6
次代の白の神子がいない。
そんな異常事態が終わりを告げたのはエリスたちが話し合ったあの日からたった二日後。
メラの「見つかった」という言葉で事態は急速に動き出した。
曰く白の神子は騎士と見られる男と一緒だということ、神子の意識があるかどうかまではわからないが生きてはいるということ。それを聞いたケーレスがすぐに神殿の警護に当たっている兵士にそれを伝えて大規模な捜索隊が結成された。
街を進み門へと向かう数多の兵士に住民たちは胸の前で祈るように手を組んでいた。
そしてその日のうちに新たな神子は保護され、共にいた男は兵士によって捕えられた。本来なら男は問答無用で処刑される筈だったが保護された神子が「殺さないで」と嘆願したことで現在は兵舎の地下室に繋がれている。
新たな神子は医者により心身ともに問題は無いと判断され、そのまま女神の神殿へと移されることになった。そして新たな神子と三人の神子は無事に会うことができ、ユラの国の平和は再び保たれることとなった。これら全てが一日で起きた出来事であり、あまりの濃度にその日新たな白の神子は日も暮れる前に寝入ってしまったらしい。
三人の神子は白の神子が無事だったことに安堵し、その日はゆっくりと休めたようだった。
こうして穏やかな日々が戻ったに思われたがこれから神子たちは頭を悩ませることになる。
「タナちゃーん? タナちゃんどこなのー?」
どこまでも澄んだ青空が広がる麗かな午後、爽やかに吹く風に攫われる髪を片手で押さえながらケーレスが困った様子で辺りをキョロキョロと見渡している。
「…またなのケーレス」
「そうなのよー。今日は午後から歌のお勉強だって言ってあったんだけど」
心地の良い風を感じながら緑の大地を踏み締めてやってきたエリスを見てケーレスはため息を吐いた。思った通りの状況にエリスも息を吐き出して辺りを見渡すが目当ての人物は見つからない。
エリスは眉間にグッと皺を寄せてこめかみを揉んだ。
「…パーシアスの姿も見えないわね」
「あら、そういえばそうね」
今度はエリスがため息を吐いて神殿の方へと足を向けた。
「あらエリスちゃん、どこに行くの?」
「探しに行くのよ。どうせまた街に下りてるに決まってるわ」
「そうねえ…、…わたしも一緒に行ってもいい?」
「駄目。ケーレスが行ったらあの二人と一緒に楽しんじゃうでしょ」
「そんなこと……あるわね」
顎に手を当てて神妙な顔で言い直したケーレスに呆れた顔で息を吐いてエリスは神殿へと戻り侍女に言って街へ降りる準備をする。準備といってもそう大したことはなく、ただ普段よりも親しみ易い素材に着替え兵士へ街に下りることを伝えるだけだ。
神子は本来街に下りることはないが例外はある。例えば豊穣の歌姫であるケーレスはその力の性質上民に多大なる恩恵を与える為人前で歌うことが多い。そうすることで民の歌姫への信頼を得る為ともいわれているが真偽はわからない。
そしてケーレスは性格上そのまま民と親交を深めるのだ。エリスやメラは人前に出ることを得意としない性格故に街に訪れることすら滅多にないのだが、こういう場合は別だった。
素早く着替えて兵士にも伝令を済ませたエリスは馬車に乗り街へと下りていく。そのまま街道で止めては目立ってしまう為森の中で停めて中から出るとフードを被って人の往来のある場所へと足を進める。
背後には兵士が護衛としてついてきてはいるのだが距離を取るように言ってある。ここで目立っては意味が無いからだ。
けれどそもそもフードや帽子を被るという習慣のない街ではエリスの行動はどの道目立ち、そしてここ最近の出来事も相まって想定よりも早く声を掛けられた。
「あらあ、神子様! 今日もお探しものですか?」
「…そう。どこかで見かけなかった?」
「ここからすぐの広場で見かけましたよ。いやあやんちゃな神子様だこって!」
「……ええ、本当に」
以前まではエリスがこんな風に街に来るだなんて、そしてこんな風に気さくに話しかけられるだなんて状況は有り得なかった。けれどそうせざるを得ない状況になってしまったのだ。
エリスは痛むこめかみを細い指で揉み解しながら人混みを縫って広場へと足を進める。その最中もエリスに気づいた住人が視線を寄越すがどんな用件で来ているのかを察している大人たちはみんな目を優しく細めてエリスの姿を見送った。
中には子供たちの声も混ざっていたがそれは大きくなる前に周囲の大人によって止められていた。
そして歩いていれば人混みが出来ているのが遠目からわかった。騒がしい音を聞くにどうやら男たちが何か言い合っているようだが周囲の空気が剣呑でないことからそう危険なものではないと判断出来る。
だがその男たちの間から聞こえた鈴の音のような声にエリスは目を吊り上げた。
「いけええええパーシアスぅ‼︎」
「タナ」
「あ」
大盛り上がりしていた空気がエリスの声でしんと静まり返る。
しまった、そんな顔をした少女の腕を素早く掴んだエリスは無表情のまま見下ろす。
「帰るわよ」
「えええもうちょっと、もうちょっといいでしょう? もうちょっとでパーシアスが勝つから!」
幼い少女は地団駄を踏みながら掴まれていない方の手である方向を指差した。
そこにいたのは楽しげに口角を上げている青年で、その側には少し低い台がありその向かいには服の上からでもわかるほど逞しい腕を持つ男がいた。
なるほど、力比べをしていたのかと合点がいくがエリスはため息をこぼすことを止められなかった。だがエリスのため息でタナの我儘が収まらないなんてことはよくわかっていて、それならばと余裕の笑みを浮かべている青年、パーシアスの方へと視線を向けた。
「パーシアス」
「は」
「今すぐ勝ちなさい」
「仰せのままに」
周囲がわっと盛り上がり辺りは再び喧騒に包まれた。
普段静かな神殿にいるエリスには慣れない音だがここ数日で順応し始めている。
「勝ってねパーシアス!」
「頼むお前に賭けてんだ勝ってくれえ!」
「負けんなよー!」
パーシアスと男の間に判定係の男が立つ。二人が腰を屈めて右肘を台に乗せ、手を組んだところであれだけ騒がしかった音が止んだ。ピン、と糸が張ったような緊張感の中判定係の「はじめ」の声でまたボルテージが上がる。
叫びのような声援が響くものの、勝敗はすぐについた。
「さて、帰りましょうか神子様方」
爽やか、そんな言葉がこれ以上似合う男もいないのではと思うほどの笑みを浮かべたパーシアスが振り返る。タナは満足そうに頷いてエリスの腕を離してパーシアスに抱き着いた。
力比べに負けた男は腕を押さえて悶絶しているようだが周りは楽しそうに茶化している。
「いい勝負だった。ちゃんと腕冷やしておけよ」
タナを軽く抱き上げたパーシアスの言葉に周囲はまた笑い、次第に興味は二人の力比べからエリスへと向かう。誰かが言った「赤の神子様も大変だなぁ」その言葉にエリスは何度目かのため息を吐きそうになるがグッと堪えた。
こんな状況は初めてではない。寧ろ最近になって急増していると言ってもいい。
その理由は言わずもがな楽しそうに笑っているこの二人である。
「…帰るわよ」
「はーい」
素直に返事をしたタナをじとっとした目で見てからエリスは歩き出す。その後ろに二人は続き、その後ろにエリスについて来た兵士が続く。こうでもしなければまた目を盗んで逃げ出すからだ。
──ああ、疲れる。
頭痛を和らげるためにこめかみを指でほぐしながら待たせていた馬車へと乗り込む。二人はそのまま馬に乗り、神殿へと向かって走り出していた。
その様子を窓から見たエリスは今度こそため息を吐くのを堪えきれなかった。
「……疲れた」
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