第39話 可愛いあの方、時々弟

♢♢♢

 私と旦那様は、晴れて結婚一周年を迎えた。ブルーメルはまさに私の理想郷で、代々ヴァンドームの領主様方が人事を尽くした素晴らしい場所。人と自然が共生し合い、保全と改新の采配がさすがで、数ヶ月前に父が「勉強させてくれ」と大旦那様に頭を下げていたくらいだ。

 旦那様もそろそろ辺境伯を継ぐ頃合いだろうということで、ますます多忙を極めていた。

 私はというと、これまで通りのほほんと芝生の上を転がっているわけにもいかず、大旦那様やクイネ先生、バルバさんやマリッサの力を借りながら、次期辺境伯夫人としての知識と教養を身につけようと奮闘していた。

「あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーっ!!」

「おっと、フィリア様が限界のようです」

「では、お茶とお菓子の用意を」

「私は瓶に湯を溜めてきます」

 マリッサ達の連携は素晴らしく、私が発狂した時にはささっと先手を打ってくれる。そのおかげで、大きな挫折もなく意外に楽しく夫人生活を送ることが出来ていた。ただ、これまでふらふら野原を駆け回っていたツケは大いに回ってきて、ヴァンドーム家と親交のある貴族の名前を覚えるのに一番苦労した。

 旦那様は社交が苦手な私を案じて無理はしなくても良いと言ってくれたし、大旦那様もいつもお気遣いくださる。けれど、決して無理をしているわけではないのだ。

 彼のお母様がこの地を去って以降、屋敷は閉鎖的でほとんど客人も招くことがなかったらしい。クイネ先生やバルバさん達の手入れのおかげで、ここは季節ごとに色とりどりの草花が咲き誇る素敵な場所。大から小までいくつも庭園があって、ジャラライラの花の香りに害もないと分かった。

 せっかくなら、より多くの人にこの感動を味わってもらいたい。もちろん、いまだに女性が苦手な旦那様の迷惑にはなりたくない。だからこそ、綿密に付き合うべき人を厳選しなければならないのだ。

「アンナ様、ようこそおいでくださいました!」

「ふん、もっと早く出迎えなさいよねフィリア」

 この国の第五王女アンナマリア様。旦那様に初恋を捧げた彼女は、初対面のパーティーで私に面と向かって「離縁しなさい!」と指を突きつけてきた人物。

 現在九歳となりますます可愛らしさに磨きがかかり、それと同時に私より艶やかで華やかで目を惹く女性らしさが開花しようとしている。彼女のお姉様方もそれはそれは美人揃いなので、アンナマリア様もこの先伸び代しかないということだ。

「まったく、いつまで経っても貴女はのんびり屋ね」

「まぁ、素敵な表現ですね!」

「……相変わらず嫌味が通じないわ」

 はぁと盛大に溜息を吐かれてもなんのその、彼女は私にとって可愛いの塊でしかない。以前あのパーティーの夜に私が「一度屋敷に来て、私の妻ぶりを見てください」と啖呵を切ってから半年過ぎた頃。ちょうど私達夫婦が白い結婚を撤回して想いを伝え合った後に、アンナマリア様は本当にブルーメルへとやって来た。しかもなんと、私の家族を引き連れて。


――私は貴女をオズベルト様の妻だとは絶対に認めないから、荷物を纏めて家族と共に領地へ帰りなさい!


 とまぁ、台詞だけ切り取ればなんとも横暴なのだけれど、いかんせん彼女の顔色は沼地のようにどす黒く、馬車から降りているのに体だけ揺れていた。すっかり酔ってしまったアンナマリア様を一週間ほどつきっきりで看病した私は、回復した彼女に先と全く同じ台詞を突きつけられた。

 けれどその言葉尻に「介抱は感謝するわ」と蚊の鳴くような声が聞こえ、アンナマリア様がただの可愛らしい天邪鬼だということが判明した。

 そしてそれは我が弟ケニーとよく似ていて、二人は絶対に馬が合うと確信した私はちょうど屋敷にいた彼にアンナマリア様の話し相手をバトンタッチしたのだ。そもそも家族を招いたのは彼女だから、ケニーが側にいたのはアンナマリア様の仕業ということになる。

 二人は歳も近く、可愛らしい天邪鬼という点もそっくり。私がいくら溺愛しようとも「姉さんは暑苦しい」と冷たい声色で一蹴されて、そのくせ「友達のいない姉さんの相手をしてあげるのは僕だけ」と文句を言いながら構ってくれるから、愛らしくてたまらない。

 結局私は追い出されることなく、かといって認められているような雰囲気もなく、アンナマリア様はたびたびブルーメルへとやって来る。けれど彼女は馬車酔いが酷いので、その介助役をケニーに頼んだ。

 なんで僕がとぶつぶつ言いながらも、毎回必ず付き添ってくれる。気の強い二人は馬車の中で言い合いになるらしいが、そのおかげで彼女の気が紛れ最初よりもずっと軽い酔い方で済んでいる。ある意味で私の見立て通り、ちゃんと馬が合っているらしい。


「いつも弟と仲良くしてくださってありがとうございます、アンナ様」

「べ、別に仲良くしているわけではないわ!ケニーがどうしてもというから、特別に付き添いを許してあげているだけよ!」

 応接室にて、ブルーメル産のハーブティーとマリッサ特製の焼き菓子を振る舞いながら、和かに彼女に話しかける。紅く色付いた頬をぷくっと膨らまして、アンナマリア様は照れ隠しのように怒っていた。

 男女のあれこれに興味がなかった私だけれど、この二人がお互いを大好きだというのは丸わかりで、実に微笑ましい。それが恋愛に発展するかどうかは本人次第だけれど、もしも未来を約束するような仲になったら素敵だと思う。

 今回ももちろんケニーは同行しているけれど、今は旦那様と書物庫に行っている。私よりよほどしっかりしていて、今から次期マグシフォン当主としての勉強を積んでいるらしい。見習いたいけど、到底真似出来そうにない。

「そういえば、アンナ様にプレゼントがあるんです!」

「なによ、まさか虫とか草とか言い出すのではなくって?」

「さすがの私もそこは弁えています」

 自分がもらって嬉しいものが、相手もそうだとは限らない。仮に私なら、珍しい蝶や食虫花なんて素敵だなとは思うけれど。

 彼女に手渡したのは、私が縫ったスカーフ。ヴァンドームの屋敷に咲き誇る花々をイメージした刺繍を施した、我ながら会心の出来の一枚だ。

「先日の生誕パーティーに間に合わず、申し訳ありません。どうしても納得のいくものにしたくて」

 包み紙からそれを取り出したアンナ様は、光に透かしてほうっと溜息を吐いている。素直じゃない性格をしていても、こういう面で素を隠しきれていないところも凄く可愛い。

「気に入っていただけたみたいで、頑張った甲斐がありました」

「べべべ、別に私は!見惚れていたとか嬉しくて泣きそうだとか、そんな風にはちっとも思っていないんだから!勘違いしないでちょうだい、フィリア!」

「はいはい、分かっていますとも」

 彼女の本心はダダ漏れでいるから、この強がりも微笑ましい。とってもよく似合うと褒めちぎれば、アンナ様の頬にますます赤みが差していた。

 美味しいハーブティーとお菓子で話に花を咲かせている(主に私が怒られている)と、旦那様と私の可愛い弟ケニーが顔を出す。相変わらずぶすっとした仏頂面だけれど、日に日に美少年へと成長している。

「本当に、私と似なくてよかったわよね」

「は?いきなりなんなんだ、人の顔をじろじろ見て」

 表情と同じ不機嫌そうな声色で、じろりとこちらを一瞥する。アンナ様を見つめるほんの一瞬だけ口元が緩んでいたのを、鋭い姉である私は見逃さなかった。

 ああ、この部屋には可愛いが詰まっている。ケニーもアンナ様も、それから愛しい旦那様も。

「……やぁ、フィリア。朝食振りだな」

「すみません旦那様、二人を迎える準備に追われていて。色々と手伝ってくださり、ありがとうございます」

「いや、それは構わない」

 表面上は冷静を装いつつ、私にだけ分かる彼の拗ねた横顔。ただでさえ多忙な旦那様が、今日は屋敷にいる。そういう日は決まって二人で過ごしていたのだけれど、プレゼントの準備でバタバタしていて碌に会話も出来なかった。そのことに、彼は拗ねているのだ。

「さぁさぁ、二人ともお疲れ様でした。早くソファに座って、美味しいハーブティーを召し上がって!」

 内心にやにやとにやけながら、素早く立ち上がってケニーの背中を押す。それから旦那様に近付いて、誰にも気付かれないよう背中に隠して手を繋いだ。

「ふふっ、本当にお可愛らしいですね」

 驚いて私を見下ろす旦那様には視線を移さず、自身の唇に人差し指を当てる。

「……ああ、そうだな。とても可愛い」

 私達は目の前の二人を見つめながら、似たような台詞を呟いたのだった。

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