第6話 暗闇の探索

 ベッドから立ち上がり、そのスイッチに近づいた。

 スイッチを入れた。


 しかし、この部屋の明かりは点らなかった。

 振り返ると、暗くなる室内で膝を抱える美少女の身体が少し震えているのが解る。

 そう言えば、アンジェラは服の必要性に防寒をあげていたな。

 ベッドの掛布団を被れば、暖は多少は取れるのだろう。

 この場所ならそこまで気温は下がらないように思えたが、寒さを感じるくらいはあったのかもしれない。


 チャンスだ。


 俺はそう思って、またベッドに腰かけて、震えるアンジェラに声を掛けた。


「肌寒くはなるんだな、ここって。じゃあ、やっぱり、これ、着た方がいいぜ、アンジェラ。」


 この言葉に、アンジェラが顔をあげ俺を見た。

 暗くなる部屋の中で微かに頷くアンジェラの頭を確認した。


「さっきの様子でこいつの着方はわかるだろう。ちょっと俺はこの家の中探検させてもらうよ。」


 暗い中で彼女の瞳が俺を捉えている。

 しばしの沈黙。

 そして、軽いため息。


「うん、わかった。……ありがとう。」


 裸でいることが普通の少女が、自分の信念(?)を曲げたことに対する罵倒でなく、感謝の言葉でよかった。


「でも、すぐに帰ってきてよ。この部屋で一人って、なんだか、寂しい。」


 この10日以上もの間、一人でいたはずのアンジェラが、そう言って俺を上目遣いで見上げてくる。

 思わず、俺の心の柔らかいところを締め付けらる感じだ。


「ああ、大丈夫だよ、アンジェラ。ちょっとこの家を素敵にする道具を探しに行くだけだから。」


 俺の言葉に軽く頷いた。

 ここで付いてくると言われると、行動が制限されそうで少し緊張していたのだ。

 俺は少しほっとして、先ほどぶちまけたスーツケースの中から、懐中電灯を取り出した。


 何でこんなもんまではいっているんだろうか?


 このスーツケースの持ち主が石井和久であることは間違いないのだろう。

 鏡を見ていないのでそこに乗っている写真が俺かどうかは今一つ確証は得られていないのだが、アンジェラは当然のように俺が石井和久であることに疑念を持っていなかった。


 俺のものか、別人のものかはさておき、さらに女性用下着がアンジェラにぴったりだったことも一旦思考の隅に置いておくとして、どういう状況だと、女性ものの下着だけをスーツケースに忍ばせる可能性があるのだろうか?

 さらに今持っている懐中電灯。

 スイッチを入れれば、しっかりとあたりを明るく照らしてくれている。


 いや、今はもっと重要なことをしなければならない。


 見たところ、この家はぽつんと立っている様子。

 プロパンガスのボンベは置いてあった。使えるかどうかは別にして。

 水道設備は今の所分からないが、アンジェラが10日以上、生き永らえたところを見れば、近くに湧水くらいはあるのだろう。

 排泄は最悪、海を使うとして、この家周辺には電線の類はない。

 地下から供給されているかと思ってスイッチを入れたが、全く光らなかった。


 とすれば考えられることは、俺の頭では一つしかなかった。


 自家発電。

 その装置がこの家のどこかにある筈。定番は地下室だ。


 1階に降りて視界に入ってきた大きなシャンデリアに光を向ける。

 キラキラと輝いている中に、明らかにLED電球らしきものが見えた。

 こんなものを実際に見たことがあるか、正直言うと記憶が戻らないのでわからないが、高級そうには見えた。

 光らない置物かもしれないとも思ったが、やはり光るようだ。


 俺はさらに奥へ光を向ける。

 光の先にはダイニングキッチンがあった。

 そこまで近寄り、コンロを見てみる。

 あまり使ったようには見えないが、その横には包丁が置いてあった。

 懐中電灯を向けると、汚れが目立つ。

 この包丁は使われた跡があり、その後に洗っていないということだろうか。


 コンロのスイッチがあった。俺は少し興味を持った。

 まさかこのスイッチを入れると爆発する、なんてこともあるまい。

 少しびくびくしながら、コンロの点火スイッチを入れてみた。


 しばらくカチカチという音がした後、ボッと音がして青い炎が勢いよく出てきた。

 予想通り火が使える。

 これは料理だけでなく、生きていくうえでかなり有利だ。

 少しほっとした。


 コンロの横に水道の蛇口と流しがある。

 キッチンとしては一般的と言えるだろう。

 蛇口のレバーを上げてみたが、水はまったくでない。

 それどころか音もかすかにも聞こえなかった。

 自家発電がメインだと思えば、水道も地下水をくみ上げるタイプと思われる。

 つまり、汲み上げポンプが作動しなければ、この蛇口から水が出ることは無い。


 結局は電気の供給が必須なのだ。


 ダイニングキッチンの先に廊下があった。

 懐中電灯を向け、その奥を照らす。

 二つの扉が廊下の両脇にあり、さらに奥に地下への階段らしきものが見えた。

 とりあえず、ほっとした。


 少しその廊下を進み、まず右手の扉をそっと開ける。

 先の見えない扉を開けるのは、この暗い中では、はっきり言って怖い。

 この状況で誰かが隠れているとは思えないが、扉を開けたそこに死体が転がっていた、などということがあったらたまらないからだ。

 万が一だが、ここには人が住んで居て、それをアンジェラが殺害。まるでこの家が自分の物のように振舞う殺人鬼、という発想が俺の脳裏をかすめたのだ。


 この綺麗すぎる建物で、そんな凄惨なことが行われた可能性はほとんどないことは解っている。わかっているのだが……。

 俺は自分の恐怖心をそういう言葉で押さえつけて、扉を少し開いて懐中電灯の光で照らしてみた。


 そこは倉庫のようだった。

 棚が作りつけられており、下に段ボールが何個か置いてある。

 その上には大きめの袋が重なってあった。


 危惧していた死体は何処にもなさそうだ。

 後は電気をつけた後で探索した方が、精神衛生上よさそうだった。


 その部屋を出て、今度は反対側の扉を、それでもゆっくり開けた。

 そこは洗面所のようであり、洗面台と洗濯機、乾燥機がしつらえてあった。

 そのほかに扉が二つあり、片方は曇りガラスがはめ込まれている。

 常識的な判断をすれば、この曇りガラスの向こうがバスルーム、もう一つの扉がトイレと言ったところだろう。


 俺は洗面台に近づき、そこに鏡があることを確認した。

 この懐中電灯の光だけで自分の顔を判断するのもどうかと思ったが、どうしても写真付きの社員カードが気になっていた。

 目覚めてから初めて自分の顔と対面する機会である。

 確かめておく必要があった。


 懐中電灯の頼りない光の下、鏡の中の自分を見た。

 結果的にはあの写真は自分に似ているという程度の判断になった。写真の人物は眼鏡をかけていた。だが鏡の中の俺は眼鏡をしていない。だからと言って目が見えにくいわけでもない。眼にコンタクトレンズを入れているという感触もなかった。


 似てはいる。

 だが、断定できるほどでもなかった。


 とにかく電気を供給するシステムを見つけることだろう。


 とはいえ、一応二つの扉を確認しておく。

 曇りガラスの方はやはりバスルームだった。

 使用形跡はなし。

 アンジェラはここを使ったことがない。

 だが、水が出なければ使いようはないのだから当たり前か。

 だが、そうするとトイレはどうなっている?


 違う意味で恐怖が涌いてきた。

 アンジェラはかなり綺麗な部類の女性だ。

 先程の接触でも不快な香りはしなかった。

 今いるこの場所でも、さして不快な匂いはしない。

 特に糞尿関係の臭さはなかった。


 だから、その中が酷い状態にはない……はず。

 自分の心の内の臆病な俺を無理矢理抑え込んで、そっと、扉を開いた。

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