第32話 アンジェラの夢

「悪かったな、無理矢理起こしてしまって。」


 今、本館に向かう自動送迎車両の椅子に座り、横で軽くあくびをしたアンジェラに言った。


「大丈夫だよ、カズ。カズが気持ちよさそうに寝ていたのを、隣のベッドで見ていたら寝ちゃった。えへへ。」


 可愛らしい笑いを浮かべるアンジェラ。

 俺がシャワーを浴び、寝ているアンジェラのベッドに腰かけていたのだが、一向に起きる気配がないので、体をゆすって強引に起こしてしまった。

 今までのアンジェラなら、起きるとすぐに抱き着いてきたのだが、今回は恥ずかしそうにして、俺から離れた。

 ますます俺の気持ちが揺れてしまう。


「何か楽しい夢でも見ていたのか、アンジェラ。」


 自分の夢が、何故か現実的に思えるようになってきた俺は、アンジェラがどんな夢を見ていたのか、気になってしまっていた。


「夢、……ゆめか。そうね、楽しいかどうかはよくわからないけど、夢だよね、あれ。」


 妙な言い回しをするな、と思った。

 まさか俺と同じように、昔の記憶のようなものでも見ていたのだろうか。


「う~ん、なんというか、そう、お伽話みたいな、そうだね、夢だよね。本当の私は格好いい旦那さんのいる奥さんなんだもんね。」


 そう言って俺に照れ隠しのような笑い顔を向けてきた。


「よかったら聞かせてくれないか?この車が目的地に着くまで、まだ時間があることだし、ね。」

「そんなに面白いとも思えないけどね。」


 アンジェラはそう言うと、その夢の話を語り始めた。






 大きな白い羽が視界を覆った。

 と思うとすぐにその羽は折りたたまれ、自分と同じような少女が立っていた。

 大きな羽は折りたたまれてはいるがその背中にしっかりと存在をアピールしている。


「久しぶりね、今までどうしてたの?」


 少女がそう自分に話しかけてきた。

 どうやら自分はその少女と知り合いらしい。


「よく、わからない。一人きりでいたと思うけど、あれは何処だったんだろう?」

「ふーん。でも、ここに帰ってこれたのなら、よかったね。まだ羽は戻っていないようだけど。」


 少女の後ろには大きな木が空高く、それこそ見えないくらいまでそそり立っていた。

 その木の枝には少女と同じような格好の人たちがいて、こちらを見ているようだ。

 よく目を凝らすと空を舞う少女たちもいた。


「だけど、まだ羽が戻ってないところを見ると、完全に許されたわけじゃなさそうね。」


 少女の視線は、私の背後、背中に向けられている。

 ここの住人はみな羽があることが伺える。

 そして、自分にも昔は羽があったような言い方だった。


「まだ完全じゃなくても、この素晴らしい世界に帰って来れたんだもの。すぐに失った羽も生えるわね。」

「だといいのだけど。」


 私の口が勝手に言葉を吐いた。

 全く意識していない言葉。


「あの木の実を食べて、ここから落とされたわけではないんだから、きっと大丈夫。」


 この子の言い方は、無性に気にさわる言い方だった。

 この世界にはない筈の蔑み。


「下に落ちた者どもが薄汚いといつも言ってたものね、あなた。」


 何か知っていて、同情のふりをして、人を侮蔑するやり方は、まるであいつらみたい。

 ちょっと待って、あいつらって、誰?

 この世界にはないってどういう意味?

 私は自分が考えている言葉の意味が理解できない。

 これは何の話。

 どこかの寓話なの?

 目の前にいる少女の口元が大きく上がって、人を見下すような表情になった。


「あら、いやだわ。そんな下の世界のような顔をしちゃ。いくら羽がまだないからって、それじゃまるで、人間みたいじゃない。」


 その言葉と同時に、私の名前を呼ぶ優しい声が聞こえたの。

 アンジェラ、起きて、って。

 カズの呼ぶ優しい声で、私はうれしくなったのよ。






 送迎車両が本館の玄関口に止まった。

 本館は大きなホテルのようだった。

 しかもかなり格調が高そうな雰囲気がある。


「この人工島<エオル>の開発の象徴でもあるホテル、インペリアル・エデンです。まだこの人工島を開発して間がないため、今回協賛会社様でありますG・O・Dの石井様夫妻の滞在という形を取り、現状の問題点を見つけていただき、さらなる改善の予定でした。まさか嵐に巻き込まれるという不測の事態になり、この本館にお招きするのが遅くなってしまい、申し訳なく思っております。」


 やはり、おかしい。

 本当にこのリゾートの開発の監査を兼ねた旅行であれば、予定通りに到着しなければ、即時に所属する会社に連絡をするはずではないのか。

 それを何日も放置するだろうか?

 この人工島で行われている、全く別の計画があることにはさすがに気付いた。

 だが、この島の対応は、自分たちを不快にさせることはない。

 このまま接客を受け、考えて行動していくしかないのだろうと、俺は腹をくくった。

 例え、その事故が仕組まれたものだとしても…。

 俺とアンジェラは新たなAIと出会った。


「ようこそ、インペリアル・エデンへ。当館を管理します、遠野祈里いのりと申します。この館で用があればなんなりと申しつけくださいませ。」

「君はロッジのAIと同じ苗字だが、これは何か意味があるのか?」

「はい、私とサバイバル・ロッジを管理します遠野伊織とは姉妹でございます。わたくしが姉という立場です。」


 ふっと、苦笑いしてしまった。


「では自動車両とキャンプ地のAIの天津伊奈帆とは?」

「従妹です。」

「よく考えられているものだ。」

「はい。こういうことからお客様の興味をそそるという側面もあります。お客様の趣味嗜好は重要な情報ですから。」


 こういった高級なホテルでは確かに、聞かれてもいないのに自分の好きなものを提供されれば、満足度も高いのだろう。

 この時の俺は単純にそんなことを考えていた。

 必ずしも、この考え方は間違っていなかったのだが…。


「部屋に案内してほしい。さすがに少し疲れた。部屋でくつろいだ後に夕食を頼みたい。」

「承知しました。」


 俺とアンジェラは指定された部屋にゆっくり歩いた。

 アンジェラが自然と俺の左手に抱き着くようにしてともに歩く。

 アンジェラを見ると少し照れたようにして俺を見上げた。

 その潤んだ瞳と、ワンピースから覗く白い肌。

 二つの膨らみが作る谷間も目にまぶしい。


 この栗色の髪の毛の女性は、美しさもさることながら、より自分の好みの女性であることを意識してしまう。

 腕を抱かれ、感じる体温、甘い吐息、男を刺激する女性特有のにおい。

 すべてが俺を誘っているような気がする。

 だが自分が石井和久でない、という非常に強い思いが俺にはある。

 自分に何が起こっているのかわからないが、仮に自分の知る先輩でない同姓同名の人物だとしても、それがこの俺でない、という確固とした自覚があった。

 このアンジェラ・インフォムという素晴らしい女性がその石井和久の妻だとしたら、この女性が愛しているのは俺ではない、という事になる。

 社員証の件でも今の自分との微かな違い。

 まさかと思うが、人格が別の人間に移植されている、などという事があるのだろうか。

 至極まっとうに考えれば、俺は本当に石井和久で、夢はただの夢。

 俺が記憶を失う前に、妄想癖でもあって、あんな夢のようなことばかり考えていたのかもしれない。

 それでも、俺はあの夢こそが自分自身ではないか、そう思ってしまうのだ。


 廊下の表示に従っていきついた先は離れであった。

 かなり広い平屋で、ベッドルームとリビングがわかれており、キッチンもついている。

 当然トイレとバスルームは別となっている。

 ベッドルームにはキングサイズどころではない大きさのベッドが一つ置いてあった。

 その気になれば4人くらいは寝れそうだ。


「こちらが、今回、石井夫妻様のお部屋になっております。気に入っていただけましたか?」


 テレビとは違う、少し小さめのモニターに先程のAI遠野祈里が現れ、そう尋ねられた。


「ああ、十分に満足だよ、祈里さん。妻もはしゃいでいる。」

 ベッドを見つけたアンジェラは大喜びでそのままベッドにダイブして、ごろごろ転がっている。


「夕食は別の部屋に用意させておりますので、準備が出来たらそちらにお移りください。またお二方のお召し物もクローゼットに用意させました。お好きな服でお越しくださいませ。」


 祈里は部屋番号を告げ、軽くお辞儀すると自動的に消えた。


「アンジェラ、服が用意されてるっていうから見てみるか?」


 ベッドではしゃぐ彼女にそう声を掛けた。

 するとアンジェラが、さらに嬉しそうな顔をして、ベッドから飛び降り俺に寄ってきた。


「ねえ、ねえ、カズ!どんな服があるの?見たい、見たい!」


 俺に飛びついてきたアンジェラを優しく受け止めながら、俺はまだこの無邪気で可愛い女性にとういう対応をするべきか悩んでいたが、顔に出ないように努めた。

 青と白の肩を出したアンジェラのキャミワンピも十分に可愛いのだが、そんなに衣装があるのなら、やっぱりいろいろ着てみて欲しいという自分の純粋な希望もあって、抱き着いている彼女を引きずるようにクローゼットを開けてみた。

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