第6話 美しい楽園の中に、おもしろ部屋が
このカントリーハウスは、マグシフォンと比べることすらおこがましいくらいに次元が違う。そもそも領地の規模が広大だから、このくらいでないと示しがつかないのかもしれない。
目に映る全てが、花、花、花。要所で草木を挟んでまた、花。さすが『花の楽園』。あと、肉がおいしいらしいからそれも楽しみ。
「そりゃあ、こんな場所で自由に駆け回っていれば肉質も噛みごたえ抜群に引き締まるってものよね」
「恐ろしい表現をなさらないでください」
「あら、失礼」
夫人らしく控えめに微笑んだつもりなのに、マリッサに溜息を吐かれてしまった。
「奥様、到着いたしました」
「か、体が痒くなっちゃう」
「えっ」
「出来れば名前で呼んでいただけると嬉しいのですが」
執事長バルバさんの立場的に申し訳ないけれど、これからここで自然と戯れ放題の呑気で贅沢な生活を貪る予定の私には、奥様は荷が重すぎる。
「……どうぞ、こちらへ。足元にお気を付けて」
バルバさんはにっこりと笑うのみで、エレガントな所作で私の手を支えてくれる。もはや、私より彼の方が奥様に相応しい優雅さと気品を兼ね備えているように思えるのは、きっと気のせいではない。
「わぁ、良い香り……」
馬車を降りた瞬間、ふわりふわりと甘い香りが、私の体を包み込んでいく。まるで空気が色付いたみたいで、自然と頬が高揚する。香りが自我を持っているかのように、私の目の前でぱちん、ぱちんと弾ける。フレッシュで、繊細で、大胆で、華やか。
昔から花は大好きだったけれど、私の知っているそれとは全くの別物に感じられた。正に、生命の象徴といえる。
「素敵ね……」
もう、それしか言えない。
「吐瀉物は?」
「飲み込みましたから今聞かないで」
せっかく幻想的な雰囲気を楽しんでいたのに、マリッサのおばかさん。
「玄関先でこんなに素晴らしいなら、お庭はもっと凄いんでしょうね。きゃあ、興奮しちゃう!」
一人できゃぴきゃぴとはしゃぐ私に、生暖かい視線が二人分。
「フィリア様は、大変素直な女性でいらっしゃる」
「少々、いえかなり風変わりですが唯一無二の方です」
「フィリア様のようなお方なら、この屋敷を本当の意味で満開に出来るやもしれませんね」
「さぁ、どうでしょう」
バルバさんとマリッサが何やら話し込んでいるのを見て、早速打ち解けていると嬉しく思った。
私の部屋は、三階のど真ん中。てっきり端だと思っていたから、少しがっかりした。もちろん旦那様とは別々で、彼の自室は同階の端っこ。そこまでは、問題なし。
けれど、いかんせん造りがとても変だ。二人の部屋が内廊下で繋がっているのだけれど、真ん中と端ではそれが長すぎる。誰だ、こんな設計をしたのは。
「だったら、廊下を通っても同じじゃないの」
早速ベルベットのカウチソファに身を沈ませながら、ぶつぶつと文句を垂れる。マリッサは聞いているのかいないのか、黙々と荷造りに勤しんでいた。
大方の荷物はすでに到着して、この屋敷のメイドが整頓してくれている。だから私は、堂々と寛いで――。
「この後は食堂にて夕食です。その前に湯浴みとお支度をしなければなりませんので、ごろごろする暇はありません」
「けち!少しくらいいいじゃない!」
「けちで結構」
「マリッサぁ〜」
十八歳らしからぬ駄々の捏ね方だと分かっていても、さすがに二週間越えの旅は疲れた。まぁ、それは彼女も同じだし私ばかり甘えてはいられない。
「よし、やるわよ。今すぐに準備するわ」
「言動と行動が反比例しておりますが」
「あれ、おかしいな?体が勝手にソファに沈んじゃう」
ずるずると横になろうとする私に向かって、マリッサがおもむろに先の尖った櫛を取り出す。それを握り締めたまま無言で見つめられたら、飛び起きるより他はない。
「ありがとうございます、フィリア様」
「だ、大丈夫よマリッサ」
彼女は、怒ったら母と同じくらい怖い。わがままも大概にしておこうと、私はしゃっきり身を正したのだった。
その後マリッサの手によって変貌を遂げた私は、爽やかなミントグリーンのドレスに身を包み、ゆっくりと螺旋階段を降りた。丁寧に施された化粧で武装した今の私には、怖いものなど何もない。
「あ、だめ。これ絶対迷子になる」
屋敷が広過ぎて、食堂へ行くにも一苦労。メイドや執事達は皆親切で礼儀正しくて、こちらが恐縮してしまうくらいだった。
「手を繋ぎましょうか?」
「えっ、本当?」
「嘘に決まっておりますが」
マリッサにからかわれて、ぷくっと頬を膨らませる。今ならどんな表情をしても、きっと可愛いに違いないから無駄に表情豊かになる。
普段はほとんど素顔のままなので、こうして綺麗に着飾れることは素直に嬉しい。あくまでたまになら、というところが重要ポイント。
「それにしても、このドレスは本当に素敵。さっきのメイドは旦那様がお選びになったって言っていたけど、本当かしら」
廊下の真ん中で、バレリーナのようにくるりと一回転してみせる。着地を失敗してよろけてしまったのが、ちょっと恥ずかしい。
「さぁ。私には分かりかねます」
「あんな手紙を寄越す人が、わざわざ?」
「手配をするよう命じた、とか」
「ああ、きっとそれね」
どうであれ、これをチョイスした方は良いセンスの持ち主だ。配色は年相応だけれど、膨らみ過ぎないデザインが大人らしく、花びらのようにあしらわれたレースもエレガントで可愛らしい。
「買い取らせていただけるかな」
「フィリア様は奥様なのですから、金銭のやり取りは必要ないのでは?」
「そうねぇ。白い結婚だと、体でご奉仕というわけにもいかないし」
そもそも、対価になるようなナイスなバディは持ち合わせていない。
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