第9話 実はお互い適当でした
「み゛ゃっ‼︎」
ふわふわと妄想していたら、毛足の長い絨毯に思いっきり蹴躓いてしまった。前を歩く旦那様の背中に、容赦なく頭突きをかます。
「痛い!何事だ⁉︎」
「あ、ごめんなさい転けちゃって……。受け止めていただきありがとうございます」
「そ、そんなつもりはなかったが」
旦那様がいなかったら、もっと痛い思いをしていた。今も充分痛かったけれど、とりあえずおでこは割れていない。
「あれ?何か落ちてます」
手で額を擦りながら、ぱっと目に入ったそれを拾う。
「小さな、サイコロ……、ですか?」
「あっ、それは僕の!」
旦那様がこちらを振り向き、胸ポケットを探る仕草をしてみせる。どうやら、先ほどの拍子に落としてしまったらしい。
「はい、どうぞ」
「あ、ああ」
それを差し出すと、彼は掌を広げる。想像と違って、豆の潰れた跡や切り傷の名残がぼこぼこしていて、大きく男らしい手だった。
「サイコロって、可愛らしいですよね」
「こ、これはただ友人に持たされただけだ」
「お守りとしてですか?そういえば、昔は魔除けとして重宝されていたと聞いたことがあります」
「い、いや。そうではなくて」
なぜだか歯切れの悪い言い方をする旦那様が不思議で、私はくいっと首を傾げる。彼はしばらく口を開閉していたと思ったら、意を決したようにぐぐっと眉を吊り上げた。
「これは、戒めとして持っておけと言われた」
「戒め?一体なんの?」
「それは、僕がこのサイコロを振って結婚相手を決めたからだ!」
それはそれは、とても重大な秘密を打ち明ける時のような瞳でいて、これが白い結婚だと念を押しているような雰囲気にも感じられる。
「なるほどなるほど、サイコロという手もあったのですね」
「……は?」
「いえ、こちらの話ですのでお気になさらず」
これは言うべきか言わざるべきか、正に急遽の二択。もっとじっくり、時間をかけて熟考した方がいいのではというくらいの大切なことで――。
「実は私も、同じような方法で結婚相手を決めたのですよね」
まぁいいかと、つい口が先に行動を起こしてしまった。旦那様も、このくらい軽く受け止められた方が気が楽だろうし。そうそう、うっかりじゃなくちゃんと考えた結果なのだ。
「どちらにしようかな、天の神様の言う通り〜。っと、こんな具合に」
あの時の再現として、人差し指をとんとんと動かしてみせる。
「い、いやいや。君は僕の申し込みを受けたんだろう?」
「そうなのです!なんとびっくり!私が婚約相手にと選んだ方が旦那様で、ちょうど同じタイミングで結婚の申し込みをしてくださったのも、旦那様だったのですよ!」
顎が外れてしまうのではと心配になるほど、旦那様はあんぐりと口を開けている。私はそっと、彼の顎を掌で支えた。
「な、何をしている」
「いや、これも内助の功かなって」
「意味が分からない」
彼はそう言って、気を取り直すようにんんっ、と咳払いをした。
「もしも私を気遣って心を痛めていらっしゃるのなら、その心配は不要ですと、そうお伝えしたかったのです」
「ぼ、僕は気にしてなど……っ」
「白い結婚のご提案は、本当に素敵でした!社交が苦手で、結婚相手にはご迷惑をおかけしてしまうかもと思っていたので、正に渡に船といいますか」
「わ、渡に船?」
これは少し、それっぽく言い過ぎただろうか。主に自分が面倒なだけなのだけれど、さすがにそこまでは言えない。
「あんな手紙と簡素な結婚式で、気分を害してはいないのか?僕は君を愛さないと、そう言っているようなものなのに?」
「ええっと、なんと表現すればいいのやら。言葉って難しいですね」
失礼のないよう、上手く私の気持ちを伝えたい。腕組みをしながら考えた結果、
「お互い様ということで!」
と、我ながらなんとも頭の悪い言葉しか出てこなかった。
「わ、分かった。どうやらその晴れやかな表情を見るに、嘘ではなさそうだ」
旦那様は指でこめかみを押さえながらそう言うと、ふいに私の顔を覗き込む。
「最後に、ひとつ確認したい」
「はい、なんでしょう」
「君は僕の匂いを間近で嗅いでも、今と同じことが言える?」
なんとも不思議な質問だと思ったけれど、冗談を口にしている雰囲気でもない。もしかして、これまで結婚をされていないのは体臭に悩んでいるからなのでは?とピンときた私は、くいっと背伸びをして彼の首元に鼻を近付けた。
「失礼いたしますね」
「お、おい!急になんだ!」
すんすんと嗅覚を働かせる私と、狼狽える旦那様。よほどのコンプレックスなのかと、胸が痛んだ。
「自信を持ってください!旦那様はちっとも臭くありませんよ!」
「な、なに……?」
「私鼻は効く方なので、信用してください!あ、気を遣っているというわけでもないです!」
ぐっと親指を立て、ばちんとウィンクをしてみせる。そうこうしているうちにいつの間にか私の部屋に到着していたので、深々と頭を下げた。
「今夜はありがとうございました。では、お休みなさいませ」
これ以上一緒にいて失言を重ねると大変なので、ドアマンが開けてくれた扉にさっと身を滑り込ませたのだった。
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