お互いを知ろうとすれば良いだけ、たったそれだけのことがこんなにも難しい

「さて、何があったのか説明して貰おうかしら」


 その日タナは笑顔でも怖いと感じることがあるのだと初めて知った。


「…それは俺が」

「今わたしはタナちゃんに聞いているのよパーシアスくん。あなたの意見は求めていないわ。あ、でもちゃあんとあなたにも聞くからそこに座っててね?」


 目も口も三日月みたいに細くしたケーレスが柔らかく、だけど有無を言わせない圧力で目の前に座っていた。タナとパーシアスは今ケーレスの部屋に招かれていた。

 四人掛けのテーブルに二対一になる構図になるように座っており、タナの隣はもちろんパーシアスだ。タナの我儘を沢山聞いてくれて、たまに怒られることもあるけれど概ねタナを自由にさせてくれる頼りになる従者は現在見たことがない程の難しい顔をしていた。

 メラの授業を受けているときのタナくらい難しそうな顔をしていた。


「タナちゃん」

「はいっ」

「自分が何をしたかわかってるかしら」


 ピシッと伸ばした背筋が途端に丸くなり、視線が下がって右往左往する。

 タナは今ケーレスによって叱られているのだ。先日のゼンオウ国との戦いで無断でエリスの元へ行ったから。

 タナはあの時の判断は間違いではなかったと思っている。思っているが、それを言葉にすることは出来なかった。


「…怒っているわけじゃないの。ただどうしてあんな危ないことをしたのか知りたいの。タナちゃんがあの日したことはね、本当に危険だったの。一歩間違っていたらあなたは死んでいたわ。それはわかってるかしら…?」


 それまで貼り付けたような笑みを浮かべていたケーレスの表情が心配のそれに変わり、静かにタナに語り掛ける。その声にようやくタナは顔を上げ、じっとケーレスの深いけれど鮮やかな緑色の瞳を見た。

 タナはあの日のことを思い出していた。


「…エリスが歌ってるところ、見たかったの」


 誰から見ても子供で、まだまだ白の神子として覚醒していないタナには意図的に戦の話が回らないようにしていた。幸い神殿の中には必要最低限の人数しかおらず、ほとんど全ての人の口が固い。だから通常であればタナの耳にその話は入らない筈だったのだ。


 けれどそれはタナが神殿の中だけで生活をしてくれていたらの話だ。

 タナはよく神殿をパーシアスと一緒に抜け出している。最近はパーシアスに止められることも多くはなったがタナが駄々を捏ねれば最終的に折れてくれる。

 それで街に降りたタナの耳にゼンオウ国との戦いの会話が入ったのだ。


「エリスは、赤の神子様は絶対に負けないから、エリスが戦ってるところ見たかったから、パーシアスに我儘言ったの。そしたら、壁がドンっていったの」


 大地が揺れているような、そんな衝撃だった。

 壁の外から聞いたことがない大人の人たちの叫び声がした。何を言っているかわからないくらい混ざり合った叫び声はとても怖くて、そのせいで足が竦んで動けなくなってしまった。


 想像と全然違う戦いの音にタナはただ怯えることしかできなかった。

 そうしていると壁の中から人が出て来た。タナを見るなり「助けてください」と縋り付き、近所の子供が泣きじゃくるみたいに声を上げたその人にタナは声を失った。あまりの恐怖にもう帰りたいとパーシアスを振り仰いだとき、また大きな音が聞こえた。


 上を見ると煙が上がっていた。それを見た兵士の人が「赤の神子様が」とこぼしたのを聞いて、タナは弾かれたように走り出したのだ。

 どうしてそんなことをしたのかわからない。けどそうしなければいけない気がしたのだ。


 パーシアスが止めるのも聞かずに走り、扉を思い切り開けた。するとそこにいたのは床に座り込んだエリスで、タナはその姿に目を丸くした。

 タナの中でエリスは絶対的な存在だ。タナのヒーローで、憧れで、神子として目指すべき人だ。いつだって背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見ている姿がとても格好良くてタナは大好きだった。

 だけどそこにいたのはぼろぼろになった女の人だった。


「…エリス、だいじょうぶ? まだ起きないの…?」


 あの戦いの後エリスは気を失い、二日程経過している。

 まるで凍りついたかのように体が冷たくて、息をしているのかもわからないほど衰弱したエリスを運んだのはパーシアスだ。


「…エリスちゃんはね、すごく疲れちゃったから休んでいるの。起きたら元気な顔を見せてあげましょうね」


 ケーレスの優しい声にタナは小さく頷き、鼻から深く息を吸った。


「……危ないことしてごめんなさい」

「わかってくれたならいいの。話してくれてありがとう、タナちゃん」

「…タナ、もっと頑張るね」

「…?」


 首を傾げたことでケーレスの綺麗な緑の髪がさらりと揺れた。

 神子の力が行き届いた髪は、タナの目指すところでもあった。


「もっとちゃんと勉強して、エリスを助けられるようになる。タナもみんなの役に立ちたいから、とにかくいっぱい頑張るね!」


 タナの髪も頭頂部から少しずつ白くはなって来ているがそれはまだ全体を覆うには程遠い。髪が真っ白に染まったとき、タナは本当の神子となって力を使いこなすことが出来る。

 その言葉にケーレスは一瞬表情を無くしたが、すぐにいつもの柔らかくて穏やかな笑顔を浮かべた。


「──そうね」


 ケーレスとの話しが終わり、タナは早速メラのところに行くつもりだった。

 けれどタナの話しはどうしたって難しくてよくわからないところが多く、その部分をパーシアスにフォローしてもらうのがいつもの流れだった。だから今日もそのつもりだったのだが、部屋から出る間際でケーレスがパーシアスを呼び止めたのだ。


「タナちゃんはもういいけどパーシアスくんはまだダメよ? お姉さん君にはとーっても怒ってるんですからね?」


 再び笑っているのに全く笑っていない顔になったケーレスの言葉にパーシアスはまた苦い虫をたくさん食べたみたいな顔をしてタナに「一人で行けるか?」と聞いてきた。

 正直不安だったが、これも立派な神子になるためだとタナは思い切り頷く。


「大丈夫! パーシアスが戻って来た頃には髪の毛真っ白にしとくからね!」


 タナは言うが早いか駆け出した。目指すべきはメラの部屋だ。


 

 *



 小さくなっていく背中を見送ったケーレスはパーシアスの方を見た。


「…眠れていないのかしら」


 ケーレスは自分の目元を指差した。その意図を理解したのかパーシアスはグッと眉間に皺を寄せて苦悶の表情を浮かべる。まるで拷問を受けているような顔だとケーレスは思った。


 先程ケーレスは頑張ると息巻いたタナに「焦らなくていい」と声を掛けなかった。もうそんな悠長なことを言っていられないと判断したからだ。

 足元から世界が崩壊していくようなそんな得体の知れない漠然とした不安が広がるけれど、ケーレスは顔に出すことはしない。いつでも余裕のある人でいることがケーレスの神子としてのあり方だから。


「…パーシアスくんも思うところがあるんでしょうね。だってあなたはゼンオウ国の人だもの」


 隣で息を呑む気配がした。

 それにケーレスは笑みを深めてパーシアスを部屋の中へと促した。


「怖い話しはしないわ。ただわたしにも聞かせて欲しいの。ゼンオウ国がどんなところなのか。君はどんな人なのか。それを教えてくれる?」

 

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