第8話 美味しいお肉に勝るものなし
「まぁ、なんて素晴らしいステーキなのかしら!ここはお肉がおいしいと聞いていたから楽しみにしていたけれど、想像以上です!あっという間にとろけてなくなってしまいました!私今、ちゃんと食べましたよね?」
そのくらい、衝撃的だった。まさか落としてはいないわよねと、ついテーブルの下を覗き込む。
「……これを食べろ」
旦那様が、音も立てずに自身のプレートを私のものと交換する。
「そんなこと出来ません!だってこれは」
「僕は少食なんだ」
「ですが……」
「いらないのか」
いるかいらないかの二択を迫られたら、いると答えるに決まっている。初日から食い意地が張っていると思われるのは少し恥ずかしかったけれど、せっかくの好意はありがたくいただくことにした。
「ああ、もう本当に幸せ……」
フォークを口に運んだ瞬間、頬っぺたが落ちるどころかふわふわと浮かんで消えてしまったのかと思うくらい。
「表現が難しいですけれど、すぐに溶けてなくなってしまうのに、噛めば噛むほどに深みが増すというか。添えてある香草の香りもマッチしているし、スパイシーなソースも新鮮でおいしいです」
想像以上の味に、手も口も止まらない。こんなに素晴らしいものを、いつか家族にも食べさせてあげたい。
「私、旦那様と結婚出来てとっても幸せです!」
にこにこと笑いながら、素直な気持ちを伝える。マグシフォン領は食肉に力を入れていなかったから、余計に感動的だ。
「だそうだ。良かったな、オズベルト」
「べ、別に僕は」
「実は息子も、貴女と同じで肉が好物でね。飼育や餌から精肉方法に至るまで、全てにテコ入れをしたのはオズベルトなんだ」
「まぁ、そうだったのですね!」
ようやくフォークから手を離した私は、尊敬の眼差しで旦那様を見つめる。好きな食べ物が同じなんて、これからの生活がますます楽しみだ。
だって、それだけ肉にこだわるなら他のメニューもおいしいに決まっているから。
「ご自身の好きなものを追求なさるお姿、素敵です!」
「た、たまたま成功しただけだ。それに、もし僕が魚好きだったら君はそんなに喜ばなかっただろう」
「ご安心ください、旦那様!私、魚も大の好物ですわ!」
好みの違いを心配してくださるなんて、案外優しい方なのかもしれない。要点のみの手紙と、顔も見えない結婚式。今日がほとんど初対面みたいな形だったけれど、あまり構える必要なかったかしらと、内心胸を撫で下ろした。
「今日お顔を拝見した時、あまりに美しくて驚きましたけれど、そういうことだったのですね!」
「何?どういうこと?」
「そのお肌です!ほどよく日に焼けているのに、ぷるぷるで艶やかで綺麗だなって驚いたのですが、良質な油を摂取しているおかげなのかもしれないな、と」
造形ももちろんだけれど、本当に肌が陶器のように滑らかでずっと見ていても飽きない。男性を美しいと感じたのは、旦那様が初めて。私も、ここで生活するようになればこんな美肌に近付けるだろうかと、今から楽しみで仕方ない。
「……先ほどから、君は僕を褒めてばかりだな。それも、斜め上の思いもよらない方向から」
「申し訳ございません、失礼でしたでしょうか」
「い、いや。そうじゃない」
私は昔から、思ったことがすぐ口から漏れてしまう質で、何度か参加した令嬢のお茶会ではそのせいでいつも失敗ばかり。マリッサはよく、私に「素直過ぎると足元を掬われるから気を付けろ」とアドバイスをくれるけれど、なかなか治らない。
それに本音を言うと、腹の探り合いって面倒で。綺麗なものもおいしいものも、感謝も謝罪も、他人を傷付けたりしない言葉なら、私は解放してあげたいと思ってしまう。こういうところが、なかなか友人が出来ない要因なのかもしれないけれど。
「不快でしたら、これからは気を付けます」
「だから、違うと言っている」
「では、そのままで」
けろりとそう言うと、旦那様は怒っているんだか困っているんだかよく分からない表情を浮かべながら、なぜか今度はずっとご自分の頬をさわさわしていた。
なんやかんやで意外と普通に終わった夕食会。大旦那様のひと言で、私は部屋の前まで旦那様に送っていただくこととなった。といっても同じ階だし、変な廊下で繋がっているわけだけれど。
「あの、旦那様」
私の真ん前を歩く彼の背中に向かって、ぽいっと言葉を投げかける。
「な、なんだ」
「ブルーメルでは、夫婦の寝室が長い廊下で繋がっているのは普通なのですか?」
「ああ、内廊下のことか。あれは僕の曽祖父が洒落で作ったもので、深い意味はない」
なんと、ただの洒落。お金も手間もかかるだろうに、そんな理由でへんてこな寝室を作ってしまうだなんて、ちょっと憧れる。私は、変わったことをする人が好きだから。
「ふふっ、それは素敵ですね」
「そうか?馬鹿馬鹿しいだけだろう」
「だからこそ良いのです」
なんだかもっと、伝統とか儀式とかしきたりのようなものを想像していたから、安心した。たとえば、内廊下で少しずつ服を脱いでいくとか、愛を叫びながら迎えに行くとか、そんな感じのあれを。
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