第35話 石井真子

 石井真子。旧姓は伊藤。

 私と同じ大学で4歳年上だ。


 私にしろ、石井和久先輩にしろ、本当の両親を知らない。

 国家事業の体外受精プロジェクトで生まれたからだが、優秀な人物の精子と卵子から受精卵を作っているため、ランダムで行われる体外受精よりも知能、体力が優秀な子供が生まれる確率は高くはなっている。

 さらにそういった子供を厚生労働省のバックアップの下、高度な教育が施され、私にしても先輩にしても通常の教育期間を大幅に短縮され、私は20歳で工学博士を、先輩は22歳で医師免許を獲得している。

 私は博士号取得後、同じ大学院の医学専攻で医学博士を取得。

 高校から厚生労働省のプロジェクトに関わりながら23歳で一般のキャリアをはるかに超える立場で正式に入省した。

 もっとも、高度教育プログラムの専攻生は国家公務員への就職が一定期間義務付けられているので当然なのだが…。

 その為、この国の最高学府といわれる大学の卒業生が普通に上司になるのだが、私たちのような特殊な人間に対して、明らかに嫌悪する輩も少なくないわけだ。


 今回の事態、不満症候群フラストレーションシンドロームの蔓延は、この国のみならず人類の存亡がかかってる。

 既に小国と言われた国で消失した国家も存在する。

 その為、形式上の上司というものはあったが、この「月読つくよみ」による不満症候群対策研究班は事実上、私がリーダーとなった。

 とてもではないが、普通の人間で対応できる話ではなかった。


 だが、その優秀な人物にすべてを任せた結果の「内幸町総合病院機能停止事件」である。

 一般人が私たちを危険視する向きもあったが、それは全て実績でねじ伏せた。

 私にとっては石井和久先輩の、そしてその事件で同じく、その現場にいて今も生死の狭間にいる石井真子の弔い合戦でもあったのだ。


天照あまてらす」の後継量子コンピューター、第6世代の「伊邪那岐いざなぎ」の開発は公になっていた。

 その裏で不満症候群対策研究班独自で「月読」を開発したのだ。

 このことは完全に国家機密である。

 かなり速いペースで超高齢化社会になった我が国の体外受精から代理母出産の対応が、副次的に天才を作り出したために、こういったことになった。

 これがよかったのか、悪かったのか今後の歴史が答えを出してくれるだろう。


 私が初めて会った伊藤真子、のちの石井真子は非常に頭のいい女性だった。

 彼女は私達とは違い、母子家庭だった。

 といってもかなり裕福な部類だろう。

 真子の母親は独自の開発を行った化粧品の販売会社の代表であった。

 若い頃に一度結婚したのだが、その男がかなり出来の悪い男で1年と待たずに離婚している。

 そのためか、結婚はする気が無いようだったと真子は言っていた。

 ただ子供は欲しかったようで凍結精子の提供を受け、体外受精後、自らの子宮で出産している。

 この時に精子の提供男性を欧米男性に指定したようだ。


 その結果、美しいハーフの女児が生まれたという訳だ。

 アンジェラ・インフォムの原型である石井真子はそのため、白く透明感のある肌に空色の瞳を持つ栗色の髪の毛の女性となった。

 あえて変更したのは鼻の形である。

 綺麗な鼻梁にして、よりアンジェラは美しくなった。


 伊藤真子とは大学工学部で知り合った。

 その聡明さと母子家庭で育ったためか、優しい性格だった。

 先輩に紹介したのは私である。

 二人はすぐにお互いに惹かれ合い、結婚した。

 そしてその時に、私は自分が真子に恋をしていたことに気付いた。

 先輩に紹介する前にその気持ちに気付いていれば、もしかしたら真子を失う事はなかったのかもしれない。

 石井真子は夫の石井先輩の補佐という形で、先輩の構築したコンピューターネットワークのシステムエンジニアをしていたのだ。

 あの事件の日も、病院でメンテナンスをしていたのだ。


 そう、もう言っても仕方のないことであった。

 そのような経緯で、アンジェラの顔は石井真子をベースにして作成した。

 性格や行動原理も基本は石井真子である。

 もしかしたら、そういう未来もあったかもしれないという、自分の妄想が生み出した産物となる筈だった。

 

 だが、アンジェラ・インフォムは初期設定とは全く違う人格となっている。

 何らかのバグがある可能性はあった。

 だが、アンジェラがこの世界に出現したのが、10日ほど前。

 本来であれば、私がこの島に漂着する1日前に起動するはずだった。

 10日前という事は現実世界では、私がカプセルに入る1日前。

 この環境を起動した日になる。

 1日かけて起動の安定を見ていたのだ。

 その時に、晴天にも関わらず雷鳴が轟いていた。

 そのことと関係があるか定かではないのだが、確かに微弱な電圧の変化が認められたことを記憶している。

 その程度は誤差と判断したのだが…。






 私の質問に、アンジェラの大きな目が見開かれていた。


「何を言ってるの、カズ。わたしはアンジェラ・インフォム。あなたの奥さんでしょ?」

「という設定にはなっているよ、この世界では。でもね、アンジェラ。この世界はある意味私が作ったんだ。当初のアンジェラは君のような無邪気な性格ではないんだよ。」

「言っている意味が解らないよ、カズ。」


 たしかに、ただのAIなら、何らかのバグがあって初期設定が変わってる、もしくはプログラムの変更によれば、私の言った意味に対しての対応がなされるには無理がある。

 この性格の変更に対して答えることはできないはずだ。

 だが…、アンジェラの語った「空の先の世界」という、彼女にとって大きな意味を持つ単語。

 そして、昨日の昼に見たという夢の話。

 私はそのことが単なるバグから発生したものだとは思えない。

 きっと、彼女の中にもその意味に対して、何らかのリアクションが出てくるのではないかと思っている。


「私は石井和久という名ではないんだ、アンジェラ。」

「な、何を、言ってるの?私のことは、何とも思っていないの?」

「そういうことではないんだよ、アンジェラ。うん、私は君を愛してる。例え、本当に君が石井和久の妻だとしても、君を愛してることは、本当だ。」

「わかんないよ!私はアンジェラで、あなたはカズ、石井和久で…。私は和久の奥さん、でしょう?」

「私の本当の名前は須佐野丈瑠すさのたけるという。石井和久は私の先輩で、君のその容姿は先輩の妻である石井真子という女性から映されたものなんだ、アンジェラ。それで……君は、誰?」


 シーツを握り締めながら、その綺麗な空色の瞳が右往左往していた。


「そうだね、アンジェラ。こんな格好では私はまた君を襲ってしまうかもしれない。シャワーを浴びて着替えをしよう。それからもう一度話をしたい。」


 私はそう言って、裸のまま立ち上がった。


「でもこれだけは信じてほしい、アンジェラ。私は君を愛している。」


 私はこの広いベッドルームを出た。

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