歌姫たちに花束を

白(しろ)

おはよう、今日もいい天気だね。

 柔らかな歌声に合わせて色とりどりの花びらが舞う。

 赤、青、黄、紫、ピンク、とても綺麗な花びらがふわりふわりと舞ったと思ったら急に突風でも吹いたみたいに舞い上がる。一つの柱のようにせり立ったそれが再び柔らかく落ちてくる様を見て彼女は笑い、歌が止まる。


「綺麗なもんじゃん」


 まるで夢の国にいるかのような心地に緩く口角は上がり、そんな声が漏れた。

 声は若い。けれど彼女の髪は雪のように白く、日の当たりようによっては銀色に輝いても見える。背の中程にまである波打つほど豊かな白髪は彼女が歩く度にふわふわと揺れ、後ろから見ていると雲が浮いているようにも見えるかもしれない。


 白亜で出来た神殿には等間隔に大きな柱が並び、その間は吹き抜けだ。空はどこまでも青く澄んでいてそこを自由に飛ぶ鳥が高い声で鳴いている。女性は足を止めた。


 鳥はさらに高く飛ぼうとして上を目指すが、突然見えない何かにぶつかりバランスを崩して空の中へと落ちていく。やがて目を覚ましたのか再び羽を広げ飛び去っていく姿を女性は横目に見ながら白亜の建物の中を再び進み出した。


 風の音も聞こえない、不気味なほど静かな場所を歩きながらそっと息を吸って、鼻歌にも近いような音で旋律を再び奏で始めた時、自分以外の足音がするのに気が付いて足を止めた。


「歌わないの?」


 艶のない、けれどきちんと女性らしい優しさを感じる声にアテナはにんまりと楽しそうに口角を上げた。振り返って視界に映った人物にあはっ、と薄桃色に塗られた口を開けて笑った。


「だって歌ったらメラっちとおしゃべり出来なくなっちゃうじゃーん。だからやめたの」

「メラっちはやめて」

「えーっ! やだやだメラっちの方がかわいいしーっ」

「……好きにしたら」


 アテナとは正反対の真っ直ぐな黒髪を持った少女、メラの諦めた様子にアテナは花が咲くように笑って軽い足取りでメラの隣へと並んだ。メラはアテナより少しだけ背が低く、テンションも低い。アテナはメラが笑っているところすら見たことがないが決してメラが常に不機嫌であるなんてことはない、ということを知っている。

 知っているというよりはアテナや他の神子達がそういう風に解釈をしているといった方が正しい。


「てかこのやりとり何回目―? 毎回やめてっていうんだからメラっちって結構頑固だよね?」

「…毎回言うほど嫌がっているんだけど」

「またまたー」


 溜息にアテナはからからと明るく笑い、自分よりも少しだけ歩く速度の遅いメラに合わせて足を踏み出す。


「ねーメラっちぃ。あとどれくらいだっけ?」

「二回」

「わ、案外すぐだね」

「それが予言だから」

「さすが黒の神子様」

「……どうして笑っていられるの」


 メラが足を止めた。アテナも足を止めて、髪と同じ真っ黒な、けれど優しい光を宿した瞳を見つめ返してへらりと笑った。それはいつも完璧とアテナ自身が豪語している笑みとは随分かけ離れた緩んだ顔だった。


「笑うしかないじゃん?メラっちの予言は絶対に当たるんだからさ」


 しんと静まり返った建物の廊下は怖いくらいに静かで、明るく出したはずの声が以外にも冷たく棘のあるような音に聞こえた。

 ああしまったなんて思っているとメラの黒い瞳とアテナの薄い青の瞳がぶつかり、沈黙が降りる。

 無言のまま数秒が経ち、先に音を上げたのはアテナだった。


「もー! メラっちもなんか言ってよー? こんなとこ誰かに見られたら喧嘩してるって思われちゃうじゃん! ただでさえメラっちあんまコミュ力高くなんだからそこら辺気をつけた方がいいぞー」

「…余計なお世話」

「とかいってメラっちあたしに構われるの嫌いじゃないっしょー? アテナちゃん知ってるんだからね」


 滅多に表情の変わることのないメラの血の気が無さ過ぎて心配になるほど白い肌を両手で摘んで伸ばす。頬を摘まれた時点でメラは目を瞠って彼女なりの驚愕を表していたがアテナにそれが通用するはずもなくそのまま頬肉を上下に動かされる。


「メラっちのほっぺってさー、めちゃめちゃ柔らかいよねー? なんかすんごい柔らかい。表情筋動かないから絶対ガチガチっぽいのにさ、なんだろうねこの柔らかさ」

「………」

「あは、マジな顔で睨んでくるのちょーウケる」


 今にも呪いをかけそうな程真顔で睨まれさすがのアテナもまずいと思ったのかパッと手を離した。メラは両手で弄ばれた頬を撫で、再び無言で歩き出す。アテナもそれに続いて歩き出し、長い廊下の終わりが見えた時眩しそうに目を眇めた。


 二人の目の先に見えるのは遠くの方で日の光を反射してきらきらと銀色に輝く海原。目線を下げると大地が、そして何者かの侵入を拒むかのようなあまりに巨大で頑強な壁が、そしてその内側には活気の溢れる栄えた街並みがあり、声は聞こえずともその賑わいは感じることができる。


 見晴らしのいい高台に建てられた白亜の建物。

 人はそれを女神の神殿と呼ぶ。

 そこに居住を許されたのは神子みこと呼ばれる歌姫だけ。


「白の神子様」


 背中に声を掛けられてアテナは振り返った。


「なぁに、侍女ちゃん」

「お支度を」


 全身を白い装束で包み、顔すら見えない侍女の言葉に白の神子であるアテナは笑顔で「はーい」そう言って頷いた。隣にいるメラは正面を向いたままアテナを見ようとしない。誰に対しても変わらない態度に口角を上げてアテナは歩き出す。


「アテナ」


 振り返っても見えたのは真っ直ぐな黒髪と、それに合わせた黒の服。

 顔なんて一切向けていないのにそれでも意識はアテナに向いているのがわかった。


「気をつけて」

「あは」


 アテナは吹き出すように笑って再び歩き出した。今度は止まることなく歩み続け、道案内をするように自分の前を音もなく歩く侍女の背中に声を掛けた。


「気をつけてだってー。メラっちってさー、普段からあの優しさ前に出すべきだと思わない? 照れ屋さんだよねー」


 侍女はそれに反応をすることなく歩き続ける。

 いつもと変わらない風景にアテナはうんざりするでもなく話しかけ続けた。それは侍女の足が止まるまで続き、大きな扉が開いてその先に燃えるような赤毛を見た瞬間アテナは駆け出した。

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