大商人の娘
兄から殺されたペリアーノと灰色の猫に出会った次の日、ラティはミズガルズにある自分の喫茶店を開く。
ラティはバスケットをカウンターの上に置き、そこから紙に包んだパウンドケーキを取り出す。
先月作りだめしたスミレの砂糖漬けを生地の上に乗せて焼いたから、見た目がとっても可愛らしい。その上からシュガーグレーズをかけ、ちょっとだけ放置しておくと、ちょうど雪が積もった屋根みたいな感じなる。
それを丁寧に切って、ドーム型の蓋が付いたガラスのトレーに乗せる。スコーンや出来損ないのチョコレートなども他のトレーに入れておく。
テキパキとスィーツの準備を完了し、次はランチプレートの準備だ。
綺麗に水分を飛ばした野菜に塩とオリーブオイルだけであっさりと味付けする。
「––––––ええと、後はスープの中にシメジを入れてっと……」
次の作業を開始しようとするラティだったが、喫茶店に客が入ってきたので、動きを止める。
「いらっしゃいませー! おー、久しぶりー」
「ご機嫌よう。久しぶりね」
入店して来たのは常連さんの一人、マルグリットだった。
彼女はこの街で大商人をしている家の一人娘であり、新しい物や可愛い物を好む。金持ちなことを抜かせば、ごく普通の少女だ。
しかし今日の彼女は少し変だ。いつでも華やかなドレスを身に纏っているのに、黒いドレスを着て、同色のベールを被っている。
服装のせいか、大人びた美しい女性のように見えるけれど、彼女の周囲の空気はどんよりしているのは何故なのだろう?
普段は天真爛漫なだけに、ギャップがすごい。
「今日は全身真っ黒で揃えてるんだね。どうかしたの?」
「知っている子が数日前に死んでしまったのよ。……それで、喪に服しているの」
「この世界って知り合いが死んだだけでも、喪に服さないといけないんだっけ?」
「そんな決まりはないわよ。ただ私の場合、死んだ子と口約束だけれど、将来を約束していたの。だから一応黒い服を着なきゃって思って」
「律儀なんだね。ええと、……今日も、スコーンとブレンドコーヒーでいい?」
「それでお願いするわ」
窓際に座った彼女は、物憂げに外を眺める。
いつもだったら他の常連客が来ると、彼女の方から近づいていって世間話に花を咲かすというのに、今日は誰が入店しようが視線一つ動かさない。
婚約者が死んだのがそれだけショックだったんだろうか。
ラティは彼女が座る席に、スコーンとブレンドコーヒーを置き、自作のチョコレートを一つサービスする。
「この黒い物体は何?」
「チョコレートを作ってみたんだ。あんまり美味しくはないかもしれないけれど、食べてみてほしい」
「チョコレートって、自分で作れるのね。味見してあげるわ……、グゴッ……! かったい。こんな物貰ってもありがた迷惑だわっ! ゴホッ……、むせる」
「やっぱミズガルズの人でも駄目な感じなんだー。お水飲んで!」
「はぁはぁ……。酷い目にあった」
苦しそうではあるが、何となく元気を取り戻したような気配もある。
ラティはそんな彼女と少しだけ話してみることにする。
「マルグリッドって、水車小屋を使ったことある?」
「私は無いわ。でもお父様が買い付けてきた大量の蕎麦の実を粉にするために、二、三基所有していたような気はするわね。貴女が使用したいなら、私からお父様に頼んであげましょうか?」
「いいの!? ありがとう! 実は水車を使うと君が今食べたチョコレートがもっと美味しくなるかもしれないんだ。改善出来たら、またサービスしてあげるね」
「ふーん? 楽しみにしとくわ。明日の昼にでも私の屋敷にいらっしゃい」
「うんうん。それと、もう一つ質問してもいい?」
「もー、何なのよ。私はたそがれたい気分なのに」
ベールのごしにも、彼女の機嫌を損ねてしまったのが分かる。
それでも、何となく彼女と話し続けたいような気分なので、構わず続ける。
「この街にりんごだけを売っている行商人っている? 十代後半くらいの男みたいなんだけど」
「……いるっちゃいるわよ。でも、そいつがどうかしたの?」
マルグリッドの声が急に低くなる。
視線が再び窓の向こうに逸らされ、足は貧乏ゆすりを始めた。
「その行商人の名前ってパトリッセ?」
パトリッセとは昨日世界樹の上で出会った少年ペリアーノの兄の名前だ。
その名前を聞くや否や、マルグリットは手に持つ扇子で、テーブルの淵を叩く。
「……そいつの名前を出さないで! 気分が悪い!!」
「わっ! ご、ごめん」
急にヒステリックな声を出した彼女は、周りを見回した後、小さな声で「私の方こそ、ごめんなさい」と謝る。いつでも明るい彼女がここまで感情を露わにするのを初めてみる。
それだけパトリッセと仲が悪いんだろうか?
(うーん? マルグリッドの知人は最近亡くなって……、パトリッセにイラついている……? それってつまり……)
マルグリッドの婚約者は、ペリアーノのような気がしてくる。
世界の狭さに驚くけれど、マルグリッドがパトリッセについて詳しいのであれば、パトリッセ本人と会話するよりも、多くの情報を知れそうだ。
けれど、マルグリッド本人の口から兄弟と知り合いだと聞いたわけじゃないから、まだ決めつけられない。
ひとまずラティは、マルグリッドにお詫びとしてもパウンドケーキを一枚サービスしてから、他のお客さんの給仕にうつった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます