人魚の血肉

 ガルムは冥府めいふから逃げ出そうとする者たちが居ないよう見張り、むやみに近づく者たちを追い払う。

 ナーテの話から推察するに、ガルムはナーテを冥府にいるべき人間ではないと判断したようだ。それは何故なのだろうか?


(うーん、ガルムは複雑な思考回路をしたりはしないから、違和感があるなぁ。……それにしても、ナーテが処刑された理由ってなんだろう? やっぱり結構重い罪を犯した感じなのかな?)


 ラティは布製のコーヒーフィルターに、挽きたての粉を入れる。

 続いてゆっくりとお湯を注ぐと、香ばしいかおりが立つ。

 するとさほど時間もかからずに、コーヒーの粉と水分がなじみ、フィルター中央部が盛り上がった。

 ポタポタ、ポタポタ……と、

 ちょうどいい濃さのコーヒーが大きめの雫で落ち続ける。その控え目な音が心地良く、無音だった喫茶店が居心地の良い空間に変わった。


 これだけ上手く淹れられたコーヒーなら、ナーテがたとえ辛い記憶を持っていたとしても、会話を頑張ってくれるんじゃないだろうか。

 ラティはカップをトレーの上に乗せ、カウンターから出る。


 スツールに座るナーテの前に静かに置けば、彼女にも香りが感じとれたのか、ハッとした表情で顔を上げた。


「どうぞ。何も特別なものは入っていないラティ特製ブレンドコーヒーです」

「有難うございます。このカップ、土の質感とゴツゴツとした形が素敵ですね」

「分かってくれますか!?」


 ラティは思わず大声を出す。

 今までこれの良さを理解してくれた者は居なかった。

 知り合いたちに小汚いだの、貧乏くさいだの、散々貶されたこのカップはラティのお気に入りだ。

 土の風合いや無骨さの良さを理解してくれただけでも、話をする価値があるというものだ。


「まぁ、このコーヒー! 驚きました。私が働くレストランで出しているコーヒーよりもずっと美味しいです!」

「飲めるようになったみたいですね。良かった」

「ええ。とても不思議な感覚ですが、味も温度もなぜか分かります」

「……ナーテ、もし良かったら君が処刑されるに至った経緯いきさつを教えてくれないかな」


 少し嬉しそうな彼女に目を細めながら、ラティは一番知りたかったことをたずねる。

 ナーテは悲しそうに目を伏せた。


「それは、貴女が私の罪の度合いをはかり、場合によってはあの寒々とした恐ろしい場所に連れて行くということでしょうか?」

「そんな大層なことは考えていないよっ! ただの興味本位って言ったら、気分悪い……ですか?」

「いえ、私が経験したあの出来事の数々を、貴女に話してみたい気がしています。あの時は何が起こっているのかすら分からず、ただただ混乱の中に居ましたから」

「特殊な経験をしたんだね」

「この大きな木に住む貴女にとって、私の話が特殊かどうかは分かりません。ですが、貴女がどう考えるか聞いてみたいんです」

「分かった。聞きながら考えてみます」


「はい。……………………………………私には恋人がいました」


 ナーテの静かな声は、いるようにも、憎むようにも聞こえる。


「彼––––ラウルというのですが、国立のモンスター研究所で人魚の研究をしています。ラウルは人魚の調査を担当していまして、しょっちゅう沖や離島に出かけては人魚に会っていたんです」

「へー、人魚かぁ」


 なんだかさっきも人魚の話を聞いたなーと思いながら、ラティは相槌を打つ。


「はい。調査を開始した頃は愚痴ばかりこぼしていました。だというのに、半月を過ぎる頃には、調査目的じゃなく、プライベートでも人魚に会いに行くようになりました。私と居る時でも、人魚がいかに美しいか、可愛いか、歌声が素晴らしいかについて語り……、気持ちが悪くてしょうがなかった。あんなモンスターをどうして……」

「人魚は人間に外見が近いから、しょうがないのかな。それに彼女達の歌声には人間を”魅了”する力があるんです。人によって魅了のされ具合は違うみたいだけど、君の彼氏さんにはひとたまりもなかったのかもしれない」

「魅了……? 人魚はそんな技を使う生き物なんですね。嫉妬のあまり、彼女達について学ぼうという気にもなりませんでした」

「学びは大切だよ」

「ええ、本当に」


 脱線気味になってきた話を、ラティは無理やり元に戻す。


「えーと、でもさ。嫉妬するだけじゃ罪にはならないです。君はいったい……」

「人魚を殺害し、王家の晩餐会に珍味として出しました」

「わ、わー!! やっちゃったんだ!」


「ええ、やりました。ちょうどラウルが研究所に、美しい人魚を一体連れてきていて、朝から晩まで、寝食も忘れて彼女が入っていた水槽に張り付いていたんです。……憎かった」

「あー、聞きづらいんですけど、人魚を食べたのってもしかして」

「国王陛下です。人魚の肉だと言いましたら、大変喜んでおられました」

「う゛、う゛ぅ……」


 ラティは驚きのあまり、のけぞった。

 もうその先は聞かなくても分かるくらいだけど、どきどき感が欲しくて耳は塞がないでおく。


「国王陛下は人魚の肉を召し上がった後、酷く苦しみ出し、崩御なさいました」

「その行為は処刑されても仕方がないね……」

「料理を出すまで、反逆罪に問われるなんて、夢にも思いませんでした。噂で人魚の肉は不老不死の効果があると聞いたことがあるものですから」

「噂はあくまでも噂。信じすぎちゃだめかもしれないです」


 彼女のような人が重い罪を犯したのは違和感があったが、人間の世界では一番重い罪を犯していたようだ。ラティは苦笑いのまま、カウンターの上に腰掛けたのだった。

 

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