4
翌日、束の間の平穏がユラの国に訪れていた。
陽光は暖かく降り注ぎ、心地のいい風が大地を撫で、神殿の麓にある街は今日も活気付いている。神殿にはタナの元気の良い声が響き、今日の先生であるメラがたじたじになっていることに、その側で様子を見ていたケーレスが笑っていた。
穏やかな時間だった。タナ以外の全ての神子がこの時間がいつまでも続けばいいと心から願っていた。
だがその平穏は儚くも崩れ去る。
「エリス‼︎」
部屋で休んでいたエリスの元にタナが転がるような勢いで入って来た。突然の来訪とあまりの剣幕に驚き目を見開いて、もしかしてバレたのかと一瞬背筋に冷や汗が伝うが、どうやらそうではないらしい。
「助けてエリス! パーシアスが、パーシアスが連れて行かれちゃったの!」
大きな目に涙を溜めて訴えるタナの言葉が一瞬理解できず反応が遅れる。
「…どういうこと?」
絞り出した声にタナは両手でぎゅっと服を握って「わかんない」と首を振った。
「さっきまで勉強していたの。そしたら兵士の人が来て、パーシアスを連れて行っちゃったの」
意味を正確に理解するためにエリスは数秒沈黙し、気持ちを落ち着けるために息を吐いた。立ち上がって泣いているタナの前にしゃがみ、指で涙を拭う。
「教えてくれてありがとう、タナ。ケーレスたちはどこにいるの?」
「あっち…」
不安なのかタナはエリスの手を握った。それにエリスは微笑み、立ち上がってタナの案内で歩いていく。タナの言う通り神殿がいつもよりざわついているように思えるがエリスの心は意外にも冷静だった。
不思議な感覚だとエリスは思った。きっとエリスはこれから先起こることをなんとなく理解している。はっきりとはわからず、薄く膜が張ったような朧げなものだが、それでも感覚的に理解していた。
タナが扉を開けたのは神子しか立ち入ることを許されない祈りの場。そこには既に二人がいて、その表情は暗い。
「何があったの」
その問いにメラはタナに視線を向けた。どうやらタナには聴かせない方がいい内容らしいが小さな手がエリスの手を強く握った。
「タナも聞く。聞かせて」
く、と口角を下げたメラが無言でケーレスに視線を向け、ケーレスもそれに頷いた。
「パーシアスはゼンオウ国と繋がったままだった」
「…?」
意味がわからないのかタナが不安そうに眉を寄せ、エリスを見上げる。
「…予言では何も問題が無いんじゃなかったの?」
「そうだよ、パーシアスが直接何かをするような未来は視えなかった。彼がしていたのは情報の横流しらしいよ」
「それは視えなかったの?」
「断片的にしか未来は視えないし声は聞こえない。その中で誰かと声だけのやりとりをしていたとしたらそれはもう私じゃ手に負えない」
「…いつから」
「わからない。けど敵の動きを考えるとアテナが防御壁を張った日より少し前からだと思う」
その言葉にエリスは奥歯を噛んだ。
アテナが死ぬ数週間前、ユラの国は夜に襲われたのだ。それもメラが予言していたおかげで防ぐことも撃退することも出来たが、やはり夜になると視界が悪くなる分エリスの力の精度が落ちる。無闇矢鱈に攻撃をするのは神子の性質上悪手で、かといって兵士を向かわせるにしても不安が残った。
そこでアテナが言ったのだ「じゃああたしがずっと壁作っとくよ」と。最初は反対したがアテナが折れずそれからは常に壁が張られ、国の平穏を守っていた。
力を使えば神子の命は削られる。これくらい余裕だと言っていたアテナだが、それと戦場での本格的な力の行使が重なると負担は大きくなる。そしてその負担に耐えられずアテナが死に、壁が壊れたことによって再び情報が外に漏れたのだとしたら納得ができる気がした。
「…そう。だから戦い方が変わったのね」
「…パーシアス、悪い人だったの…?」
下から聞こえた不安の滲む声にエリスはしゃがみ、下からタナを見る。大きな瞳にはまた涙が溜まっていて、今にもこぼれ落ちそうだった。
「悪い人ではないんじゃないかしら」
「…でも、パーシアス連れて行かれちゃった…」
「そうね。…でもきっと彼にも理由があるのよ、タナ」
「理由…?」
「ええ、あなたを泣かせてまでやらなきゃいけない理由があったの。誰に何を言われても、どんな結末が待っていたとしても、全ての人から悪者扱いされてもそうしなきゃならない理由があったのよ」
エリスは指先で涙を拭った。タナはどうにかエリスの言葉を理解しようとしているのか難しい顔をしている。それに口元を緩めて、涙を拭った手を下ろした。
「タナ、きっとこれから大変なことがあなたを待ってる。だけど、全てを最初から否定しないで。きちんと理由を知ろうとして」
「エリス…?」
「…あなたなら出来るわ。明るくて人のために勇気を出せるあなたなら」
タナは訳もわからず頷いている様子だった。それでもエリスはよかった。きっとこの子なら理解してくれると信じているから。
ゆっくりと立ち上がってメラとケーレスを見る。
二人の表情はどことなく暗くて、少し追い詰められているようにも感じた。
「…パーシアスのところに行ってくるわ。きっと兵舎よね」
「タナもいくっ」
「タナはお留守番よ。メラに勉強を教えて貰いなさい」
「でも、でも」
「タナ。…わたしみたいな神子になりたいんでしょう? それなら学ぶことを怠っては駄目よ」
自分で言っていて遣る瀬無い気持ちになる。だがその我儘だけは聞いてあげることができなかった。納得していない様子のタナをケーレスたちに預けてエリスは神殿から出た。
兵舎は街にあるのだ。遥か昔から神子を守るために結成された組織だとされていて、その拠点は街の中でも神殿に最も近い場所にある。神殿を警護する兵士にパーシアスに会いに行くといけば兜の下で兵士が嫌な顔をしたのがわかった。
だが兵士は神子には逆らえない為渋々といった様子で馬車を用意してエリスを言われた通り兵舎にまで送る。「ありがとう」と伝えて馬車から降り、エリスは兵舎の中へと足を踏み入れた。
「赤の神子様、どうしてこちらに」
「パーシアスと話したいの。案内をお願いできるかしら」
声からして兵士長だと思われる人物がエリスの前に現れた。兜をしていない顔を初めて見たが、声に見合った顔をした男だった。そしてエリスの言葉に案の定渋い顔をして難しそうに首を捻る。
「いや、それは…。相手はゼンオウ国の回し者ですし、神子様に何かあっては」
「この国でわたしに勝てる人なんて存在しないわ。時間が惜しいの、早くして」
「……かしこまりました。おい、鍵を」
数秒間の睨み合いの末、兵士長が折れて部下に指示を出す。緊張した声で返事をした声に聞き覚えがあって顔を向けるとそこにはまだ若い、エリスと同じ歳くらいの青年がいた。彼はエリスに見られているとわかると顔を真っ赤にして視線を彷徨わせる。
「…あなた、いつもわたしの側にいてくれている人ね」
声を掛けると上擦った声で返事をして彼は文字通り飛び上がった。
「はいっ⁉︎ あ、え…っ! な、なんで」
「声でわかったわ。…この前は助けてくれてありがとう。あなたがいなければわたしは死んでいたわ。…怪我は無い?」
「はいっ! 無事です! そ、それに神子様を守るのは僕たちの使命で」
「おい鍵!」
「はいぃっ!」
青年は再び飛び上がってどこかへと駆け足で走っていってしまった。
「…あいつは目と耳が良いくらいしか取り柄がないんですよ。危なっかしくて前線に出せやしない」
ため息混じりの言葉には彼なりの苦労が滲み出ていて、やはり束ねる立場というのも大変なのだろうなと推測する。
「だけどその目の良さでわたしは救われたわ。褒めてあげて」
「鍵ですぅ!」
転びそうな勢いで戻ってきた青年に兵士長は大きく息を吐き、鍵を受け取った。
「ご苦労。…神子様、案内いたします。ですが既に拷問をしておりますのでやつは傷だらけです。それを見る覚悟はお有りで?」
「…ええ、問題ないわ」
一拍の沈黙の後エリスは頷いた。それを確認した兵士長は頷き、エリスの歩幅に合わせて歩き出す。兵舎は木造で神殿の作りとは当たり前だが全く違う。地下に続く階段を降りれば壁は木造から石に変わり、土を利用した牢獄へと変わる。
そして案内された独房の鉄格子の中にパーシアスはいた。
「…ありがとう。ここの鍵も開けてくれるかしら」
「それは出来かねます」
「…なら言い方を変えるわ。これは命令よ、開けなさい。そして開けたらわたしが戻るまで誰もここには近付けさせないで」
「…神子様、私たちにも面子というものが」
「あれだけ頑丈に拘束されている人に何ができるっていうの。何かあれば力を使うわ、心配しないで」
心許ない蝋燭の明かりで照らされた地下牢では表情がよく見えない。けれど兵士長が面白くなさそうな顔をしていることは雰囲気でわかる。だがどう足掻いても神子であるエリスの言葉は絶対だ。そう言われると引くほか無く、彼は無言で牢の鍵を開けると階段を登って行き、扉を閉めた。
その気配が薄くなったのを確認してからエリスは歩き出し、鉄格子で出来た扉を開けて中に入る。
日の光が入らないせいで黴臭く、何かが腐ったような臭いもする嫌な場所だ。そしてその独房の中心にパーシアスが天井から垂らされた鎖に両腕を繋がれて項垂れていた。
太陽のような金の髪はべたりと張り付き、所々赤茶色に染まっているところから出血しているのがわかる。エリスはそっと近づいてパーシアスの前に膝を着いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます