味の無くなったリンゴの後始末
ヘイムダルによってアースガルズを門前払いされた次の日、ラティは喫茶店のテラスでざらつくチョコレートの残りを食べる。
イヴィング川に設置された水車は、最近起きたトラブルによって使い辛い状況とのことなので、やはりミズガルズの水車でカカオ豆を磨り潰すしかなさそうだ。
明日にでもミズガルズの喫茶店を開き、常連さんに水車の場所や利用方法などを聞いてみよう。
仕入れのことなどをあれこれ考えていると、うっかり手に握ったチョコレートを世界樹の幹に落としてしまう。
「うわっ」とテラスの隙間から下を見てみれば、そこには一匹の猫がいて、チョコレートをパクリと食べてしまったところだった。
うろ覚えではあるけれど、たしか猫はチョコレートを食べると死ぬのではなかっただろうか? 少量でも危険らしいから、あの猫はもう助からないだろうと思ったが、予想に反してピンピンしている。
「おーい! そこの猫氏、大丈夫かな?」
「うん。あんたがリスのラティ?」
「元リスだね」
「ふーん。そんなのはどうでもいいや。巨人の王のぼやきを伝えに来たんだけど、聞いてみたい?」
「まぁ、聞いてみるだけならね」
なんだか嫌な予感がするけれど、聞くだけなら大丈夫だろう。
「この甘ったるい物体をもう一粒。話はそれから」
「君が死なないなら、いくらでも食べるといいよ。ここまで登っておいでー」
「いや、別にここでいい」
灰色の猫は日向になったところで、伸びをし、居住まいを正す。
向こうはあくまでもマイペースさを崩さないようだし、ここからチョコレートを落としてあげても失礼にはならないだろう。
一粒落としてみると、猫は嬉々として食べる。
ザラザラしているのが、気にならないのかもしれない。
猫は前足を舐めてから丸っこい顔をひとしきり擦り、ようやくひと心地ついたのか、本題を語りだす。
「黄色のリンゴがなる木を切った犯人の話」
「知ってるんだ! 誰々??」
「巨人の王ウートガルザ」
「ぼやいていた本人なの……」
「にゃー」
「えっと……。リンゴの木を切ったのは、神族に対して何かのメッセージを伝えるためだったりする?」
「そう。『リンゴにはすでに味が無くなっている。無価値なものを、こんなところに植えておくのは目障りだ』と、一思いに切り倒した」
「味がしなくなったんだ……」
「そういう悲劇もある」
「悲劇なのか喜劇なのかは、具体的に聞かないとわからないけどさ……。それをわざわざ私に言いにくる必要はなくないかな?」
「あんたは、ミズガルズの植物を扱ってるって聞いた。だから、代わりになりそうなリンゴの木があるんじゃないかって思った」
「黄色のリンゴでいいなら、一応あるよ。今から植物園にでも行く?」
「行く」
ラティがテラスから幹の上に飛び移ると、猫もしなやかな動きで、ついて来る。
(あれ? あの猫って……あー……)
自分の植物園へ移動する僅かな時間で、ラティはこの猫の正体を思い出す。
彼の本来の姿は、もの凄く巨大な蛇だったはずだ。
それこそ、先月の多頭の水蛇なんかよりも恐ろしい存在だから、後ろからついて来る猫と目が合うと背中が少しだけヒヤリとする。
この
「––––––ここが植物園だよ。上の方にリンゴの木を植えてあるから、見に行こう」
「いいよ」
生意気な返事をする猫に肩をすくめてから、大股で植物園を移動する。
植物園とは言っても、水平方向に広がっているわけではない。
分かれた枝の間や、ウロのようになった穴に種類わけして植物を植えていて、それらを簡素な梯子で繋いでいる。
非常に移動しづらいから、ラティはよく世話をおこたってしまうのだが、世界樹という場所がいいからなのか、枯れてしまうことはほとんどない。
三つほど梯子を登ったところで、ラティは足を止める。
「うちの植物園に植わってある黄色のリンゴはこれだよ」
自慢のリンゴの木は、爽やかな香りで、甘味も充分。これなら巨人の王でも気に入ってくれるのではないだろうか?
「これじゃ駄目。だって、リンゴの色が緑色だよ」
「ええー。緑と言えるほど濃い色じゃないと思うよ。緑よりも、ずっと黄色より!」
「良くて黄緑色に見える。以前イヴィング川の近くに生えていたリンゴはもっと黄色だった。日の当たりがちな面は夕陽の色が移ったみたいな綺麗な色してた」
「この植物園にそんな種類のリンゴはないね!」
「じゃあ、ミズガルズで探してきて。ちょうどいいリンゴの木の苗。前のリンゴの木もミズガルズで見つけてきたって聞いた」
「ちょっと待って。勝手に決めないでよ。黄色のリンゴを探したって、私に何のメリットもないよ」
「礼は用意してある。先日父から盗んだ黄金のリンゴ。それをあんたにあげよう」
「父って……、あー、ロキのことかな。……正直彼には思うところはあるけれど、黄金のリンゴは魅力があるから、巨人の王ウートガルザの望みを叶えてあげることにするよ」
「頼んだ。にゃ? あのリンゴの木の下に、人間の魂」
猫が向いている方向を見てみると、確かに白く明滅する魂が、赤い実をつけるリンゴの木の下に居た。
以前からこの植物園には人間の魂が集まりがちなのだが、もしかするとミズガルズの植物が、彼らにとって親しみを覚えるから、ここに留まってしまうのかもしれない。
人間の魂を見たら自分の喫茶店に呼ぶことにしているラティは、その白っぽい存在に声をかける。
「おーい、そこの君! どうしたのー!?」
ラティは赤いリンゴの木に飛び移る。
後ろを振り返ってみると、灰色の猫の姿は跡形もなくなっていた。
彼とした約束は本当に守られるのだろうか?
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