一章 クリームソーダに溶かす夜明けの空
彷徨う英霊
人間が暮らす領域、ミズガルズ。
彼等がその足で、または
地上は濃い霧がかかり、どこへ向かっても何一つ発見出来ないまま向こう側に抜ける。地中から未踏破部分に向かおうにもSランク並みのダンジョンを抜けなければならず、未だにこの世界の最大の秘密であるところの世界樹を発見出来ていない。ということになっている。
そんな世界樹の住民––––––ラティは、世界樹近くのダンジョンの出口から若い冒険者パーティが出て行くのを確認し、双眼鏡を下ろす。
「生存確認っと……。これで約束は果たせたね」
さて戻ろうかと何気なく空を見上げると、一羽の大きな
”また
開口一番失礼なことを言い出す鷹ヴェズルフェルニルに、ラティは眉根を寄せる。これだから腐れ縁は嫌になる。
「悪巧み? 聞こえが悪いな。私は健全なお仕事をしているだけだよ」
”健全な仕事? お前が? あまり笑わせるなよ”
「いつまでも昔のイメージを引きずられても迷惑だね。私は罰として人間の体でやり直してるんだからさ」
ラティは元々世界樹で暮らすリスだったが、伝達ミスが原因で、最悪な事件が起こってしまい、罰として人間の体としてやり直すことになった。
とは言っても、人間の暮らすミズガルズで目覚めた時にはリスだった時の記憶の多くが残っていたし、体のサイズが大きくなって器用な動きが可能になった分、前よりも強くなっていた。
たった一人で世界樹に戻るのはそこまで大変なことではなかったのだ。
「そんなことより、ヴェズルフェルニル。暇なら私を喫茶店まで運んでくれないかな。お客さんを数日待たせてるんだよ」
”全く世話が焼けるな”
ヴェズルフェルニルは文句を言いつつも、ラティの肩を掴み
そこそこの重さの生き物を持ったまますんなり飛べるのだから、普通の鷹ではない。
彼はラティを持ったままかなりのスピードを出し、世界樹の幹に接近する。
遠目には分かりづらいが、この世界樹の幹や枝、には無数のハシゴや階段がかかり、飛行能力の無い者でも行き来出来るようになっている。
ラティの喫茶店はその中でも、比較的上りやすい形状のハシゴの上にある。
トネリコを素材としたウッドデッキの上に、緩やかにうねった形状の木製のフレームが建物のような形状に組まれている。
フレーム上部は世界樹の枝が貫き、厚く生い茂る葉がまるで屋根のように広がる。
ぱっと見人間の子供が遊ぶようなツリーハウスのようだが、ここはラティが時間をかけて資材を運び、作りあげた小さな喫茶店なのだ。
ヴェズルフェルニルはラティをデッキに下ろすと、礼の言葉を最後まで聞くことなく、さらに上層へと飛んで行った。
いつもながらアッサリしているヴェズルフェルニルの行方をちらりと確認してから、ラティは自分の店の中へと入る。
陽光が世界樹の幹や葉に遮られ、少し薄暗い。
しかし、店内のいたるところにぶら下げたランタンのおかげで店の様子を隅々まで確認出来る。
カウンターの端に、まだほんのりと光る人影があった。
かなり時間がかかったから、もしかしたらもういないかと思ったが、律儀にも待っていてくれた。
ラティはその人影に微笑みかける。
「数日待たせてしまったね。君のお孫さんは無事にあのダンジョンから脱出出来ましたよ」
「おお……、そうか」
しわがれた声は老齢の男性のもの。
カウンターの隅に、既に人間としての天寿を全うした者が腰を下ろしている。
厳しい顔に、無骨な装備。その全てが半分透けている。
彼は人間が言うところのゴーストなのだ。
ラティが彼を見つけたのは本当に偶然だった。
世界樹の上方にミズガルズの植物を栽培している”ラティの植物園”があるのだが、彼はそこでぼんやりと花を見つめていた。誰にも見つからないように隠している場所だっただけに、出会った時には驚いた。
驚いた理由は他にもある。
ラティはその人物を知っていたのだ。
知り合いだったということではなく、ただ単に、彼が有名だったからラティが一方的にその名前を覚えていただけだ。
かつてはミズガルズの誰もが知る大英雄。
彼は死後、英雄が集うヴァルハラに真っ直ぐに向かったものと思っていた。だが、実際の彼の魂はラティの植物園をうろついていた。
心に迷いを残したまま亡くなったのだろうか?
何となく放っておけなくなり、ラティは彼を自分の喫茶店に招き、いつものように交渉を持ちかけた。
『君が目的地に向かう前に、その憂いを払いましょうか? 代金として、君の心に残るレシピを教えてください』と。
ラティがここに喫茶店を開いているのは、老害揃いの神様達の話をきいてあげるためではない。金品を持たずに世界樹までやってきた魂を相手にボランティアをしているわけでもない。
こんな特殊なところまで辿り着ける魂と会話を楽しみ、人として生きていたときに大事にしていた飲食物のレシピを手に入れている。
ラティは新鮮な話を聞いたり、初めての飲食物を味わうのが好きなのだ。
かつての大英雄と話をしてみたところ、彼は自分が書き遺した日記について思い悩んでいる様子だった。
先ほどまでラティがいたダンジョンをミズガルズにおいて初めて発見したのは、実はこの大英雄だった。
そのことを彼自身の日記に書いたすぐ後に亡くなったようなのだが、肝心な部分––––––ダンジョンの隠しボス、ファフニールについて書いている途中に息絶えてしまったらしい。
冒険者として活躍する彼の孫が大英雄の日記を見たなら、ダンジョンの攻略に乗り出すだろう。その時にファフニールとの戦いになったらまず生存は見込めない。何とかならないかと、切なる願いをラティに対して訴えたのだった。
ラティは大英雄との会話を思い出しながら、小川から汲んできた水をミズガルズで調達した魔道コンロの火にかける。
「––––––君の孫、20代前半なんでしたっけ? あのダンジョンの最深部には辿り着いていたし、君譲りの戦闘センスがあるんだと思うよ」
「そうか。アレの母親は早くに亡くなってな……、祖父の立場でありながら、いささか過保護に育ててしまった。それが、あれほどの難易度のダンジョンを攻略間近まで進めれるようになったとは。感慨深いものだ。この私ですら、ファフニールを前に逃げ帰ったというのに」
「次に来るときはきっと、あの生意気なファフニールをやっつけちゃうんじゃないですか」
「そうであれば誇りに思う。さあ、約束を果たそう。口頭でよいか?」
「うんうん、待ってました!」
ラティは古紙とインクのボトルをカウンターの上に置き、羽ペンを手に持つ。
大英雄として生きた男が教えてくれるレシピはどんなものだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます