兵舎から出たエリスはその入口で待っていた馬車を見て緩やかに首を振った。


「せっかく用意してくれていたのにごめんなさい。歩いて神殿に戻ってもいいかしら」


 その提案に神殿付きの鎧を纏った兵士が困惑したような雰囲気を醸し出した。けれど神子には逆らえないという思いもあってか案外あっさりと折れてくれて、エリスはその兵士と一緒に歩き出した。神殿を出てから随分と時間が経っているようで太陽が随分と上がっていた。明るい日差しの中、エリスは程近くで賑わう街の声を聞いた。

 兵舎と街で一番の賑わいを誇る広場の付近はとても近く、少し歩くだけで人の往来が多くなる。髪も隠さず胸を張って歩いているエリスがいれば当然目立ち、街が騒めく。


 けれど幾度となくタナが神殿から脱走し街に降りていたからか住民たちの空気も随分と柔らかく、やはりエリスに気軽に声を掛けてくる人は多い。


「あら赤の神子様! 今日は白の神子様は来てませんよ?」

「おいおい神子様祭りの時より随分痩せちまってるじゃねえですか! ほらうちのモン食ってきな!」

「まあまあ本当! ちゃんと眠れてますか? うちには花の蜜から作った石鹸なんてのもあるですよ。ほらほらこれも持ってって下さいな!」

「赤の神子様が来てるって⁉︎」

「あーあー! 落ち着いて下さい皆さん! 神子様が驚かれますから!」


 エリスの周りには人が溢れていた。誰も彼もがエリスを好意的な目で見てくれて、そして何故かものを渡したがる。それをどう断ったらいいかわからないエリスは手当たり次第それらを受け取ってしまったせいであっという間に両腕が塞がってしまった。

 その姿に街の人は満足そうだし、エリスを警護している兵士は頭を抱えそうな程困惑していた。そしてエリスに何かをくれるのは大人だけではない。


「神子さま! これどうぞ!」


 子供が手にしているものを見てエリスは目を丸くし、申し訳ないとは思いながらも兵士に持っていたものを全て預けて子供の前にしゃがんだ。

 すると頭にたくさんの花で作られた冠が乗せられてふわりと蜜の香りがした。


「えへへ、神子さまきれいだね」

「……ありがとう、大切にするわ」


 その子供の笑顔は宝物のように輝いて見えた。タナよりももう少し幼く見える子供は、きっとエリスが神子になってから生まれた子供だろう。

 この子が生まれる未来を、今明るく朗らかに笑う人たちの今を自分たちが守ってきたのだと思うとそれだけで己が誇らしくなった。自分のしてきたことの全てが間違いなわけではなかったのだと思えた。


「あの、赤の神子様」


 声がした方に視線を向けると母親らしき人に肩を持たれた女の子が両手を後ろにして照れ臭そうにエリスを見ていた。エリスを見て、やはり恥ずかしくて母親を見上げて、少し困ったように眉尻を下げたその人が急かすように体を前に押す。


「…どうしたの?」


 出来るだけ優しく声を掛けるとその女の子は少し戸惑った後に意を決したような顔でエリスの前に進んできた。男の子が場所を開けてくれたおかげで真正面に来ることが出来たその子は後ろに回していた手を前に出した。


「…綺麗。…わたしにくれるの?」


 差し出されたのはリボンでまとめられた小さな花束。小さな野の花と、エリスと同じ綺麗な赤い花で出来たそれを受け取り、女の子を見る。

 少女はその言葉に小さく頷いた。よく見れば少女の頬は林檎のように赤く染まっているし、少し息が乱れているような気もする。緊張からか服を摘んでは離している指先には少し緑色が着いていて、もしかしてわざわざ採りに行ったのだろうかと驚く。

 それを聞いてみようと口を開けたエリスだったが、言葉が出ることはなかった。


「いつもっ、まもってくれてありがとうっ」

「あああっ、ありがとうございますでしょこの子ったら…!」


 ぶつけるように向けられた言葉にエリスはまたしても言葉を失った。胸がぎゅ、と狭くなり全身に鳥肌が立った。気を抜けば醜態を晒してしまいそうな程目の奥が熱くて、吸う息も吐く息も震えた。

 はらはらと赤い花弁が降る。まるで泣けないエリスの代わりに涙しているように。


 ──もう守れないの。


 そんな言葉が喉まで出掛かった。けれどそれだけは絶対に言ってはいけないと飲み込んで、エリスは笑って見せた。


「素敵な花束をありがとう。みんなにも見せるわ」


 少女もその母親も、側にいた男の子や周りの人も皆一様に笑っていた。

 この日常が壊れるはずがないと信じて疑わないその笑顔にどうしようもなく胸が痛くなった。


「うん。つぎのたたかいも、がんばってね」

「……ええ」


 声が震えないように必死に堪えてエリスは立ち上がった。


「…たくさんの贈り物をありがとう。皆さんに女神ユラの加護がありますように」


 わ、と歓声が上がった。エリスを褒め称える言葉、神子を崇める言葉、ゼンオウ国を嘲笑う言葉、女神への感謝、そんな声を背中に受けながらエリスは兵士と一緒に神殿へと進みだした。声は徐々に遠くなり、やがて二人の歩く音と木々のざわめきしか聞こえなくなる。

 そこに時折貰ったものが入った箱や袋が擦れる音が混ざった。


 神殿に着くまでの間にエリスは兵士にパーシアスの処刑を待つように指示をした。兵士は当然良い顔をしなかったが、やはり逆らうようなことはなく渋々頷いた。そうして神殿に到着し、大量の荷物を侍女たちに預けつつ兵士に「ありがとう」と伝えると彼は軽く頭を下げて持ち場に戻って行く。エリスの手には子供たちから貰った花冠と花束だけが残った。


「エリス」


 待ち構えていたようにタイミングよく現れたメラに視線を向ける。彼女の目線はエリスの手に注がれていて「綺麗でしょう」と呟くとメラは何も言わずに頷いた。


「パーシアスのこと、許すの?」


 エリスは数秒沈黙した。兵士に伝えた言葉がメラにまで届いているはずがない。だとすればメラはきっとこの未来を視ているのだろう。


「…間違ってると思う?」

「…どうだろう、難しいね」

「メラにもわからないことがあるの?」

「あるよ、わからないことだらけ。何が正しかったのか、今でもわからない」


 風が吹いてメラの夜空のような黒髪を攫う。

 それが顔に掛かり、表情が隠れるものの僅かに見える瞳が不安に揺れていることだけは分かった。風に吹かれて手に持った花束の花が散っていく。

 守ろうと手のひらで風除けを作っても、小さな花は風に煽られて簡単にその美しさを散らしていく。なんて儚いのだろうかと、胸が切なくなった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る