戦いはユラの国の勝利で終わり、アテナの遺体は兵士達によって王城へと運ばれた。アテナから離れようとしないエリスを無理矢理引き剥がし、泣き叫ぶ彼女を無視してアテナを抱えた兵士は去って行った。追い掛けようと暴れるエリスを数人掛かりで押さえ込み、兵士の一人がエリスの口を布で覆う。


 目を見開きくぐもった声でアテナの名前を叫び続けるエリスの身体を衝撃が襲い、視界は暗転する。

 そうして次に目を開けた時に見えたのは白亜の天井、見慣れたその景色をきちんと理解するまでにエリスは数度瞬きをして、そして勢い良く起き上がった。


 ずくりと鳩尾が痛んで表情が歪むのと「エリスちゃん!」嫋やかな女性の声が名前を呼ぶのはほとんど同時だった。

 視線を声の方に向けると豊かな緑の髪を三つ編みにしたケーレスがいて、そしてその向こう、扉の前にメラがいた。その姿を認めた途端にエリスはベッドから転げるように降りて激情のままに声を荒げる。


「どうして言ってくれなかったの!」


 女神の神殿、歌姫だけが入ることを許された広間にエリスの絶叫が響いた。


「エリスちゃん、落ち着いて」

「ケーレスは黙ってて‼︎」


 エリスは背中を撫でようと肩に触れたケーレスの腕を振り払い、扉の前から動かないメラに大股で近づいて肩を掴んだ。メラはエリスよりも背が低く、細い。見た目通り体に筋肉なんてほとんどないからエリスが強く掴んだだけで体を揺らした。

 だが表情は全く変わらず、残酷なまでに冷たい目がエリスを見据えていた。


「アテナがそれを望まなかったから。それだけ」

「…っ、それでも…‼︎」


 エリスは奥歯を噛み締めた。ギリ、と嫌な音が耳の中でした。脳裏に浮かぶのは自分の腕の中で息を引き取ったアテナの姿だ。

 顔から色を失くして、エリスの頬を撫でていた手が地面に落ちたあの瞬間。エリスの目の前で街を覆っていた、アテナが張り巡らせていた結界が砕け散ったあの瞬間。あの瞬間を思い出すだけでエリスの目の前は歪んだ。


「それでも知らせてくれていたら今でもアテナは生きていたかもしれないじゃない‼︎」


 つんざくような悲鳴とも取れる怒号にメラは何も言わなかった。ただ嫌になるくらい真っ直ぐな瞳でエリスを見るだけだった。その視線に耐えられなくてエリスは目を逸らした。俯いた拍子に落ちた雫は床に触れて弾ける。


 俯いたエリスの肩が震え、メラの肩を掴んでいた手から力が抜けた。そのままずるりと滑り落ち、その場に膝を折った。

 すかさずケーレスが歩み寄り、エリスの肩を抱くようにして体を寄り添わせる。

 顔を覆う両手の指の隙間から嗚咽が漏れていた。

 怖いくらい静かな室内にただエリスの声だけが響く、空気は鉛のように重い。


「……エリスに知らせていたら、どうなっていたの?」

「メラちゃん」


 咎めるようなケーレスの声がした。


「答えて、エリス。もし私があなたにアテナのことを伝えていたらどうなっていたの」

「そんなの…っ、そんなのわたしが止めたに決まってるじゃない! わたしが歌えば、わたしが戦っていれば、わたしがアテナの代わりになればっ」


 顔を覆っていた手を離し、大理石の床に爪を立てた。手の甲にいくつもの雫が落ち、出した声は怒りに任せて震えている。そしてその怒りのまま顔を上げて、エリスは息を飲んだ。


「……」


 続けようとした言葉は出てこなかった。

 メラの目には力が入っているのか眉が震え、口も不自然な形で曲がっている。必死で泣くことを堪えているような顔にエリスは何も言えなかった。


「…アテナの言う通りだ」


 やがてぽつりと落とされた言葉に「ぇ」と空気のような声が漏れた。


「アテナが言ってたんだ。自分のことをエリスに伝えたら絶対に代わりになろうとするから、だから内緒にして欲しいって」

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