第21話 演技は素人なので許してください
「フィ、フィリア?」
「嬉しいです、旦那様」
この芝居に出来るだけ乗ろうと、一生懸命頑張っている。彼は紫黒色の瞳をまるでブルーベリーのようにまん丸にしたと思ったら、今度は収穫時期を過ぎてしまったリンゴと同じくらい頬を赤く染めた。
「可愛い……」
「えっ?」
「どうしたらいいだろう、君が可愛くて胸が苦しいんだが」
「い、いえいえそれは勘違いです!」
仲睦まじい夫婦の演技に付き合おうと思ったけれど、これはさすがにやり過ぎではないだろうか。見栄の張り過ぎか、ワインの飲み過すぎか、はたまた花香の効力が効き過ぎているのか。
やんわり手を離そうとすると、途端にしゅんと眉尻が下がるので、その可愛らしさにやられてしまってどうしようもない。
これはやっぱりジャラライラの香気せいで、そうなるとセシルバ様の身も危ないのではと、確かめる為に私は彼に顔を寄せた。
「セシルバ様、少々よろしいでしょうか?」
「うん、どうしたの?」
「しばらくの間、私と目を合わせてくださいませ」
私よりずっと華やかで愛らしい尊顔を、じいっと見つめる。私達二人の視線が絡むよりも先に、旦那様の大きな掌が私の視界を真っ暗に遮った。
「駄目だ、フィリア。他の男を魅了するな」
「わ、私はただ確かめたかっただけで」
「これ以上妬いたら、僕はテミアンが嫌いになりそうだ」
「それは大変です!今すぐに止めます!」
冷静になれば、どう見てもセシルバ様は香気に酔っている感じはしないけれど、目隠しをされたまま耳元で囁かれるのは非常に恥ずかしいので、私は必死にこくこくと頷いたのだった。
「……オズベルト、本当に良かった」
やっと視界が開けたと思ったら、今度は目の前でセシルバ様が号泣していらっしゃるから、ぎょっとして目を見開いてしまう。この数分の間に想定外の出来事が連発し過ぎて、もう目を回して倒れそうになった。
「容姿と肩書きのせいで散々振り回されてきた君を見ていたから、嬉しくてつい」
吹っ切れたように笑うセシルバ様を見ながら、私の顔からさぁっと血の気が引いていく。これは、ちょっと嘘を吐いたレベルを超えてしまったのではないだろうかと。
「ようやく、愛し愛される喜びを知ったんだね」
めちゃくちゃな勘違いをされていて、今さら違うとはとても言い出せない。
こうなったら旦那様に助けてもらおうと彼を見上げても、気恥ずかしげに指で頬をかいているだけ。その姿に、ちょっと苛立ちさえ覚えてしまった。
親友を騙して嬉し涙まで流させて、貴方の心は痛まないのですかと言いたい気持ちを、ぐぐっと抑える。
「だ、旦那様。少し話したいのですがよろしいでしょうか」
「ああ、もちろん」
このままではまずいと、私は彼に目力で訴える。全く気付いていない様子だけれど、とにかく一旦落ち着きたい。
今だにハンカチで目元を拭っているセシルバ様に会釈して、私達は人気のないバルコニーに出ようと足を進める。その時、執事服を見に纏った紳士が足音も立てず目の前に現れて、旦那様の眼前で深々と礼をした。
「オズベルト・ヴァンドーム様。第五王女殿下がお呼びですので、どうかご来臨賜りますようお願い申し上げます」
「だ、第五王女殿下が……」
「お一人でいらっしゃいますようにと」
どうやら王族の御付人らしく、どうりで洗練された雰囲気が漂っていると納得した。第五王女殿下といえば、先ほど本日の主役である第三王女様と並んでいらっしゃった、七つか八つくらいの可愛らしい方。国王陛下や王妃陛下を始め全員が美形で、それはそれは圧巻だった。
「いや、妻の同席も許可願いたい」
「王女殿下の意向を無下にすると?」
「そうではありません。もうこれ以上、彼の方の貴重な時間をいただくことはできないと感じているからです」
一体何の話だろうと首を傾げていると、セシルバ様が「以前からオズベルトは王女殿下に言い寄られているんだ」と私に耳打ちした。
「承知いたしました。一度お二人でご来臨いただき、以降は王女殿下にご判断を委ねます」
「はい、それで構いません」
先ほどの表情豊かな旦那様はどこへやら、険しい顔で私の手を離す。非公式とはいえ殿下に謁見するのだから、手なんて繋げるわけがない。それでも、今の今まで感じていた温もりがなくなって、どこか寂しいと思う自分もいた。
旦那様の過剰な演技(もしくは香気のせいかも)について話し合いたいと思っていたのに、予想外の事態になってしまった。別の意味で緊張に固まってしまう私の頭を、旦那様がぽんぽんと二度撫でた。
王宮のプライベートサロンに通された私達の目の前には、ソファに腰掛けた第五王女アンナマリア様が不機嫌そうに私を睨めつけている。面会を許されたのが不思議なくらい、嫌われオーラがびしびしと肌に突き刺さる。
「どうぞ、座って。発言も自由に許可します」
「恐れ入ります、王女殿下」
「オズベルト様は、今夜も本当に素敵です。その正装姿も、お髪も、瞳も、すべてが完璧でお美しいですわ」
私に向ける表情とは百八十度違い、凛とした王女らしい雰囲気が一瞬で甘さを含んだものに変わる。近くで見ると一層綺麗で可愛らしく、年齢よりもずっと大人びて見えた。
まるで正面から直接太陽の光を浴びせられているみたいで、私なんかは一瞬で溶けてなくなってしまいそう。それでも妻としてこの場にいるのだからと、だらだらと噴き出る汗を必死に拭った。
「単刀直入に申し上げますと、お二人には別れていただきたいのです」
「恐れながら、それは出来ません」
「どうして⁉︎私の方がずっと前から貴方のことを好きだったのに‼︎」
華奢な指先で顔を覆い、わっと泣き出した王女殿下。おろおろしているのは私だけで、旦那様はいたって冷静沈着に対応している。
「幼い頃、王宮の廊下で転んだ私を優しく抱き上げてくれたあの腕の力強さを、今でもはっきりと覚えています」
彼女はうっとりと目を細めながら、ありし日の美しい出会いに想いを馳せているようだ。私はといえば、その様子を眺めながら「今も十分幼いんじゃ?」と空気の読めないことを考えていた。
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