「エリスーーーっ‼︎」

「あーーーーっ‼︎ もうっ! なんなの馬鹿! 熱いくっつかないでー…っ!」

「えーっ、やだやだなんでエリスまでそんなこと言うのー? さっきもメラっちに冷たくされたからアテナちゃん悲しいんですけどー」


 髪に負けないくらい真っ赤な顔をして抱き着いてきたアテナをどうにか引き剥がそうとする女の子、エリスにアテナは不満げに唇を尖らせた。


 エリスは若い女の子だ。歳の頃は十代半ば、アテナも十代だがエリスはそれよりも若い。一切の混じり気のない艶やかな真紅の髪を肩程で切り揃えていて、その髪型からもエリスという少女の真っ直ぐさを表しているようでアテナは気に入っていた。そして何よりクールを装っているのにそれに徹し切れていない性格も好んでいる。


 今もいつも軽くアテナをあしらうメラの真似をして冷たくしようとしているのにアテナが少し拗ねた顔をしたものだから眉尻を下げて困ってしまっている。抱き着いたままの腕も無理矢理引き剥がすこともなくされるがままになっている姿にアテナは笑った。


「あははっ、エリスのそういうとこあたしちょー好き」

「は、はぁっ⁉︎」


 真っ赤な顔をしたまま猫のようにぱっちりとした目をきゅう、と細めた姿にそろそろいいかと腕を離す。するとあからさまに安堵したように息を吐いたエリスの様子にまた唇を尖らせた。


「えー、そんなほっとすることなくなーい? アテナちゃん悲しーい」

「そんなこと全然思ってないでしょっ! もう、早く着替えなさいよ!」


 ふい、と顔ごとそっぽを向いてしまったエリスの言葉にしょうがないとばかりに生返事を返してアテナは侍女の方に体を向けた。するとそこには両手に真っ白な服を持ったまま人形のように立っている侍女の姿があり「着替えよっか」アテナがそういうと人形のようなその人は動き出して一切の無駄のない、慣れた動きでアテナの服を脱がせて行く。


 広く鏡の置いてあるこの場所は通称鏡の間だが、アテナはここを更衣室と呼んでいる。それをメラにいうと微妙な顔をされた。

 白く張りのある肌が鏡の前に晒され、それを眺めているとさらりとした手触りのいい布が身体に巻かれていく。絹やそれに近い質感の一枚布がアテナの体を覆い、左肩には同じ素材の布でマントのような細工が施される。

 仕上げに金の繊細なチェーンや腕輪が嵌められ、頭上に同じく金で出来た植物を模した円環が乗せられて身支度は終わる。


「──うん、今日もいい感じ」


 ありがとう、笑顔で伝えた言葉にも侍女は何も言わずそっとアテナのそばから離れて壁際に寄る。アテナもエリスもそれに違和感を覚えたりはしない。なぜならこれが彼女たちには当然で自然のことだからだ。


「エリス、いつからだっけ?」


 主語のないアテナの言葉にもエリスは内容を理解しているように頷いた。


「昼の祈りの時間。全く、神聖な祈りの時間を狙ってくるなんてやっぱりゼンオウ国の奴らは野蛮。女神様に感謝しないから恩恵を授かれないのよ」


 アテナと同じような服、けれど色味は全く違う髪色と同じ真紅の服を纏ったエリスが腕を組んでわかりやすく不快感を露わにするのを口元に笑みを湛えたまま見る。

 末っ子は今日も真っ直ぐでかわいいな、そんな感情が顔に滲み出ていたのだろうかアテナの表情に気がついたエリスがむ、と唇をへの字に曲げる。


「……なに、その顔」

「んーん、うちの末っ子はかわいいなぁって思っただーけ」

「…そんなに年変わらないでしょ」

「えー、でもアテナちゃんの方が二歳は年上だしー? お姉さんだしー?」

「そんなこと言ったらメラだってケーレスだってアテナより年上でしょ⁉」

「それはそれー、これはこれー」

「なにそれずるいっ」

「神子様方」


 二人の人間の声が重なった。一人はアテナの、もう一人はエリスの侍女のものだ。


「お支度を」


 再度声が重なってエリスはバツが悪そうに鼻を鳴らし、アテナは軽く「はーい」と返事をした。

 侍女達が鏡の間の扉を開けて二人は並んで足を踏み出す。

 神殿を抜け、国が用意した馬車に乗って向かうのは壁の外。綺麗に舗装された石畳を馬車が走れば窓の外から大きな歓声が聞こえる。


「神子様!」

「歌姫様!」

「我らの救いの女神様!」

「ゼンオウ国の奴らを今日こそぶちのめしてくれえ!」


 窓を閉め切っていても聞こえる声にエリスは腕を組んで憮然とした顔をしていたが少しだけ頬が緩んでいるのをアテナは見逃さなかった。


「そんな真剣な顔しなくてもいいのにー。ほら、笑って笑ってーっ!」

「え、ちょ、ばかっ!」


 手を伸ばし閉め切れられていたカーテンと窓を開けてアテナが身を乗り出すと街の歓声は更に大きくなった。まるで祭りのような賑やかさにアテナは顔いっぱいに笑って大きく手を振って見せた。


「みんなありがとーっ‼︎ 今日もばっちり守るから安心してねー‼︎」

「白の神子様だ! 守護の歌姫様がお顔を見せて下さったぞ!」

「ああああっ、なんて、なんて尊いお姿、もう人生に悔いはないわ…」

「ほらほらエリスも‼︎」


 泣き出す人まで出てくる熱狂ぶりに満足そうにアテナは笑う。一度馬車の中に戻り、困惑とも呆れとも取れる顔をしているエリスの腕を取って窓を指差した。


「わ、わたしはそんなこと」

「こういう活動も神子の務め! どんな人が神子なのか知ってた方が良いに決まってるの! ほら早く!」

「ちょ、押さないで…!」


 渋るエリスの背中を押す。その間にも馬車は進み、人の波が途切れるのも時間の問題だった。

 アテナに急かされてエリスが遠慮がちに窓の外に顔を出すと街がほんの一瞬静まる。


「戦勝の歌姫様…」


 そして感嘆の息と共に呟かれた言葉が波紋のように広がった。


「我が国の勝利の女神様だ」

「あの方がいれば我が国がゼンオウ国に負けることは有り得ない!」

「ボク知ってるよ! あのお姉さん、ものすごく強いんでしょ‼︎」

「ああ強いなんてもんじゃねえさ! あの方の歌はそりゃあもうすげえんだ!」

「光の雨が降り注ぐようだったわ」


 民の興奮は馬車の中にいるアテナにも伝わる。そして今それを目にしているエリスにはもっと顕著に伝わっていることだろう。


「神子様万歳! 女神様万歳!」

「ユラの国に栄光あれ! 歌姫様達に栄光あれ!」


 声が大きな波のように襲いかかる。その圧に気圧されてエリスは馬車に戻り、すとんと腰を下ろした。呆然とした表情にアテナは首を傾げた。表情は笑っている。


「本当こういうのに慣れないよね、エリスって」

「…慣れるわけないでしょ。その分の期待が掛けられてるんだから」


 馬車は進み、徐々に聞こえていた声援が遠くなる。それだけで随分と静かになった空間で二人の視線が交差して、先に逸らしたのはアテナだった。


「そうだね」


 短く、そして珍しく掠れた声で呟かれた言葉にエリスは一度ゆっくりと瞬きをした。


「あたし達はこの国の希望みたいなもんだもんね」

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