ワーズ家の屋敷の庭

 ”喫茶店のランチとニオイスミレの花を交換するイベント”には、それなりに多くの人々が参加してくれた。

 おかげで、貯蔵室の中にはニオイスミレでパンパンに膨らんだ大きな麻袋が四つも並ぶ。

 これだけの量があれば、自分用のスミレのシロップや、フレイヤ用のスミレのオイルに使っても、まだ余ってしまう。

 乾燥させてポプリにでもするべきだろうか?


 ニオイスミレを後で渡すと約束してくれた冒険者(フィル・ワーズという名前らしい)もいたが、これ以上あっても使いきれない。


 ラティは貯蔵室から厨房に戻り、皿洗いをしてくれている青年に声をかける。


「フィル殿、今日はこれくらいで切り上げてもらっていいです。すごく手伝ってもらったんで、ニオイスミレもいらないですよ」

「そういうわけにはいかない。あんたにはあのダンジョンでも助けてもらったから、いくら恩を返したって足りないくらいなんだ」

律儀りちぎな人だー」


 こちらを振り返ったフィルの顔をまじまじと見る。

 フィルは男性だけれど女性的な顔立ちをしている。たぶん外見的には人間の女性にモテるんだろう。

 しかしながら喋り方や話す内容、表情の癖から、神経質で気が強い性格が透けているので、結婚相手に困りそうなタイプでもある。


 表情から思考を読まれてしまったのか、フィルの目が鋭くなる。


「失礼なことを考えていないか?」

「いや? 全然」

「ならよし。皿洗いは終了したから、うちに行くぞ」

「私も?」

「当たり前だろう。俺のうちには腐るほど生えているけど、俺には花の良し悪しなんか分からない。適当に選んで持って行ってほしいんだ」

「それでもいいけどさー」


 いわゆるツンデレな性格なんだろうか?

 関わるのがめんどくさいタイプに思えるが、喫茶店の仕事の中で一番嫌いな皿洗いをやってくれたから、まぁいいかと思うことにする。


 ––––––喫茶店を出る頃には、午後の一五時を過ぎていた。

 ほぼ初対面に近い寡黙な人間との会話は途絶えがちになり、ラティは無限にぼんやりしてしまう。


「お前って、世界樹からはるばるこの街まで来たのか? 俺たちのパーティをどこで追い越した?」

「あー、仲が良い鷹がいて、そいつに空から運んでもらったよ?」


 本当は世界樹の喫茶店とこの街の喫茶店がつながっていて、移動は一瞬で済むのだが、念のために嘘をついておく。

 フィルはもしかすると良い人なのかもしれないけれど、ここでペラペラと”秘密の通路”について話し、悪用されたら大問題になってしまう。


「鷹と仲がいいのか? ファフニールとも知り合いみたいだったし、お前って変わった奴だな」

「心がピュアなのでね」

「純粋な心の持ち主ともまた違う気はするけどな。あ、そこが俺の家だ」

「おお」


 フィルが指差す屋敷は、レンガ造りの頑丈な建物だ。

 青々としたツタが絡まっていて、雰囲気が良い。

 そして、屋敷から少し離れたここにまでとてもいい香りが漂ってきている。

 これはおそらく、喫茶店に大量に持ってきてらもらったニオイスミレと同様の香りだ。

 門扉の鍵を開けて、屋敷の中に入るフィルの後に続き、ラティも庭に入る。


 すると、門から母家のエントランスまで見事なほどにニオイスミレが咲き誇っていた。その量の多さもすごいが、品質の良さにも驚かされる。

 喫茶店内に充満していたスミレの香りとは一線を画するような、爽やかさだ。

 フレイヤもこのニオイスミレの香りを気に入るに違いない。


「うわー! これ知人のために摘んで行っていい!? すっごい美人なんだけど、香水用に持っていってあげたらきっと喜んでくれると思う」

「全部摘んで行ってくれ。この大量のスミレの香りを嗅いでいると頭が痛くなる」

「匂いが苦手?」

「いや、うちにはスミレを使ったシロップが伝わっていて、毎年食べていた。だから香りだけで死んだ母と、祖父母の思い出がよみがえってくる」

「一人ぼっちの気分ですか?」

「……そんなわけないだろ。俺は一応成人済みの大人だぞ」


 ちらりとフィルの顔を見上げてみると、言葉とは裏腹に、その表情には孤独感が色濃い。


「君って、ワーズ家に伝わるニオイスミレのシロップのレシピを知っている?」

「知らない」

「そうなんだ。じゃあさ……」


 怪訝な顔をするフィルに、ラティは意地悪そうに見えるであろう笑顔を向ける。


「もし僕が作るスミレのシロップの味で泣かなかったら、ワーズ家のレシピは私だけのものとするし、泣いたら君ともレシピの内容を共有するとしますよ」

「なんだそれ。俺は知りたいなんて一言も言ってないぞ。ていうか、泣くわけなくないか?」

「まぁ気が変わるかもしれませんし?」

「そんなことない。っていうか、なんでお前がそのレシピを知っているんだよ」

「君のおじいちゃんに聞いたから」

「いつ?」

「世界樹で、です。君のおじいちゃんは、亡くなった後に、僕の喫茶店で数日過ごしていったんですよ。そこで、ニオイスミレのシロップのレシピと引き換えに、君の命を助けてほしいって、私に頼んだんだ」

「……じいさん」

「三日後の夜に、この街にある私の喫茶店に来てください」

「分かった。必ず行く」


 嫌がられるかもしれないと思ったが、案外すんなりと承諾された。

 しかし、次の瞬間。

 彼は腰のフォルダーから短刀を抜き取り、門扉に向かってそれらを投げる。


「コソコソしやがって!」


「ぐあぁあぁ!!!!」


 汚い叫び声と共に、ドサリと何か重いものが倒れる音がする。

 そちらを向くと、黒ずくめの男が門の外で伸びていた。


「覗き見!? 気持ち悪いなぁ!」

「あいつら、サンレード王国のスパイか」


 さっき喫茶店でも聞いた国の名前をフィルの口からも聞く。

 フィルの祖父を暗殺したと噂される国のスパイが、ラティ達を監視する理由とはなんなのだろうか。

 顔を引き締めたフィルが、何かを決心したような表情でラティを見下ろす。


「悪い。一つ頼み事を聞いてほしい」

「なんだろ?」


 なんだか嫌な予感がしつつも、ラティは頷いた。

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