タナの手を引いて神殿の外に出る。瑞々しく光る草を踏み締めながら少し歩くと草原に辿り着く。神殿からも霊廟からも離れているそこには建物の気配はなく、ただ草や小さな花が風に揺れるだけ。


「ここでなにかするの?」

「ええ、授業だもの」


 草原のちょうど真ん中あたりで足を止めてエリスはその場に腰を下ろした。タナもそれに習ってエリスの前に腰を下ろし、パーシアスは少し離れたところで二人の様子を見ている。


「今日は歌の授業よ」

「? それはケーレスとやってるよ?」


 不思議そうにタナが首を傾げてエリスを見る。


「わたしの教える歌とケーレスの教える歌は違うわ。ケーレスはあなたに女神ユラの歌を引き出すための方法を教えるの。わたしの歌はあなたにその力の使い方を教えるものよ」


 見てて、そう言ってエリスは両手を受け皿のようにして出した。小さく息を吸うとエリスが座っている場所に小さな円が浮かび、そこからふわりと赤い粒子が下から上へと舞い上がる。

 瞼を伏せて囁くような声で歌い出すとエリスの手のひらに火が灯る。


「わあっ!」


 タナが目を輝かせ、それにエリスは口角を微かに上げる。

 揺らめいていたそれはくにゃりと形を変え、羽が出来る。炎の羽を持った蝶が出来上がるとエリスは目を開けてそれを空に還すように両手を上げた。まるで本当に命が宿っているかのように羽ばたいていった蝶はエリスが歌うことをやめた瞬間赤い粒子となって消えていく。


「あっ…消えちゃった…」


 見るからに残念そうに肩を落としたタナに目を細める。


「わたしは歌っている間だけ力が使える。メラも同じ。ケーレスは発動さえ出来ればしばらく放置していても力が持続するのは知っているわね?」

「うん」

「白の神子であるあなたはケーレスと同じよ。歌っていなくても発動さえ出来れば持続できるわ。だけどそれが出来るようになるのは相当先だと思っていい」

「どうして?」

「…とても疲れるから。タナはまだ小さいから難しいわね」

「はいっ」


 タナがしゅぱっと勢いよく片手を上げた。


「なに?」

「歌わなくても力が使えるならどうして白の神子も危ないところに行くの?」

「……良い質問ね」


 タナには既にいずれはエリスと共に戦場に立つということを教えている。まだ文字だけを理解しているタナの目はやはり綺麗で少し苦しくなる。少し離れた場所にいるパーシアスを思うと尚更。


「白の神子の力は歌っている時が一番強いの。…危ないところに行くとね、怖いものが沢山わたしたちに向かってやって来るの」

「それをタナが壁を作ってばーんってするの?」

「…そうね。その通りよ」


 エリスが頷くとタナは嬉しそうにしていた。答えが合っていたのが嬉しかったのだろう。けれどその表情はすぐに真面目なものに変わりまた勢いよく手を上げる。


「それってどうやったらできるようになるのっ?」

「まずはケーレスの授業をちゃんと聞いて歌えるようになること。ほんの少しでも壁を作れるようになったらそこからはわたしと練習ね。いい、タナ。わたしとあなたの力はイメージすることがとでも大切なの」

「イメージ?」

「そう。例えば作る壁はどれくらいの大きさで、どんなものから守れるようになれば良いのか。どんな形の壁がいいのか、そういうのをイメージしないといけないわ」

「…それだけでできるようになるの?」

「時間は掛かるわよ。わたしは苦手だったもの」

「エリスでも苦手なものあるのっ?」


 丸い目がさらに大きく開かれてエリスは苦笑する。そしてまだ自分がここに来たばかりの頃を思い出して少しだけ瞼を伏せた。


「あるわよ、たくさん。でも焦る必要なんてないわ、ゆっくりタナのペースでできるようになればいいの」


 同じように外に連れ出してくれてエリスに魔法のような綺麗な力を見せてくれた人がいた。雲みたいな白いふわふわの髪の毛が可愛くて、笑顔も太陽みたいに明るいその人は不安がっているエリスを見てにんまりと笑っていた。


「…でも、タナが早く歌えるようにならないとエリスが大変なんじゃないの…?」


 当時のエリスも今のタナとほとんど同じことを聞いた。

 赤の神子がいなければ防戦一方になる他無いのだ。対人戦に持ち込むことも出来るが、ユラとゼンオウとでは戦力差が明らかでそうなったらユラの負けが目に見えている。だから赤の神子がいない間は白の神子が延々と壁を張り続け、我慢比べをするしかない。


 そして白の神子がいない今、全ての攻撃をエリスは叩き潰さなければならない。

 エリスの力は絶大だ。だからこそ負担は四人の歌姫の中でも相当なものだという。その力を必要最低限に収めるために赤の神子はいつの時代も白の神子と共にあるのだ。


 エリスは笑った。あの日のアテナのような明るい顔は自分には出来ないけれど、せめてこの子の不安を少しでも取り除けるようにと。


「大丈夫よ。全部わたしが守るから」


(「ぜーんぶアテナちゃんがばっちし守るから問題ナーシっ!」)


 あの時はこの女はなんて能天気なんだろうと内心呆れもしたが、その実安心もしていた。あの笑顔が不安で押し潰されそうになっていた自分を助けてくれたのは間違いなく事実だ。そして現に今も不安そうな顔をしていた少女は安心したように笑ってくれている。


「…さあ、授業を再開するわよ。何か気になっていることはある?」

「あ、えっとね、あれ聞きたいっ」


 その日タナは嫌がることなく、むしろ興味津々と言った様子で色々なことを聞いてくれた。ケーレスやメラが大抵のことは教えてくれていたようでエリスが教えるのは力の使い方が主だった。こうして砕けて話してみるとタナはやはり頭の良い子だと思う。


 だが興味の幅が狭く、図書館での授業は向いていないのだなと今日という一日でエリスは思い知った。次回からも外でやろうと言うとタナは見るからに嬉しそうにしていた。

 エリスは自分のことを妹だと言ってくれる面々の顔を思い出し、そして授業が終わってパーシアスと共に神殿に戻っていくタナの姿を見て確かにそうだなと目を細める。


「…妹は守らないと、か」


 アテナの気持ちがほんの少しだけわかった気がして、エリスは鼻の奥がツンと痛くなった。

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