第24話 人工島〈エオル〉
その点滅を、最初は気のせいかと思った。
まだ階下のリビングとダイニングキッチンの明かりは消していないから、ドアの向こうはそれなりに明るい。
この寝室も明かりがついているため、かすかな光の点滅など、見えるはずがなかった。
だが、やっぱり点滅を繰り返している。
俺は思いっきって、そのドアの向こうを見に行った。
少し酔っていたのかもしれない。
俺を誘うような点滅に見えてしまっていたのだ。
その光の点滅は確かにあった。
この寝室とは廊下をはさんで反対側の壁の一か所が、緑と赤の小さなランプを交互に点滅させていた。
確か、昨夜はそんなことは無かった。
ウッド調の色合いに塗られた壁のちょうど手のあたる高さに小さく点滅している。
その壁の向こう側はキッチンの上にあたるのだが、よく考えるとその向こうに部屋があってもおかしくない構造のように思えた。
俺は寝室から出て、その点滅する箇所に近づいた。
何か危険を感じるということは無かったが、微かにその奥からモーター音がしている気がする。
気になった。
今のほろ酔いで近づくべきではない、という事は解っていたのだが、心の奥からの誘いが、俺の身体を突き動かしてしまった。
よろけるようにその点滅する場所に右手の平を押し当ててしまった。
その点滅のリズムが急に早くなる。
壁の向こうのモーターが、一気に回転数を上げたかのような甲高い音を立てた。
と同時にその周辺に切れ目のようなものが浮き出して、そのまま切り取られたかのように奥に引き込まれた。
そしてスライドして、隠れた部屋が出現した。
微かに、「対象人物確認シークエンス、終了」と機械的な声が俺の耳に届いた。
「ようこそ、人工島<エオル>へ。私はこの「離れ小屋・サバイバルロッジ」の管理AI遠野と申します。石井和久様と奥方の来訪を心より歓迎いたします。」
その部屋の大きなディスプレイに、綺麗な女性の受付嬢を模した映像が俺に微笑んだ。
俺はその部屋に入り呆然としていた。
どこに隠してあるか、まったくわらないカメラから、リアルタイムの映像が流れてきていた。
その半数は今日確かに立ち寄った場所で、それ以外も多分、この建物からそう遠くないところの映像なのだろう。
さらに、メインモニターと思われる受付嬢の画像のあるディスプレイの反対側には、この部屋のいたるところを捉えているようだ。
その一つにはピンクのブラとショーツをつけただけの美女、アンジェラの寝姿まで完全に収められている。
アンジェラが俺の妻?
「俺の質問には答えてくれるのか?」
「はい、わたくしが分かる限りは。」
本当のことを話してくれるのであればありがたい。
だが、何故、今このタイミングでこの部屋が動き出したんだ?
「まずは俺の名前と、その、妻、の名は?」
「おかしな質問ですが、わたくしの持っている情報の確認と承りました。あなた様は石井和久様。33歳。今回、奥方様との新婚旅行の目的でこのリゾートアイランド、<エオル>に1か月予定で滞在。奥方様の名前に関しては登録されておりません。これは石井様がこちらに到着次第登録を予定していると伺っております。」
「妻の名が登録されていない?私の名前が登録されているのに?」
「このリゾートアイランド、人工島<エオル>の運営会社、ハセボシ株式会社の大株主が 株式会社 Global of drivetechnology です。この<エオル>をはじめ32あるリゾート施設は福利厚生の対象になっています。ですので、略称G.O.D社の社員は入社時にそのままこのハセボシのリゾート施設の会員に登録されています。当然その家族の方も登録は可能ですが、石井様はそれをここに到着してから行う予定だったようです。」
「また、なんで?」
「入籍後、名字が変わってからのほうが面倒が少ないとの理由と聞いてますが…、まさかとは思いますが、石井和久様ご本人ではないのですか?でも指紋、掌紋、網膜パターンともに本人と照合されてますが…。」
ディスプレイ内のバーチャル受付嬢が混乱した表情を浮かべている。
AIの進歩も凄いものだ。
「実は私には記憶がない。どうやら何らかの事故に巻き込まれたようで、昨日、この近くの浜に打ち上げられたところを、アンジェラ・インフォムという名の女性に助けられた。ただし、この女性は10日以上この島で過ごしたらしいが、やはり記憶がないとのことだ。」
俺の言葉に、ディスプレイ内の受付嬢が固まった。
というより円形のサインがディスプレイ中央で回ってるところを見ると、突発的な内容で、その整合性と、精査を行っているようだ。
結構な時間がたった。
再起動でもしたくなるほどの時間だったが、ようやくディスプレイ内の受付嬢が動き出した。
「お待たせしまって申し訳ありません。先ほどのお話で、こちらが抱えていた様々な予定行動とのずれ、並びに本館からの通信がない状態で、地下の緊急発電装置が動き出したことに整合性が認められました。緊急状態5042、了解です。」
最初は俺に向かって説明していたと思っていたが、最後の了解とその前の数字は何を意味するんだ?
「石井様の状況は確認いたしました。確かに、石井様がご計画されていたこの<エオル>での滞在行程とは明らかに異質です。当初、石井様は自家用セスナでこの島の北西に位置する滑走路から上陸予定でした。」
自家用セスナ?
俺はそんな金持ちなのか?
そういえば肩書が技術部長だった。しかしながら、受付嬢が言っていた俺の年齢は33歳だった…。
俺はいったい何者なんだ?
この受付嬢に質問をするたびに、わからないことが増えていく気がする。
「ええと、ちょっといいかな。君には名前があるのか?」
「失礼しました。遠野伊織と申します。先ほどは苗字しか名乗りませんでした。申し訳ございません。」
あ、そういえば苗字は言ってたな。
まあ、いいか。
「じゃあ、伊織さんと呼ばせてもらうよ。」
「よろしくお願いします、石井様。」
機械相手に下の名前で呼ぶのもなんだかなあ、って感じではある。
「さっきも言ったけど、俺の記憶はかなりなくなっているようで、出来たら今回の新婚旅行の日程を教えてくれるかな。」
「かしこまりました。」
そう言うとそのディスプレイの横に置かれた少し小さめのディスプレイが灯る。
そこには寝室で見た島の地図が、より鮮明に映し出された。
それを見る限り、このロッジ風建物とは反対側の海の近くに長方形の場所が映し出された。
「この島自体が人工島で、あまり広い敷地を取ることが出来ませんでした。そのため滑走路も短く設定されていて、通常のジェット機では降りることが出来ません。ですが小型のプロペラ機、石井様の所有されていたセスナであれば問題なく降りることが出来ます。」
そういうものか。
金持ちはプライベートジェットを持っているという話だしな。
「石井様の新婚旅行の行程では5日前にはこの島に到着されているはずでした。しかしながら、キャンセルの連絡も遅滞の連絡もありませんでした。3日前にさすがに一月の滞在予定と言っても、遅すぎると、この島のすべてを管理しているマザーコンピューターが判断して、石井様の所属するG.O.Dに連絡いたしました。すると予定通りにこの島にセスナで向かっているという連絡がありました。」
「5日前か。」
そうするとやはり計算が合わない。
アンジェラは10日以上前からここにいると言っていた。
「伊織さん、その前後でこの島の周辺で、異常な気象や、事故のニュースはなかったですか?」
「私共はここを管理し、ご滞在されるお客様をもてなすことが業務です。もっとリラックスして楽しんでもらいたいという想いから、お客様には緊張せずお過ごしいただきたいのです。できれば敬語などは使わないで頂けると、こちらとしても助かるのですが。」
俺の質問には答えず、そうここのAIは返してきた。
「OK。ではそちらもフランクに接してほしい。こんな感じでいいかい、伊織。」
「はい、了解です。」
ディスプレイ上の受付嬢に扮した遠野伊織がそう言うと、そのコスチュームがアロハシャツのような衣装に変わった。
確かにこっちの方が南国のリゾート感が出ていい気がする。
「先程の石井様の答えですが、確かに3日ほど前にこの島の南方で積乱雲が発生、この島には直接の被害はありませんでしたが、結構な降水量を確認しています。少々お待ちください。」
暫くすると、地図のあったディスプレイが変化した。
この島が小さくなり、その下方、おそらく南に低気圧を示す気象図が投影されその進路が示された。
「これが3日前の気象情報です。示すとおり、この島にはあまり接近はしませんでした。」
そこにもう一つのこの島へ伸びる矢印が現れ、ものの見事にその低気圧の進路と交差していた。
「石井様のセスナ機のこの島への経路を参考までに合わせてみたのですが…。事故にあった可能性は高いですね。」
俺が事故にあい、運よくこの島に流れ着いた。
確かにこの状況と一致する。
「いかがいたしますか。どうやら事故にあったため、石井様の記憶に齟齬が生じている可能性がございますが、御社に連絡して救援要請いたしますか?」
もし本当にそのような事故が起きて、自分だけがここに来たとしたらその方法がベストだろう。
だが、今の自分は記憶の欠如は認められるものの、体調はすこぶるいい。
もし一緒だという妻がアンジェラなら、何の問題もない。
しかしいろいろ辻褄が合っていないこの状態…。
俺は本社とやらにこのAI、遠野伊織が連絡することを快く思っていない。
いや違う。
俺は今、楽しいのだ。
アンジェラと一緒にこの島での暮らしを楽しいと感じている。
その妻という存在に、不安がない訳でもなかったが、まだ20日以上の休暇があるというのであれば、この状況を楽しみたい。
それが人道上よろしくないという事は重々承知したうえで、アンジェラとのひとときを楽しみたいのだ。
仮に他に妻がいて、一緒に事故にあったとして、もう3日以上が過ぎてしまった。
すでに手遅れだ。
他の陸地に運良く助かってたとすれば、会社を通じてここに連絡が来るだろう。
であるのなら、このままこの生活を満喫していても問題はない。
俺は自分勝手な理屈であることを充分理解したうえで、今の状況を楽しむことにした。
「いや、連絡はいらない。もし会社から連絡が来たら私に回してくれ。」
「了解です。」
そして俺はアロハ姿の伊織に言った。
「これから妻と一緒に寝ようと思う。その無粋なカメラは切ってくれよ。」
俺は「妻」という単語に照れながらそう伊織に言った。
「それは当然ですよ、石井様」
伊織が何とも言えない微笑を浮かべてそう言うと、ピンクの下着だけで眠っているアンジェラを映していた映像が消えた。
「お休みなさいませ、石井様。」
穏やかな微笑を湛えたまま、伊織はゆっくりとお辞儀をした。
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