第27話 愛ゆえの些細な嘘が大変なことに

「オズベルトがまだ幼い頃、母親が自分を捨てた哀しみも癒えぬうちに、私の後妻におさまる為あの子に取り入ろうとする女性が屋敷に押し寄せた。憔悴しきっていたオズベルトを気の毒に思った執事長バルバが、たまたま目に入ったジャラライラの花の香りに魅惑効果があると、嘘を吐いてあの子を宥めたのだ」

「バ、バルバさんの仕業だったのですね」

「私が仕事にかまけている間も、あの男は常にオズベルトを気に掛けていた。ヴァンドームを恨むことなく立派に育ってくれたのも、バルバの力添えなしにはあり得なかった」

 初めて私を出迎えてくれた時の、優しげな笑顔が頭に浮かぶ。旦那様が小さな頃からこの屋敷に仕えてきて、辛い思いをしてきた彼をずっと支えていた。私がマリッサを家族同然に思っているように、旦那様や大旦那様はバルバさんに全幅の信頼を寄せている。

 たとえ出鱈目の大嘘だったとしても、まだ幼かった旦那様はきっとその嘘に救われたのだろう。

「まさか今だに信じていたとは驚いた」

「あ、あはは……」

 お二人の気持ちも分かるけれど、自分が女性達から言い寄られるのは花香のせいだと信じて疑わない旦那様が、やっぱり可哀想だと思ってしまう。その中には真実の愛に繋がる素敵な出会いだってあったはずなのに。

 いやでも、あの様子じゃあたとえ花香の件がなかったとしても外見だとか家柄だとか、そういう表面的な部分しか評価されていないと思い込んでいたかもしれない。

 結局のことろ、根本的な問題を解決するには旦那様に見合った穏やかで優しい女性と、恋に落ちて幸せになること。そうして、ご自分がいかに素晴らしい人間であるかを認められるようになったら、最高だと思う。

「あれ、ちょっと待てよ?」

 旦那様ばかりが頭に浮かんでいて、先ほど打ち明けた件についてすっかり忘れていた。

「ジャラライラの香りが異性を誘惑しないとしたら、旦那様が私に感じたものは一体……?」

 ぐいんと首を傾げる私の瞳に映ったのは、大旦那様の笑顔。くしゃりと嬉しそうに目を細めて「何も心配はいらない」とそれだけを口にした。


「フィリア様、もうすぐ旦那様がお帰りになられます」

「フィリア?フィリアって私のこと……?」

「ああ、これは駄目ですね」

 ふわふわとした頭を抱えながら、私はマリッサに体を弄ばれる。いやまぁ、ただ着替えを手伝ってもらうだけなのだけれど。私は意思のない人形みたいにぼうっとしたまま、気付けばいつの間にかすべての支度が終わっていた。

「フィリア、ただいま」

「ひいいぃ‼︎」

「はっ⁉︎」

 ほんの数日前にした大旦那様とのやり取りの後、なぜか私は他のことを考えられなくなってしまった。ブルーメルの初夏を堪能していたはずなのに、ちっともそんな気になれない。

 今日は、パーティーの後王都に残って公務に勤しんでいた旦那様が帰家なさる日。夕方、マリッサの手により着飾った私は、そのまま彼女に抱えられて玄関ホールへと赴いた。

「まったく、手の掛かる奥様ですね」

「……奥様、かぁ」

 どうして自分がこんなに悩んでいるのか、そもそも何に悩んでいるのか、まず悩みごとを悩む前にそれを見つけることに悩んでいる私である。

 そしてその答えを見つけられないまま、旦那様の顔を見た途端反射的にマリッサの後ろに隠れてしまったのだ。


「フィリア、どうした?何かあったのか?」

「い、いえ何もありません。お久しぶりでしたので、少し驚いてしまっただけです」

「そ、そうか。ならいいが」

 帰って早々私の奇行に悩まされるなんて、旦那様は可哀想な夫だ。私だって、出来ることなら笑顔で出迎えたかったのに。

「僕が留守の間、変わりはなかったか?」

「あ、蟻の巣が増えました」

「ははっ、それは確かに大きな変化だ」

 薄手のジャケットを脱ぎ、それを使用人に手渡しながら小さく微笑む。そして流れるような動作で、私の頭にぽんと掌を乗せた。

「君の顔を見ると、帰って来たと実感するよ」

「だ、旦那様……」

「そう呼ばれるのも慣れたと思っていたが、久々だとやはり嬉しいものだな」

 柔らかな声色と、優しげな紫黒の瞳。彼が動くたびに同色の髪がさらさらと揺れて、この方はこんなにも魅力的だったろうかと再認識させられる。

「……お帰りなさいませ。お変わりないようで安心いたしました」

「ああ、ありがとう」

 そんな風に言われたら、もう二度と呼べないかもしれないと思いながら、いつもよりずっと丁寧に頭を下げる。なんとなく違和感を感じたのか、彼の片眉が微かにぴくりと反応した。

「ちょっとオズベルト。いつになったら、僕を紹介してくれるんだい?」

「あれっ、セシルバ様⁉︎」

「やぁ、ミセス・ヴァンドーム。連絡もなしにお邪魔して申し訳ない。急に暇になったから、オズベルトについてきちゃった」

 長躯である旦那様の後ろからひょこりと顔を出したのは、テミアン・セシルバ様だった。第三王女殿下の生誕パーティーで初めて顔を合わせた、旦那様とは旧知の仲らしい社交的な方。改めてお姿を拝見すると、旦那様とはまた違ったタイプの美青年。二人が並ぶとその周りがぱっと華やぎ、これはさぞかし社交界でも騒がれたことだろうと、思わず凝視してしまった。

「僕は止めろと言ったのに、こいつが無理矢理ついて来たんだ」

「だって、あの時は彼女とゆっくり話せなかったからさ」

「そんな必要はないだろう」

「いやいや、親友の大切な女性は僕にとってもそうだからね。もっと深く知りたいし、知ってもらわないと」

 くりくりとした大きな瞳でぱちん!とウィンクされ、まるで飴か小石でも飛ばされたかのようにうっ!と後ろにのけ反ってしまった。

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