光が差した湖面を水中から見上げているような
1
白の神子、アテナの死から数日が経過した。
神子の葬儀は国を挙げて盛大に行われ、国民は涙に暮れてその姿を送り出した。神子の体は神殿の側にある霊廟に移される決まりとなっているがそこに立ち入ることが許されているのは神子たちとその関係者のみである。
残された三人の神子による歌での葬送によって葬儀は終わり、国を包んだ深い悲しみは日を追う毎に薄れていく。残酷なまでにいつも通りを取り戻して行く様はどこか異様だと思いつつ、行き場のない悲しみと怒りを胸の内に抱えてエリスは今日もアテナの眠る場所へと足を運んでいた。
さらさらとした優しい風が吹いてエリスの切り揃えられた髪を揺らし、濃い草木の香りが鼻腔を擽る。そんなことすらも、もうアテナがこの世にいないのだと知らしめているようでやるせない感情に唇を噛んだ。
一歩、また一歩と進んで見えてきた霊廟から顔を隠した女性が出てくるのを見つける。それはアテナの侍女だった人物のようで、エリスは思わず足を止めた。あちらもエリスに気が付いたのか足を止めて深く頭を下げている。
「……また来ていたの?」
話しかけても侍女はなんの反応も示さない。
だがエリスはこの侍女が毎日アテナの墓所を訪ねているのを知っている。こうして顔を合わせるのももう何度目だろうか。
いつもなら一言だけ声をかけてすぐに通り過ぎるのだが、今日はもう少し話していたくなった。それがなぜなのかはエリスにもわからない。強いて言うのであれば気が向いた、というやつだ。
「アテナは最後の日もいつもと変わらなかった?」
問いかけに返ってくる声はない。代わりに侍女の体が僅かに震えたのを見てエリスは「そう」と返した。侍女は何も喋らない、顔も見せない。それが決まりなのだと、かつてエリスを赤の神子として連れて来た人物は言った。エリスはそれに違和感を覚えたことはあっても疑問に思ったことはなかった。そういうものだと今でも思っている。
だからエリスの侍女も今も後ろに控えているだけで何も言わない。
まるで影のようだと思いながらエリスはその侍女の横を通り過ぎて霊廟の中へと足を踏み入れた。
外観は神殿と同じように白亜の石で作られたものなのにその内装はあまりにも違う。
暗い入口を通って中へと進んで行くと直ぐに固く閉ざされた扉が見えてくる。その扉に手を掛けて開くと真っ先に目に入ってくるのは眩いばかりの輝きだ。一面に鏡細工の施された霊廟内は細かな光を反射して非現実的なまでに美しい。
光の当たり方によって濃淡を変える室内は青く揺らいでいてまるで水の中にいるようだと思う。
その中を進み、エリスは祭壇の前で足を止めた。
この霊廟にはアテナ以外にも数えきれない程の神子たちが眠っている。歴代でいえばもう何人目なのだろうか、数えるのも嫌になるくらい多くの神子の魂がここにいる筈だ。
エリスは膝をついて胸の前で手を組んだ。少しだけ頭を下げてそっと目を閉じる。
アテナを失ってからエリスは毎日ここに来ている。きっとメラもケーレスも来ているのだろうが時間をずらしているのか擦れ違ったことすらない。誰もがアテナを失った悲しみに心を痛めていた。
「……アテナ、昨日はね」
日々の出来事をぽつぽつと零す。
出来事と言ったって争いさえなければ神子の日々は暇なものだ。平和であれば神子たちが歌を歌う必要はない。悲しいかな、アテナが死んだあの日から今日までユラの国には大きな争いは起こっていない。
あれだけ攻め入って来ていたゼンオウ国が大人しいからだ。
たった十数秒で昨日の思い出を語り終えてしまったエリスはぐっと唇に歯を立てた。
「…ずっと、こんな日が続いていたら」
脳裏に浮かぶのは目の前で崩れ落ちたアテナの姿。
「…奴等さえ、攻めて来なかったら…!」
アテナを失った深い悲しみは日を追う毎に強い憎しみとなってエリスの中に降り積もる。
その憎しみが向かう矛先は当然ゼンオウ国だ。
「……見ていて、アテナ。わたしが守るから。アテナがくれた命で、今度はわたしがみんなを守ってみせるから」
エリスは目を開けて手を解き立ち上がる。
それとタイミングを同じくして霊廟の扉が開かれた。振り返った先にいたメラの姿をエリスは真っ直ぐに見据えた。
「……エリス、戦いが始まる。二日後」
「わかったわ」
迷いなく響いた返事は霊廟の鏡細工の中に吸い込まれていく。メラの表情は見えないが声の調子から決して楽観的ではないということがわかった。
だがエリスはかつてない程自分の力が漲っているのがわかり、思わず口角を上げた。
憎しみに染まった顔はきっと醜いだろうが、それで良かった。
「滅ぼしてやる」
二度と攻め入ろうと思えない程圧倒的な力で蹂躙し、捻り潰してやる。
エリスの目に迷いは無かった。
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