新たな白の神子であるタナを神殿に迎えてから幾許かの日数が経った。

 顔を合わせた日は利発そうな子だと印象を受けたものだが、彼女はとんでもないじゃじゃ馬だったのだ。

 地頭が良いのだろうか己が置かれている状況を正しく理解していたし物怖じもしない性格で神子たちも感心したものだが彼女たちを驚かせたのはそれだけではなかった。


 タナは自分の側仕えにパーシアスを望んだ。パーシアスはメラがタナを予言で見つけた時に一緒にいた男だ。ゼンオウ軍の服を着ていたことから処刑対象であったのだが、タナが拒否したため生かされていた。そしてこともあろうにその男をタナは近侍として望んだのである。


 当然神子たちは反対した。なぜ反対するのかも説明した。けれどタナが頑として譲らず、挙げ句の果てには「あのお兄ちゃんがいないなら歌わない」とまで言い出した。

 エリスたちはほとほと困り果て、それならばと手を上げたのがメラだ。


「私がそいつと会ってくる。それで未来を視て問題がなければ連れて来る。…それなら不安はないでしょ」


 未来を知ることが出来る唯一の神子がそういうのならばと二人は納得し、メラを兵舎へと送り出した。そしてその日のうちにメラは戻って来たのだ、パーシアスを連れて。

 あの時の驚きはきっと生涯忘れることはないのだろ。


 しなやかな肉食獣のような男とだと思った。目の鋭さも、体つきも、太陽に反射して輝く金の髪もまるでたてがみのようで、初めて見た時エリスは不覚にも一瞬目を奪われた。


 メラが言うにはパーシアスは間違いなくゼンオウ国の騎士だがある日拐われてきたタナを見て小さな子供を殺めようとする自国に納得が出来ず海を渡って来たらしい。そんなことが有り得るのかとエリスは疑いの目を向けたが、タナのパーシアスへの懐きようとメラの予言に折れるしかなくそのままパーシアスはタナの近侍となった。


 そこからだ、静かだった女神の神殿が騒がしくなったのは。

 タナは頭が良いが不真面目で歌のことや女神について学ぶことを嫌がり、パーシアスはそんなタナを甘やかしてタナの言う通りに街に下りて一緒に遊んでいる。

 何度言い聞かせてもまるで効力を持たないことに神子たちは再び困り果て、今の状態で落ち着いている。タナのことは可愛いと思っているしパーシアスに感謝もしているがそれはそれ、これはこれとして憎たらしさもそれと同じくらい感じている。


 馬車の揺れがおさまり、兵士が扉を開ける。手を借りて降りるとやって来た侍女にフードを渡して神殿の方を見た。

 先に到着していたタナはすでに中に入ったようで気配は感じられない。それにほっと息を吐いてエリスも歩き出す。向かうのは神殿ではなく霊廟だ。


 女神の神殿のすぐ側にある神子たちの魂が眠る霊廟。

 いつもであれば既に祈りを捧げ終わっている時間だが今日はタナのことがあった為まだ出来ていない。侍女に「霊廟に行くわ」と伝えてエリスは一人で歩き出す。

 靴底に感じる草を踏む感覚や頬を撫でる柔い風に目を細めて霊廟を目指すとそう時間も経たずに目的の建物が見えた。だが近づいていくにつれてその側に人がいることに気がついてエリスは足を止めた。


「…そこに何か用でもあるの?」


 太陽の下で輝く金の髪を風に揺らしながらパーシアスはエリスを見た。


「いや、別に。ただ何か気になっただけだ」


 パーシアスはエリスにだけ敬語を使わない。公衆の面前だと違うが、こうして他に人がいないと彼の目は鋭くなってエリスを貫くように睨む。

 エリスはそれに何も言わない。そんな権利を自分は持ち得ないと理解していた。互いに無言のままエリスは再び足を前に出し、パーシアスの横を通り過ぎた。重たい扉に手を掛けて少し開く。


「お墓よ、神子たちの。あなたからすれば嫌な場所だと思うわ」


 扉が開くと隙間から風が流れ、湿った空気には少しカビの匂いもする。人が一人通れるだけの隙間を開けて体を滑り込ませようとした時、扉が大きく開いた。何事かと思うが何かをするとすれば一人しかおらず後ろを向くと思いの外近い場所にパーシアスがいて目を瞬かせた。


「…なに」


 パーシアスは背が高い。神子の中で一番背が高いケーレスよりもずっと背が高く、そして体格も良い。鍛えられているとわかる腕がエリスの頭上で扉の縁を持っているのにエリスは静かに問いかけた。


「…ここは俺が入ってもいいのか」


 エリスはもう一度ゆっくりと瞬きをした。

 パーシアスとは視線が重ならない。この男はエリスの目をあまり見ようとしない。けれど下から見るその顔が真剣だということはエリスにもわかった。

 だから小さく頷いて見せた。


「ええ。ついて来て」


 パーシアルはゼンオウ国の騎士で、ユラの国の敵だ。もし今までエリスが葬り去った敵軍勢の中に彼の知人がいたのだとしたら、否、そうでなくともエリスは彼らにとって最も排除したい敵の筈だ。

 けれどエリスにはこの男が後ろから自分を襲うような男には思えなかった。

 エリスが歩き出し、その後をパーシアスが続く。重たい音と一緒に扉が閉まると霊廟の中は光が届かない場所となるが進む先には青い光が揺らめいている。

 祈りを捧げる場所に到着するとパーシアスが息を呑むのがわかった。

 その感覚はエリスにも理解が出来て微かに口角が上がる。


「綺麗でしょう、ここ。まるで水の中にいるみたいで」


 光が差した湖面を水中から見上げているような、そんな幻想的な光と柔らかさがここにはある。緑豊かなユラの国だが美しい場所はどこかと聞かれたらエリスは間違いなくここを上げる。


「…アテナ、遅くなってごめんね」


 いつもの場所に膝を着いて両手を胸の前で組む。

 人差し指の第二関節に唇が当たるくらいに頭を下げて、そっと目を閉じた。これから数分はアテナへと出来事を語る時間だ。以前は数十秒で終わっていた時間がタナとパーシアスが来てからというもの延びてしまって困っている。


「…タナは賢い子よ。でも口も達者だから、きっとアテナより扱いが難しい子になるわ」


 今日もタナが歌の勉強から逃げ出したこと、じゃじゃ馬だと思っているということ、そして。


「この人はパーシアス、前にも言ったタナの恩人よ。…ゼンオウ国の騎士なの」


 背中に視線が向けられているのがわかった。


「あなたが生きていたらなんて言うかしら。きっと呆れるぐらいはしゃぐんでしょうね」


 ぱっちりとした目を光を反射した水面のように輝かせてパーシアスに絡むアテナの様子が容易に想像出来てエリスは小さく息を漏らした。けれどそんなことは有り得ないのだ。アテナはもういなくなってしまった。


「…じゃあ、また明日」


 そっと呟いてゆっくりと目を開ける。柔らかい青の光が視界に入り組んでいた手を解いて立ち上がった。後ろを見ればパーシアスがいてエリスはその姿を見る。


「暇だったでしょう。勝手に出て行っても良かったのに」


 パーシアスは目を逸らした。


「私の用は終わったから戻るわ。あなたは好きにしたら?」


 横を通り過ぎて少しした時、背中に声が掛かった。


「俺がここを壊すとは考えないのか」


 足を止めて振り返る。暗くて顔どころか姿もよく見えないがきっと自分を鋭く睨んでいる目を見返してエリスは口を開いた。


「あなたがそういう人ならタナはもう死んでるわ」


 数秒待ったがパーシアスは何も言わず、これ以上言葉を交わす必要もないだろうとエリスは再び歩き出した。重たい扉を開け外に出ると眩しいくらいの青空が迎えてくれる。耳を澄ますと歌が聞こえた。まだ拙い、まだ力を使えない生まれたばかりの歌だ。

 アテナのものとは違う歌に心臓がつきりと痛んだが気付かない振りをしてまた一歩前へと進んだ。

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