5
神子が死んだとき、その死から時間を経たずして新たな神子が女神ユラによって選出される。選出されるといっても選ばれた神子には自覚はなく、またその選出も大々的に行われるものではない。黒の神子であるメラが未来を視ることでようやく発見することが出来るのだ。
「未来を視ることは出来るけど、そんな万能なものじゃないんだよ。今回のだって少しずつ視る期間を伸ばしてその瞬間を見ただけで、大まかな流れは視れない。私の力は一つのことしか出来ないんだ」
「…でも、今までは」
「そうだね、外れなかった。だけど今回のも外れた訳じゃないんだよ。最初に言ったでしょ」
そう言われてエリスは神殿に帰って来た時のことを思い出す。確かにメラは「外れていない」といっていた。けれど現実に白の神子は行方がわからなくなっていて、今も自分たちの空気は張り詰めている。
「私が視たのは新しい白の神子がいる場所まで。そこから先は視てない」
あまりに冷静なメラの声にエリスの心臓が早鐘を打つ。最初に示唆されていたことの答え合わせをされているようで息が苦しい。だけどエリスはその話をやめさせる術を持たなかった。なぜなら
「教団の内部に内通者がいる。その人が連れ去ったとしか考えられない」
考えていたことそのままがメラの口から発せられ、自分が罪を犯したわけでもないのに心臓が痛くてしょうがなかった。頭では冷静に理解出来ていても、感情がそれでは納得してくれなくて首を横に振る。
「連れて来ている最中に人買いに拐われたり」
「この国一番の兵士たちに囲まれてる馬車を誰が襲うの。それに白の神子がいなくなったのはほん数秒のことだったらしいよ」
それに、とメラが言葉を続ける。
「兵士が一人いなくなってる。神子が姿を消したのと全く同じタイミングで」
それでも、もしかしたら連れ去られている神子を見て助けようとしてくれているのかもしれない。もしかしたら、もしかしたらと何通りもの可能性が頭に浮かぶが、エリスはそれを口に出すことは無かった。
「……エリスちゃん」
気遣わしげなケーレスの声にエリスは何も言えなかった。
「…誰が神子を拐ったか、視れたりしないの…?」
小さな声にメラはそっと瞼を伏せた。
「…私の力は過去を視ることは出来ない。…エリスも知ってるでしょ」
わかりきっていた返答にエリスは顔を俯かせた。
じわじわと胸に広がっていくのは怒りと悲しみの感情だ。遣る瀬無いというのはきっとこういう感情の時に使う言葉なのだなと嫌に冷静な頭で考えた。
「…どうして、裏切るの…」
小さく開けた口から出た言葉にメラが表情を歪めたのがわかった。
「こんなに、こんなにこの国に尽くしているのに、どうして…? 今日も戦って来たのに、昨日だって、その前だって。メラもケーレスも命を削って尽くしてるのにどうしてこんなことができるの…っ? 白の神子だって、まだ子供なのに!」
しん、と重たい沈黙が続く中ケーレスが静かにカップを持ち上げて喉を潤しまたテーブルに戻す。そんな何気ない仕草の音がやけに大きく響いた。
「…神子を連れ去った人が仮にゼンオウ国の出身だとして」
視線はカップの中で揺れる水面に固定されたまま。
「新たな脅威となり得る存在がわかったとしたならどうするかしら。……わたしなら、きっとその命を手に掛けてしまうわ」
「っ、まだ、まだ子供でしょっ?」
「相手からしたらあなただって子供よ、エリスちゃん。……だけどあちらはあなたが見えていたとしても、攻撃の手を緩めることはないんでしょう?」
思い出されるのはアテナの張ってくれた防御壁の中から見える光景だ。その壁の前では全ての攻撃が無効化され、エリスは絶対的に安全な位置から敵を見ることが出来た。
顔が見えるほど近くに敵がいたというわけではないが、エリスに向けて弾丸や刃物が飛んで来た回数なんてもう覚えていない。それくらいの数の殺意をエリスは浴びて来た。
そしてその殺意を、エリスはそれ以上の殺意をもってして捻り潰して来た。
なんてことはない、相手側に立ってみると驚く程全てのことに納得が出来る。
歌姫の力は脅威だ。天変地異さえも操れる力が神子にはある。その力を持つというなら、それが例え子供でも恐ろしいはずだ。
「……まだ、死んだと決まった訳じゃない。明日また探す」
いつも心配になる程肌の白いメラの顔が今日はもう青白くなっている。それが力の使いすぎによるものだというのはこの場にいる全員がわかっていた。
「無理はしたらダメよメラちゃん。あなたの力はただでさえ負担が大きいんだから」
「エリスに比べたらどうってことない。…アテナだって、もっと使ってた」
「だめ」
反射的に出た声にメラの鋭い目がエリスを睨む。
「大丈夫だから」
その目の下にはうっすらとだが隈が見えた。眠れていないのかもしれない。
「だめなものはだめ」
「…もしかしたら助けられるかもしれないでしょ」
「それでメラまで死んだらどうするの!」
青いほど白い肌はアテナを思い出させる。
「アテナだって力の使い過ぎで死んだの! 何日もずっと国全体に壁を張って、戦いにまで出て、使い過ぎだってわかってたのに、…わかってたのに止められなかったから…!」
あの日がフラッシュバックして視界が滲む。もう泣かないと決めたはずなのに溢れそうになる涙を止めるためにエリスはぐっと目に力を入れて何度も呼吸を繰り返した。
「…あんな思いもうしたくないの。…だからお願い。…無理しないで」
エリスは自分が残酷なことを言っているという自覚はあった。助けられるかもしれない命を見捨てろと、それと等しいことを今言ったのだ。メラは真一文字に唇を引き結び、エリスのことを見ている。その表情は何かと激しく葛藤しているような、そんな苦しげなものだ。
メラが優しいなんてことは神子の全員が知っている。だからメラはどんな無茶をしてでも新たな神子を助けられる可能性を模索するのだろうが、それでメラの命が削られるというのならして欲しくなかった。
少なくともエリスは二人を今天秤に掛けて、そしてメラを取ったのだ。
この選択が間違いだなんて思わない。
エリスはじっと二人を見た。時間は無情にも過ぎていく。空を飛ぶ真っ白な鳥の声が悲しいくらいよく聞こえた。
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