儀式に必要なのは……

 ラティが用意したプリンアラモードは意外にも、全て客人たちのお腹に収まった。

 食べ飽きているだろうとのラティの予想とは裏腹に、彼等は気軽に喫茶店に通ったりはしないようで、喫茶店メニューがもの珍しくうつったようだ。


 プリンアラモードの給仕が終わったラティは、厨房に引っ込む。

 すると、第一王子の従者の一人が追いかけてきて、ナイトとしての役割と報酬について説明してくた。

 

 国の有事の際は、主君の求めに応じる。

 面積が少ないながらも、土地が貰える。

 給料が出る。

 国事防衛に関する移動にかかった経費が国庫から出される。

 苗字を貰える。

 などなど……。


 次期国王に呼ばれたら行かなければならないのは面倒ではあるが、報酬的な部分には魅力がある。ミズガルズに喫茶店を開いてはいるけれど、土地はワーズ家のものであるから、地代を払わずに済むという点で、自分の土地を持っておくのは悪くない。

 それと、後でから人間風の苗字を支給してもらえるのも少し嬉しいかもしれない。どんな苗字になるのだろうか。



 パーティの後は、予定通りオーディンを召喚するための儀式に参加することとなった。

 場所はパステイト市の浜辺。昨日特殊な水蛇を退治した場所の近くである。

 太陽がとっぷりと海に沈み、東の空からは満月が登る。

 ドーナッツ状に積まれた砂には、祭司が描いたルーン文字が放射状に並んでいる。


 周囲をぐるりと回って読んでみると、意外にも内容はちゃんとしているように思われる。


(この召喚式を考えた人は、どこでルーン文字を習ったんだろうなー? これだけではオーディン自体を呼ぶことは無理だろうけど、もう一工夫したら活用は出来そうな……)


 召喚式をジロジロと眺めながら、自分なりの活用の仕方などを思案していると、岩場の方からちょっとした騒ぎが聞こえてきた。

 何かと思い、そちらを向いてみると、ラウルが必死な形相でこちらに手を振っていた。

 てっきり研究所に戻ったとばかり思っていたが、ラティに何かを伝えに来たんだろうか?

 ラティは彼に駆け寄り、声をかける。


「ラウル、どうしたの?」

「今、人魚が一匹岩場に打ち上がったとの報告があって、この近くまで来たんだ」

「う、うん」

「その人魚は、昨日私たちが会話した人魚たちのうちの一人だった。彼女はパステイトに迫り来る危機を教えるために、全力で泳いでここまで来てくれた」

「え! 危機ってどんな?」

「多頭の水蛇だ。今朝、例の海峡に一際大きな渦が発生し、そこで人魚達はバケモノをもう一匹作った!」

「……昨日、ハーブティを飲んでくれなかった人魚たちがやった?」

「私はそう思っているが……。待て、海の様子がおかしい!」

「え」


 ラウルに言われてから、沖の方を向くと、大量の泡が発生している箇所があった。そこから覗く、無数の頭–––––昨日見た蛇と同じ形状をしているけれど、とにかく数が多い。

 昨日港を襲った頭が三十個の水蛇でも多すぎると思った。

 しかし、今日の頭の数は、百個以上あるんじゃないだろうか?

 あまりにも多すぎて気持ちが悪いくらいだ。


 そいつは、真っ直ぐにこの儀式の場に向かってくる。


 第一王子一行も、沖から来る脅威に気がついたようだ。

 王子を安全に逃すべく、近衛騎士や従者たちが素早く退路を確保する。


 ラティも一応第一王子に声をかける。


「早く逃げたほうがいいです! 昨日の蛇よりも巨大なので!」

「分かっている! クソッ、どうして俺が海の近くにいるときに限って、あの蛇が襲ってくるんだ。しかも親父のための儀式の最中だっていうのに!」

「今は君の命を優先すべきだと思います」

「すまない。ナイト、ラティ。後を任せる!」

「あ、うん」


 ガルムが居ない今、あのモンスターを任されるのもきついものがあるが、とりあえず頷いておく。


 第一王子と客人達が真っ先に浜辺から逃げ、騎士達が各々の武器を携えながら、じりじりと後退していく。

 後にはラティと、ラウルの二人だけが残される。

 ラティはラウルにも逃げるように促し、たった一人で砂浜に立つことになる。


「体液が猛毒なのに、あの頭の数……流石に一人じゃ無理すぎるよ」


 騎士達はラティの昨日の戦いっぷりを見ていたからなのか、任せる気満々だし、騎士の増援が来るような気配もない。

 しかも、水蛇が進んでくるスピードはかなりのものときた。


 ラティはため息をつき、そばに描かれた召喚式に視線を落とす。


「試してみるかなぁ」


 ドーナッツ状になった召喚式の中央部にドングリの魔具を落とす。

 すると、砂や空気中に含まれる水分を集め、短めな氷柱が出来上がった。

 ドングリの魔具を拾い上げてから、背中に背負っていたレーヴァテインを抜き、柱の真ん中に刺す。


 氷柱は水となり、召喚式の中央部に小さな水溜みずたまりが出来上がった。


「今日はラッキーなことに、満月。ひょっとするとうまくいくかもしれない」


 水溜りの端に、満月が映り込んでいる。

 本当は真ん中に映っていたほうがいいんだろうけれど、月の移動を待っている余裕はない。


 ラティは腰のホルダーから小瓶を自らの手にとり、コルクの栓を外す。

 中に入っている液体はミーミルの泉の水。その昔オーディンが自らの眼球を犠牲にしてまでも欲した知恵の水だ。

 ラティはこの水を、誰もいない時を見計らって汲んだいた。

 本当であれば許されないのだが、いまだに誰からも咎められてないから、大丈夫……と思いたい。


 そのミーミルの泉の水を一滴だけ、水溜りに落とす。

 すると、変化はすぐに起こった。


 空気の密度が濃くなった気がする。

 夜のとばりが急いでかけられるかのように、闇も濃くなり、沖からの襲来者がたてる水の騒音だけがやたら大きく聞こえる。


 満月の光が満ちる砂浜で、召喚式中央だけが、濃い影の形に切り取られる。

 八本の脚を持つ馬と、甲冑を着る者。

 その影はあまりにも長い片手剣を縦に持ちながら、チラリとラティを見下ろす。


 無言の圧。


 ピリピリするような殺意を全身に受け、ラティは苦笑いを浮かべる。

 対象は自分ではないのに、これだから困る。


「よろしく頼むよ、オーディン……」


 ラティの言葉とほぼ同時に、巨大な影は何気ない所作で剣を振った。

 

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