10

 メラから伝えられた戦いの規模は確かに今まで経験したどんなものよりも大きかった。

 大きいが故に戦いは一日では終わらず間を空けずに何度も行われるらしい。今までもそんな風に戦って来たことはあるが、今回は状況が違う。


 まず守りの要である白の神子がまだ実戦登用出来ないということ。そして全ての戦いが大規模なものになるということ。

 この二つの点はエリスの大きな負担となる。


 だがそれに関してメラは何も言わなかった。ということはエリスはその戦いでも無事勝利を収めるということだ。

 その未来がわかっていても、エリスの心は重たいままだ。


「赤の神子様」


 呼ばれてはっと顔を上げる。

 そこにいたのは侍女で、相変わらず顔は見えない。


「どうしたの?」

「祈りの時間でございます」


 告げられてああそうかと外を見る。太陽が真上になっていることを確認してエリスは立ち上がった。それを見て侍女が歩き出し部屋の扉を開け、エリスは外に出る。

 向かう先は祈りの場といわれる場所だ。


 ユラの国では正午になると女神ユラに祈りを捧げる風習がある。その時間は大抵の住人が様々なものの手を止めて数秒から数分だけ女神の神殿の方に向かって祈りを捧げている。


 それは神子であるエリスたちも例外ではなくその時間になると祈るのだが、神子の場合は場所が決まっている。神殿の中でも最も奥まった場所にあり、そして神聖な場所である祈りの場がそうだ。


 静かな通路を歩き目的の場所へと続く扉を開ける。

 神聖な場所といっても絢爛豪華というわけではなく、そこはとてもシンプルだ。

 女神ユラの石像が部屋の中心部にあるだけの殺風景といっても差し支えない部屋だ。神子はその石像の前に膝を着いて祈りを捧げるのだが、今日もエリスが一番乗りなのか部屋には誰もいない。


 だがそんな光景も慣れたものでエリスは女神の前に膝を着いて祈った。

 国の平和と安寧と、全ての加護をもたらしてくれる女神への感謝を粛々と祈るのだが、今日はそれだけではなかった。

 エリスは閉じていた目を開け、女神の像を見つめた。


 女神は絵に描いてある通りの美しい女性だ。全てを愛し赦してくれる、そんな雰囲気のある女性の姿だ。だがそんな優しさの化身とも言える女神ユラが唯一追い返せと跳ね除けたのがゼンオウ国だ。


 ユラの国ではゼンオウ神は悪神だ。強欲で暴虐の限りを尽くし正義のもとに立ち上がった女神ユラを殺した神だと伝わっている。ゼンオウ神に殺され無念の死を遂げた女神ユラの死体は土となり、そしてそこで人が生まれ国が出来た。それがユラの国の起源だという。


 そしてユラの国の民は皆女神ユラの子供であり、親を殺したゼンオウやその民を悪く思う風習が昔から存在していた。

 エリスもそうだ。もう声も思い出せない母親にゼンオウは悪いやつなんだと教えられて来たし、神子になってからもそう教えられた。


 悪い奴が来たのだから追い返す、どんな手を使ってでも。そして国の安寧を守る。それが当たり前だと思っていた。

 疑問に思ったことなんてただの一度もありはしなかった。

 だけど今は?


「…女神様」


 エリスは言葉を続けられなかった。

 いつ他の神子が来るかわからないという状況もあるが、今思っている言葉を口に出すことは全てへの裏切りのような気がしてとても言えなかった。キツく唇を噛んでエリスは俯いた。


 胸の前で組んでいる指には力が入りすぎて白くなっているし微かに震えている。細く震える息を吐き、エリスはもう一度祈る。

 どうか平和であれ。どうか穏やかで静かな日々が、誰も傷付かないそんな日々が生けとし生ける全ての人々に平等に訪れるように。どうか。


「──神様」


 縋るような声だった。

 それから少しして祈りの場に全ての神子が集まった。「相変わらずエリスちゃんが一番乗りね」嫋やかに微笑みながら告げるケーレスに眠そうに目を擦っているメラ、そしてまだ慣れないのかどこかそわそわしているタナ。


「あなたたちが来るのが遅いのよ」


 四人が女神ユラの石像の前に並び同じように祈る。

 エリスは再び指を組み、目を伏せた。

 どうか、一日でも長く。そう祈った。





 古代文字の描かれた真紅の円陣がいくつも宙に浮かび、エリスの歌に合わせて移動したそれから放射線状に光が放たれてゼンオウ国軍を跡形もなく消し去っていく。今までの戦いであればこの一撃だけで戦いを終わらせられていたのに、今日は違った。

 エリスの力の放出が終わったのを見計らって海岸に新たな戦艦から兵士が大量に降りてくる。


 力を使うにはイメージが大切だ。だがエリスの力はあまりに強大過ぎるがあまりに複雑な動きには向いていない。一度の歌では一つの攻撃しか出来ず、そしてそれは持続しない。


 短期決戦型だからこそ白の神子の力で限界にまで引き付けて一撃で沈めるというのが最も理に適ったやり方だったが白の神子がいない今エリスは攻め込まれる前に全てを消し去らなければならなかった。


「は、は…っ! 敵は…⁉︎」


 敵を確認するのに最も適した門の上でエリスは片膝を着いた。

 心臓が破裂しそうな程に脈打っていて全身から汗が止まらない。息も乱れ肩を上下させながら隣にいる兵士に叫ぶと若い兵士は少し狼狽えた。


「ま、まだ迫って来ています!」


 限界を越えようとしている体に鞭打ってエリスは立ち上がる。

 ユラの国の兵士ではない人たちの怒号が聞こえた。人が波になって走って来ているのが見えた。


「…どうして向かってくるの」


 エリスは表情を歪め、言いようのない感情を振り切るように髪を振り乱した。

 声が聞こえる。生きている人間の声だ。

 きっと国に帰れば待つ家族がいる、自分たちとなんら変わりない人間がそこにはいる。頭が痛くてしょうがなかった。けれどエリスの取れる手段なんてたった一つしかありはしないのだ。


「勝てないってわかってるのに、どうして向かってくるのよ…!」


 エリスは叫び、再び深く息を吸った。

 イメージするのは全てを焼き尽くす炎。出来るだけ熱く、そして威力の高いもの。

 苦しまずに、一瞬で終わらせられるもの。

 絶叫に似た歌声が響き、温度を超越した透明に近い青い炎が衝撃波と共にゼンオウ国軍を覆った。

 苦痛に叫ぶ声すら聞こえなかった。それほどまでに一瞬だった。


「……赤の神子様、もうお力を解かれても問題ないかと。…敵軍、消滅しました」


 その声を聞いた瞬間、エリスはその場に崩れ落ちた。

 それと同時に円陣は赤い粒子となって姿を消し、青い炎も消え失せる。


「神子様!」

「…だいじょうぶ」


 引きつり咳き込むほどに呼吸を乱し苦痛に表情を歪めるエリスを見て兵士が慌てて体に触れようとするがエリスはそれを短く拒絶し、ふらつきながら立ち上がった。立った途端体のバランスが大きく崩れたがそれでもエリスは「大丈夫」と言い張り、誰の手も借りようとはしない。


「……神殿に戻るわ」


 そう消え入りそうな声で呟いて、エリスは鉛のように重たい身体を引き摺って歩き出す。

 自分が立った今焼き尽くした戦場を見る勇気は、もう持てなかった。

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