街も神殿もどこか浮き足立っているような空気があった。

 パタリとゼンオウ国からの攻撃が途絶えてもう何週間だろうか、久しぶりに感じるゆったりとした平和な時間に住人も神子たちも心なしかみんな表情が穏やかで流れる時間も緩やかに感じる。


 その中でもタナには神子として教育がなされ、つい先日とうとう歌えるようになった。だが力としてはまだまだ不安定でとても戦場に立てるようなものではなく、それは今からエリスと力を高めていく事になっている。


 ゼンオウ国との戦いがない状態でここまで持ってこられたことにタナ以外の神子三人はほっと安堵の息を吐いて胸を撫で下ろしていた。これがもし以前のように戦いが激化している状態であったならこんなにも教育に時間を割けず、エリスの力だけが極端に消耗されていくからだ。


 神子の力は絶大だが、その代わりに命が削られる。

 力を使えば使うほどそれは早まり、確実に神子の体を蝕みやがて死に至らしめるのだ。


 エリスも自分が限界を迎える前にタナが白の神子として覚醒してくれる可能性が上がったことに安堵したが、同時に複雑な思いでもあった。

 初めて力を発現したとき、タナはそれはもう大喜びだった。文字通り飛び跳ねて喜び神子たち全員に走って知らせに来た程だ。そして力が使えるようになった証に、タナの茶色の髪が根本から白くなっていることにもタナは喜んでいた。


 だがしかしそれはこれからタナが命を削っていくということだ。

 それが神子に知らされるのはまだ先。その意味がきちんと理解が出来るような年齢になったら神子の誰かから伝えられるのだ。


 エリスにそれを教えたのはメラだった。

 その時エリスはただ漠然と「そうなのか」と思った。同時にこんな人智を超えた力を使うのだからそれくらい当然だよなとも思ったし、納得もした。自分のことだとそれくらい簡単に捉えることが出来るのに、それをタナにいつか伝えなければならないと思うと腹の中に鉛を詰め込まれるような心地だった。


 今もケーレスと声を上げて笑いながらせっせと準備を進める小さな子供が、長くともあと十数年しか生きられない。

 脳裏に太陽のように笑うアテナが過り、エリスはぎゅっと目を閉じた。


「痛…」


 そしてつきりと痛む頭に手をやり、小さく息を吐く。

 最近考え事ばかりしているせいかよく頭痛がして、それもエリスには悩みの種だった。


「エリス」

「メラ。…相変わらずこの時期になると更に不機嫌そうね」

「当然。今回も欠席してやろうと思ったけど、ケーレスに止められた」


 きゃっきゃっと楽しそうにはしゃぐケーレスとタナを見ていたエリスの隣に不機嫌なのを隠しもしない顔でメラがやって来た。

 四人がいるのは鏡の間で、普段あまり物がないその部屋もこの時ばかりは色とりどりの布で溢れかえっている。その様子にメラはあからさまに顔を顰め、エリスはそんな顔を見て苦笑した。


 けれどメラの気持ちがわからないでもないなと思う。

 鏡の間が布で溢れかえっているのには理由があるのだ。

 毎年ユラの国では一度だけ豊穣祭というものをする。読んで字の如く豊穣の祭り、つまり緑の神子であるケーレスの祭りだ。


 その時期は神殿の麓にある町が鮮やかに飾り付けられ、普段人前に出ることの少ない神子たちが四人揃って民の前に現れる。数代前の神子は四人で舞を披露したり歌を披露したりとしたそうだが、メラがそういった場がとことん苦手な為そんな催しは一切なくなっている。

 昨年に至ってはメラは出席すらしていない。それ程までに苦手としている場なのに今年はきちんと出るつもりらしいが、その理由には見当が付いている。


「…そうね、タナの教育に悪いものね」

「……はあ、本当嫌になる。わざわざ見世物にならないといけないなんて」

「メラーっ!」

「うっ」

「ねえねえメラ! メラはどんな服着るの? 黒いやつ?」


 タナの大きな声がした時点でそっとメラの背後に回ったエリスは細い肩をそっと支えるように掴んだ。何事か理解していないメラが困惑した様子でエリスを見上げようとした瞬間少女がまあまあな勢いでメラに抱き着いた為室内には呻き声が響いた。そしてそれをかき消すような勢いでタナのはしゃいだ声がすると少し離れた場所からケーレスのころころと笑う声がする。


「タナちゃん、もうちょっと優しくしてあげないとメラちゃんの骨が折れちゃうかもしれないわー」

「え⁉︎」


 目を大きく開いたタナが見上げるとそこには若干顔を青くしたメラがいて慌てて手を離す。眉を下げて不安そうな顔をするタナを見てエリスは微かに微笑んだ。


「大丈夫よ、メラのこれはいつもだから」

「そうなの?」

「そうよー。メラちゃんはもうちょっと太った方がいいしお日様の光を浴びた方が良いし鍛えたほうが良いわ」

「私はほとんど神殿から出ないからいいの」


 ため息混じりに吐かれた言葉にエリスは呆れたように肩を竦め、ケーレスは頬に手を当てて我儘な子供を見る母親のような顔でメラを見る。


「…何、二人とも」

「だからメラちゃんいつまでもちっちゃいのよ?」

「鍛えているとか日に当たっているかとかで身長は変わらないよ。私のこれは遺伝。……多分」

「好き嫌いしてるせいもあるわよ、メラ」


 メラが後ろを振り返り、ぎろりとエリスを睨む。小さいが整った綺麗な顔をしているメラから強い目で睨まれると大抵の人間は萎縮するが付き合いが長いエリスたちは慣れている。


「…好き嫌いしてないエリスも小さいでしょ、ここ」


 ぐるっと体ごとエリスの方に向いたメラが手のひらを胸に置いた、エリスの。


「なっ」


 瞬間、頬を真っ赤にしたエリスを見てメラが片側の口角だけ上げた。勝ち誇ったようなその顔に一気に頭に血が上りメラの細い肩を両手で掴んでガクガクと揺さぶる。


「な、なんで、なんでそんな意地悪いうのよ! これからおっきくなるかもしれないでしょ! ケーレスみたいに!」

「無理だよ、もう成長期終わったでしょエリス」

「お、終わってないもの! ケーレスに習った体操だって毎日して少しは大きくなったんだからっ!」

「あらそうなのエリスちゃん?」


 いつの間にか側に来ていたケーレスによってタナは回収され、エリスの名誉を守る為か目を隠しているが耳はそのままである。それを見た途端今度は血の気が引いた気がした。


 きかれてしまった、自分を尊敬していると言ってくれている小さい女の子にとんでもなく恥ずかしいことを聞かれてしまった…! エリスは穴があったら入りたい気分だった。あまりにも情けない、無様だ。


 メラの肩から手を離したエリスがその場によろよろと座り込み両手で顔を覆う。そんなエリスの肩を優しく叩いた人がいた。眉尻を下げた情けない顔でそちらに顔を向けるとそこにいたのはメラだった。相変わらず勝ち誇った顔をしていた。

 再び始まった大人気ない言い争いにケーレスはやれやれと首を横に振りつつ何が起きているかわかっていないタナを連れて衣装選びへと戻った。


 二人のどうしようもない戦いが終わったのはタナの衣装を選び終わった後で、勝敗は着かず仕舞いだったとか。「タナちゃんはあんな大人になっちゃダメよ」とケーレスが笑顔で諭し、タナもそれに頷いていた。


 それを見たエリスがまたもや落ち込んでしまうのだが祭りの衣装選びで着飾った姿を見てタナが大興奮してくれたことでなんとか自尊心が保てた。それにメラがなんとも言えない顔をしていたが最早エリスにはそんなことはどうでも良かった。

 小さな神子に憧れの対象でいてもらうことがエリスにとってはこの場において何よりも重要だったのだ。

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