性そのものも、不自然すぎる気がしている。
少し夢に引っ張られすぎているとは思う。
その夢が、さも現実に起きたことのように感じている自分自身に違和感も湧いている。
何が虚偽で、何が真実なのか?
考えていても仕方のない事だった。
よく考えれば、ロッジのベッドは一つしかなかった。
当然のように一緒に寝ていたが、ここにはベッドが二つある。
わざわざ狭いベッドに二人で寝る必要はない。
俺は幸せそうに寝ているアンジェラの顔を見た。
いまだ、この娘の正体を俺は知らない。
それでも安心して寝ているその綺麗でかわいらしい寝顔に、俺の胸は高鳴っていた。
「ここから本館まではどのくらいかかるんだ?」
この寝室にあったディスプレイに映し出された、伊織とは違いかなりアニメ的な絵の美少女が口を開く。
「送迎用の車両が幾分大きいため、速度がそれほど出せません。1時間ほど、お時間を見ていただければ到着いたします。」
「わかった。これから1時間後にこのキャンプ場から移動する。よろしく頼む。」
「承知いたしました。」
答えると同時に、ディスプレイ内の美少女が消えた。
「さて、ちょっとシャワーを浴びたら、アンジェラを起こさんとな。」
軽く寝息を立てているアンジェラを見ながら、彼女はどんな夢を見ているのだろう?
そんなことを想った。
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