第17話 夢

「最初の予兆は、わが国初の「メタバース」内での乱射事件だったと思われている。」


 俺の視界にはもやがかかったように、見通しが悪い。

 俺に説明するその男のスーツ姿は見えるのだが、顔がよくわからない。

 その声も聞き覚えがあるのだが、全く思い出せない。


「「メタバース」内のルールはその量子コンピューターが設置されている国の法律に準拠する。欧州共同開発のAI搭載「ゼウス」はそのエリアで通じるルールは異なるらしいが、そうは言っても基本のルールは一緒だろう。「盗むな、殺すな、犯すな」といったところだ。各量子コンピューター内のデジタル通貨はリアル通貨を換金して決裁してるしな。」

「基本的に登録はその本人確認を厳密にやっているはず。犯罪行為が「メタバース」内で行われればすぐにその犯人は特定される。」

「そういうことだ。」


 俺は自分が吐く言葉を、まるで別人が語るように聞いていた。


「と、同時に凶器となるようなものは持ち込めない。データーとしても、プログラムとしてもな。VR技術で匂い、味覚までも再現できるようにはなっているが、「メタバース」内での飲食は脳内に直接刺激を与えることで、その「うまさ」を堪能できるようになっている。料理をすることも可能だが、その際の包丁などの刃物は、「メタバース」内のヒトを切ることはできない。」

「そういうことだ。「メタバース」内の土地を買い、そこに住むことも可能だが、基本的にはデーターのやり取りと言ってもいいものだからな。そこに人を傷つけるものはデーターを管理するAIによってはねられるわけだ。」


 男はプロジェクターから投影されているスクリーンに投射される図を指しながら説明をしている。

 それは「メタバース」、ヴァーチャルリアリティの空間での疑似世界についての説明だった。


 すでにヴァーチャルリアリティ内での生活はリアルの世界とほぼ同じ再現度を提供していた。

 オンライン会議も基本はこのヴァーチャルリアリティ空間で行うことにより、より活発になったともいわれている。

 その結果、リアルでの移動が少なくなり、二酸化炭素の発生を減少させることにも貢献した。

 もっとも二酸化炭素自身を炭素と酸素に分ける技術も大いに発展したことで、温室効果も減少に転じて久しい。


 だが俺とこの男との会話は、確かリアルであったはずだ。


「だが今から20年ほど前にある事件が起きた。」

「出雲事件ですか?」


 男はその発言に肯定の意味で首を縦に振った。


 出雲事件。

 その当時はそれほど大きな動きの前兆とは捉えられてなかった。

 日本初の量子コンピュータAI「八百万やおよろず」搭載「メタバース」内のヴァーチャル出雲大社内でマシンガンを連射する事件が発生。

 参拝に来ていた100ほどのアバターとやしろの一部が損傷を受けた。

 当然だが、リアルでの死者は0だった。

 ただし、打たれたというショックとそれを目撃してしまったアバターの一部に精神障害が確認された。

 犯人はすぐに特定され、演算機器内記憶領域損傷の罪で逮捕。

 すべての「メタバース」へのアクセス権を永遠に喪失。

 さらに損害賠償も発生した。

 ただし被疑者死亡のまま、書類送検で終わった。

 犯人は留置所内で隠し持っていた極細のケーブルで首を吊り自殺したのである。


 このマシンガンを「メタバース」内に持ち込んだことが当時、騒動を起こした。

 絶対安全の「メタバース」内にどうやってそんなデーターを持ち込んだのか?

 我が国はこの一件で各国よりバッシングを受けた。

 いわく、技術力が低い。セキュリティーが甘い。等々。

 だが他の国でも類似のテロ行為が次々と発生し、そんなバッシングは消えていった。

 当初は各国バラバラに対応していたが、やがて国際協力の下、対応に出て行ったのである。






 俺は明るい日差しの下、目を覚ました。


 何か夢を見ていたような気もしたが、隣でしがみつくようにして凶的な双峰を押し付けてくるアンジェラのかわいい寝顔が、男性の朝起こる身体的変化を増長させていることに気づき、慌ててベッドから飛び起きた。

 そう、昨夜、突然気を失ったアンジェラにどうしていいものか、悩んでしまったのだ。

 しばらくして寝息が聞こえてきて安心したのを覚えている。

 さらに、ピンクの下着の身のアンジェラの姿態に、自分の中に溢れる獣性を懸命に抑制しながらも、欲情していたことを思い出し、冷や汗を流した。


 今寝ているアンジェラを見る限り、何とかその欲望を抑えつけた自分を褒めてあげたいと思ったのだ。

 それくらい魅力的な女性だ。

 同時に、この女性、いや、女の子の言動は幼女のそれだ。

 俺に全幅の信頼を持って接してくる。

 何かの陰謀でなければ、この女性を抱いても誰も文句を言う人物はいない。

 それでもこれだけ自制心が起こるのは、この幼さなのだろう。

 欲望と同時に庇護すべき対象だと思ってしまう。


 俺はベッドから離れて、トイレで用を足す。

 確かにしっかり水が流れた。

 洗面所で手を洗い、顔を洗った。タオルで顔を拭き目の前の鏡に映る顔を見た。

 昨日よりも血色のいい顔に、微かにひげが伸びている。


 おかしい。

 昨日の俺の顔には髭がなかった。

 何日漂流したかはわからないが、その間になぜ髭が伸びなかった?


 いや、今は考えるのはよそう。

 下着で眠るアンジェラを視界に入れないようにして、食糧庫を見た。

 ざっと見ても、米以外の者の調理法が思い浮かばない。

小麦があるのならパンやパスタは作れる道理だが、さすがに過去の俺に作ったことが無いようで、記憶は出てこなかった。

 と思って他の棚に目をやると、本が数冊並んでいた。

 少し不審に思いながらその背表紙を見た。


「なんだこの本…。「誰でもすぐにおいしい料理」?「パンの簡単な作り方」?「俺様流、男飯」?これって…。」


 レシピ本か?

 都合よくこんなところに?

 いや、食糧庫に誰でも使えるように置いてあるという事だろうか?

 仮にここが宿泊用のレンタル宿舎だとでも考えれば、わからなくもないのか?

 違うだろうな。

 そういう場合は何処に何が置いてあるか、案内する人間が存在するはずだ。

 こんな風に探索しながら、という想定はしない気がする。

 とは言っても、この状況は助かる。

 俺はそのレシピ本を数冊持って、キッチンに向かった。

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