第14話 お飾りの妻だったはずが【オズベルト視点】

♢♢♢【オズベルト視点】

「やぁ、若旦那様。調子はどうだい?」

「ああ、良かったよ。お前の顔を見るまでは、な」

「酷い言い草だなぁ、本当は嬉しいくせに」

 領地の視察中、背後から肩を叩かれる。振り向かずとも、その軽薄そうな声色ですぐに誰だか分かった。

 昔からの友人テミアン・セシルバは、良いやつだがいまいち掴みどころがない。興味のあることにはとことんだが、意外と冷徹な部分もある。

「僕も一度お目にかかりたいな、《六の出目》の奥様に」

「……その言い方は止めろ、馬鹿野郎」

「おや、珍しい。君が女性を庇うなんて」

 テミアンが瞬きを繰り返すのが、少し腹立たしい。が、確かに僕はこれまで、女性というカテゴリを一括りにして嫌悪感を抱いていた。それは妻であるフィリアに対しても同じで、彼女を愛するなどもってのほかで必要時以外は会話をする気もなかったのだ。

「あの結婚式で我慢してくれるだけでも、このブルーメルくらい心が広いんじゃない?」

「……まぁ」

「えっ!今、認めた⁉︎」

 なんとも大仰に両手を広げて見せるテミアンの指を、反対側に折り曲げてやりたくなる。僕が睨みを聴かせてみても、ちっともダメージは与えられなかった。

「ちょ、ちょっと!その話詳しく聞かせてよ」

「おいこら、離せ!」

 彼はぐいぐいと俺をせっつき、ヴァンドームの馬車付近まで追いやる。ここならば、人目につきにくいと考えたのだろう。

「オズベルト、君まさか奥様を好きになっちゃったの?女性と聞けばすぐ大げさに反応する、あの君が?」

「さっきから失礼な言い方だな。人を欠陥品みたいに」

「そうは思わないけど、意外過ぎて」

 確かに、昔から僕の側にいるテミアンからしてみれば、これほど驚いても無理はないのかもしれない。十中八九、面白がられているような気がするが。

「好きという感情は理解が出来ない」

「君が僕に対して感じる気持ちと同じだよ」

「じゃあ、絶対に好きではないと誓えるな」

 腕組みと共にふんと鼻を鳴らすと、彼は微苦笑を浮かべる。

「冗談はここまでにして。奥様は、どんな人?可愛い?綺麗?お淑やか?」

「僕を黄金虫に喩える肉好きの女性だ」

「ぶはっ‼︎」

 眼前の馬車が吹き飛ぶのではと心配になるほど、テミアンは盛大に噴き出した。みるみるうちに瞳に涙が溜まり、腹を抱えて笑い始める。

「こんな美男子を虫に?まったく、最高に可愛らしい方だね!」

「……もう、お前には話さない」

「ああ、ごめんって。それで君は、怒っているのかい?気分を害した?」

「……いや、まったく」

 彼女――フィリアは、今までに僕が出会ったことのないタイプの女性であることは間違いない。まるで無邪気な子供のようで、たとえ貴族でなくとも年頃の娘ならもう少し洒落ているのではと思う。

 むせかえるような香水の匂いも、甘ったるい吐息も、分かりやすい世辞も何ひとつない。僕の苦手な女臭さを微塵も感じさせない女性だった。


 突拍子もない言動を繰り返しているかと思えば、他者を慮る雰囲気もあり、笑顔はからりと晴れた青空のようにすっきりと輝いている。

 ブルーメルを気に入ったというあの言葉は、まごうことなき本心だった。それは、自身の容姿を褒められるよりずっと嬉しく、思わず頭を撫でてしまいそうになったほど。

 

 ――旦那様!


 よく透き通る声で呼ばれると、体から力が抜ける。彼女が今何を考え、その瞳に何を映し、どんな感情を抱いているのか、やたらと気になる。

 妻の部屋に繋がるあの扉に、これまで視線すら向けたことはなかったはずなのに。自室にいると、無意識のうちにそこを見つめている自分が、気色悪いと感じてしまう。

「もしかしてだけど。オズベルトって女性に免疫ないぶん、好みの子がいたらコロッといっちゃうくらいのちょろさだったりして」

「ちょ、ちょろいだと……⁉︎」

 まさか、そんな言葉で表現される日が来るとは夢にも思わなかった。これみよがしにぎりりと歯を食いしばって見せると、テミアンの肩が大げさに反応する。

「話を聞く限り悪い子ではなさそうだし、別に問題ないんじゃないかな?結婚後に互いを好きになることだって、貴族の間ではよく聞く話だし」

「……いや、それはない」

 彼の言葉の中には、大前提がある。それは僕にあの花の香りが移っていること。

「フィリアには、なぜかジャラライラの媚香が通じない」

「えっ、嘘でしょう!」

「それどころか、微かに彼女の肌からその香りがする」

 テミアンの瞳は、今にも溢れ落ちそうなほどに見開かれていた。

「不思議だね、そんな子は初めてだ」

「花より肉の焼ける匂いの方が好みらしい」

「ぶっは‼︎」

 可愛らしい顔に似合わず、彼は盛大に唾を撒き散らす。無言でハンカチを差し出すと、遠慮もなしにそれで口元を拭った。

「本当におもしろい女性だね。ますます会いたくなったよ」

「絶対に許可しない」

「まぁ、そうだろうね。おそらく君も、花香に惑わされているだけなんじゃないかな」

 そうだ。僕はそう言って欲しくて、テミアンにこの話をした。出会ってまだ二週間ほどの女性に惹かれているなんて、考えられなかったからだ。この年まで、恋愛らしい恋愛などしたことがない。容姿、肩書き、そしてこの香り。どれかひとつにでも興味を示されたら、途端に嫌悪を感じてしまう。

 フィリアを嫌だと感じないのは、僕を男として見ていないからに他ならない。彼女の笑顔を思い浮かべると頬が熱くなるのは、あの花のせい。白い結婚の提案を少しだけ後悔しているのは、ただの罪悪感。

 僕はこの先の人生も、誰かと恋に落ちるなんてことはあり得ない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る