第7話 初めてのまともな顔合わせ

「こちらが食堂でございます」

 メイドから恭しく告げられた先には、どどんと構える重厚な扉。細やかな金細工が凝らされ、じっと見ていると目が乾いて涙が出る。

「しまった。色々作戦を練ろうと思っていたのに」

「生産性のない会話で終わりましたね」

「何とかなるわよね」

 旦那様と顔を合わせるのは、これで何度目か。ヴェールが邪魔してよく見られなかったから、実質これが初対面に等しい。

「大旦那様もいらっしゃるそうですよ」

「今さら重大情報!」

「さぁ、どうぞ」

 澄まし顔のマリッサに恨みの視線を送ってみても、当の彼女はどこ吹く風。そうこうしているうちに、見た目とは裏腹に静かな音を立てて扉が開いた。

「し、失礼いたします。お待たせして、申し訳ございませんでした」

「ああ、畏まる必要はない。そこに座りなさい」

「ありがとうございます、大旦那様」

 どきどきを通り越して、ばあん!と砕け散りそうになる心臓を必死に宥めながら、とりあえず舌を噛まないことだけに集中する。

 中と外では空気感が雲泥の差で、豪奢で煌びやかなのはもちろんのこと、食事をする場所とは思えないほどの緊張感に包まれている。ここには、ほとんど花は生けられていないようだ。

 先ほど声を掛けてくれた大旦那様は、この大領地を統べるヴァンドーム辺境伯その人。屈強な身躯と長身、紫黒色の髪と瞳、そして豊かな口髭が男らしい。

 結婚宣誓式でご挨拶したけれど、ここまでの至近距離で対面するのは、おそらく初めて。私の父とはこうも違うのかと、思わず圧倒されてしまう。

「この屋敷はもう貴女の家なのだから、もっと気楽にしなさい」

「あ、は、はい」

 と言われても、急には難しい。けれど、その言葉をかけてもらえただけでも、心の緊張は少し解れた。

 重厚なバンケットテーブルの隅にちょこんと座り、ちらちらと周囲を見回す。なるほど、私の正面にいらっしゃるとんでもない男前が旦那様なのねと、つい観察してしまった。

「……何か」

「い、いえ」

 ぎろりと睨まれ、ひえぇと心臓が縮こまる。もしかすると、大旦那様よりもずっと恐ろしい方なのかもしれない。機嫌を損ねて離婚されないよう、重々気を付けなければ。

 とはいえ、やっぱり気になるものは気になる。私は昔から、一度そう思ったらとりあえず隅々まで見てみなければ落ち着かない性分なのだ。


 気付かれなければ平気よね、という結論に達した私は、再び旦那様に視線を配る。ふむふむ、見れば見るほど綺麗な顔で、まるで絵画の中の住人みたいだと感嘆してしまう。少なくとも、マグシフォン領にはこんな美男子はいなかった。

 男性にしては長めの紫黒色の髪は眩いシャンデリアの光に照らされ、虹色に輝いて見える。前髪の隙間から覗く同じ色の瞳はどこまでも深く、彫りの深い目鼻と引き締まった頬。男性的な喉仏が色気たっぷりで、耳の形まで素敵。芸術品を飾っていると言われても、違和感がない。

「……ですから、何か」

「ひゃ!ご、ごめんなさい不躾に」

 そんなに見ないつもりだったのに、実際は穴が開くほど凝視してしまった。だって、本当に綺麗だと思ったから。例えるならば、そう――。

「ぴかぴか光る幸せの黄金虫を見つけたような気分になってしまって」

「は……?虫とは僕のことか?」

 不機嫌そうな唸り声が聞こえた瞬間、さっと口元を覆う。けれどそれはなんの意味もなくて、私の失言はしっかりとお二人の耳に届いていた。

「わ、私の領では黄金虫は幸運の象徴とされていて、大変に縁起の良い昆虫なのです。旦那様の髪や瞳を見ていると、つい思い出してしまって」

「やはり、僕を虫に見立てていると」

「ただの虫ではありません!黄金虫ですよ?あの黄金虫!」

「虫は虫だ」

 ああ、どうしよう。私の意図がちっとも伝わらない。「気分を害されたのであれば、謝罪いたします。ですが私が言いたかったのは、旦那様の紫黒色はとても素敵だということです!」

 また横槍を入れられては敵わないと、息継ぎなしに一気に捲し立てる。勢いあまって、気付けば身を乗り出していた。

「……どうも」

 旦那様はそれだけ言って、ふいと視線を逸らす。なぜかしきりに、指先で髪をいじり始めた。

「ははっ、これはおもしろい」

 口髭を撫でながら、大旦那様が笑う。その様がとても紳士的で色気があって、こちらも何かに例えてしまいそうになる自分を必死に押さえつけた。

「フィリアは、我が息子にはもったいないくらいの妻になりそうだ」

「あっ、そうですね。いつか、黄金虫を捕まえてごらんにいれます!」

「それは楽しみにしているよ」

 私がどんな発言をしても、広い心で受け止めてくれる。そのことが嬉しかった私は、食事中もついぺらぺらとお喋りを続けてしまう。

 時折旦那様に会話を振っても、そっけない相槌だけ。私の歳の離れた弟ケニーもそんな感じなので、大して気にもならなかった。

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